第2話



 黒竜が甘えた声でエリーゼに鼻を寄せているころ。こちらに向かって飛行してくる1頭のワイバーンがいた。大きさは黒竜の半分にも満たないが、機動力のある竜種である。



 上空を見上げたエリーゼと、警戒するグロリアに、



「ご心配には及びません。あのワイバーンには、本日同行するわたしの従者が騎乗しています。すぐに降りてくるでしょう」



 クラウスの云うとおり、褐色のワイバーンは大樹のそばに着陸し、その背から1人の若者が降りてくる。



 エリーゼは素早くグロリアに目くばせをした。ライオネル帝国竜騎士団は、戦闘用に十数頭のワイバーンを従えていたはず。



 エリーゼからの視線を受けたグロリアは上空を見回し、視線を左右に振ってみせる。



 他に隠れている従者はいない、ということか。



 ルーベシランの王宮を出てからずっと、エリーゼはグロリアに指示を出し、偵察用の鷹を飛ばせていた。



 鷹の名は、スカリー。雛鳥の頃からグロリアが飼育している優秀な雌鷹である。



 トォーリヤの砦までの道すがら、スカリーは常に数百メートル先を飛び、竜やワイバーンが飛行するはるか上空から偵察をしていた。待ち伏せしている小隊を見つけたときは、すぐにグロリアに合図を送ってくる手はずになっている。



 しかし、スカリーからの知らせはなし。



 この付近にいるのは、黒竜とワイバーンの2頭だけということだ。



 ―― 互いに従者は1人だけ。



 いまのところ、この約束は守られている。



 黒竜の首筋を撫でながら、エリーゼは従者を手招きするクラウスを、注意深く観察していた。



 とくに合図を送っている素振りはないか。



 しかし、油断はできない。ここから先、深い森がつづくトォーリヤの砦まで。竜で飛行していくことを、エリーゼはすでに了承している。それはつまり、飛行中に何かあれば、エリーゼとグロリアに逃げ道はないということだ。



 なぜ、わざわざ危険な選択をしたのか。



 それはエリーゼが大陸で唯一、失われた古語を解読し、あやつることができるからだ。



 昨夜遅くまで、エリーゼが読み返していた『 賢しい者の教え 』には、いみなによって幻獣を縛る方法が記されていた。



 諱で呼ばれた幻獣は、呼者によって魂を捕縛され、好むと好まざると呼者が死ぬか、解放するまで自由にはなれない。黒竜を懐かせるためにエリーゼが呼んだ《 アヴィア 》は、略称にすぎなかった。



 もしあのとき、エリーゼが諱で呼んでいたならば、いまごろ黒竜の首には、エリーゼの所有印が刻まれていただろう。



「できれば、そんなことはしたくないんだけど」



 想像以上に滑らかな竜の鱗に手をあて、エリーゼはつぶやいた。



「あとは、あちらの出方しだいね」



 竜で飛行することを了承した時点で、エリーゼは策を練り直していた。



 もしもクラウスに不穏な動きがあれば、上空で黒竜を所有してしまえばよい。逃げ道がないのはクラウスも同じ、制空権は竜にある。



 すなわち、エリーゼにあるということ。



 竜の背から振るい落とされれば、たとえ竜騎士とはいえ、無傷ではすまないのだから。



 暗黒の竜騎士が、小国の姫に黒竜を奪われたとなれば、ライオネル帝国は戦力的にも精神的にも大打撃間違いなしね。



 父王がいうところの、一国の姫らしくない策略をエリーゼが練っている間に、ワイバーンの手綱を大樹に縛り付けたクラウスの従者が駆け足でやってきた。



 そして、目を丸くする。



「師団長以外に、マークスが首を触らせるなんて」



 栗色の髪とブラウンの瞳を持つ、まだあどけなさの残る若者は、信じられないとでもいいたげな視線をクラウスに投げかけた。



「見たままのとおりだ、レオン。俺にも何が起こったのかは判らないが、姫が何事かささやいただけで、こうなった」



 従者を前にくだけた口調になったクラウスが渋面を作れば、レオンと呼ばれた若者は「まいりましたね」と、こちらもずいぶんとくだけた口調で返事をする。



「そのうち竜騎士団の竜とワイバーンは、一頭残らずエリーゼ姫に掌握されてしまいかねませんよ」



 若者の言葉に、できればそうしてしまいたいとエリーゼは思っているが、いまはただ微笑むだけにして、さりげなく若者の様子から身分や地位をさぐる。



 王位継承権がないとはいえ、王子の従者をしているぐらいだから、中堅貴族の次男か三男あたりだろう。王子に対するくだけた口調からも、かなり親しい間柄だと推測はできる ―― が、それにしても若い。



 おそらく13歳か、14歳くらい。



 どう見ても、気性の激しい戦闘用のワイバーンをぎょせるようには見えない.

 せいぜい、騎士見習い、といったところだろうか。



 しかしこのあとすぐに、エリーゼは自分の考えを改めさせられることになった。





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