智の塔

第1話



 ―――― 翌朝



 エリーゼとグロリアは詳細を伏せたまま、「お忍びで領地の視察に行く」という名目で城を出た。



 約束の朝6時。裏門には、すでにクラウスが待っていた。



「おはようございます。姫君」



「クラウス様、おはようございます。貴方の従者はどちらに?」



「ここから1時間ほどの草原に待たせてあります」



 エリーゼの片眉があがる。



「そうですか」



 クラウスに返事をしつつ、グロリアに視線で合図をおくる。



 わずかに会釈をしたグロリアが「了承した」ことを確認すると、



「それでは、参りましょうか」



 連れていた愛馬へと騎乗した。



「はい、姫君」



 3頭の馬が疾走する。併走するエリーゼとクラウス、その後ろからグロリアが上空と背後に気を配りながら続いた。



 ルーベシラン王国の領土は、内陸に向かって伸びる細長い長靴のような形をしている。都市機能のほとんどが南海に面した海側にあり、北側の内陸部にすすむにつれ、田園風景の広がる田舎町となった。



 目的地であるトォーリヤの砦は、最北端に位置することから、馬を夜通し走らせても到着するのは、明朝になる――――はずだった。予定が狂ったのは、クラウスの従者と落ち合うはずの草原についたとき。



 エリーゼの前に、漆黒の幻獣が姿を現した。



 草原にある1本の大樹。その真下に、巨躯を伏せる鱗獣がいた。



「……あれは、黒竜」



 馬からおりたエリーゼが、手綱をグロリアに渡すと、先に草原に降り立っていたクラウスが、エリーゼを大樹の下へと誘った。



「昨夜、お伝えしそびれていたのですが、ここから砦までは馬よりも竜の方がはやいと思いまして連れてきました」



 竜騎士からの思いがけない提案に、エリーゼは驚く。



「わたしを黒竜に乗せるおつもりですか?」



「ええ、そのつもりですが、もしや、お嫌ですか。それならば、陸路でも、わたしは一向に構いません」



 少し慌てたクラウスに、エリーゼは首を振った。



「いいえ、嫌だなんてとんでもない! ぜひ、乗せてください。ずっと乗ってみたいと思っていたのです」



 はじめて目にしたエリーゼの笑顔に、クラウスの表情が自然と緩む。



「それは、よかった。姫ならばご存知かと思いますが、竜種のなかでも、黒竜はとくに賢い。そのせいか人間に対しても、より賢い者を好んで懐きます」



 そう云っている間にも、黒竜が首を上げ、さっそくエリーゼに興味を示したことに、クラウスは苦笑した。



「どうやら、姫君のことが気になるようですね」



 幻獣最強種である黒竜を前に、エリーゼも興奮を隠せなかった。



「近づいてもかまいませんか?」



「ええ、どうぞ」



 クラウスの許可を得て、エリーゼが1歩、2歩と大樹へと足を踏み出したとき。草原に、強い風が巻き起こる。黒竜が伏せていた巨躯を起こし、いきなり翼を広げたからだ。



 両翼40メートルはある巨大な翼から起こされた突風を正面から受け、たまらず後ろに倒れそうになったエリーゼを、クラウスが抱きとめた。



「姫、大丈夫ですか?」



 そして、すかさず竜をたしなめる。



「マーカス、姫を驚かせるな」



「それは、黒竜の名前ですか?」



「ええ、そうです」



 クラウスに背中を預けながら、エリーゼは黒き竜を見上げた。



「マーカス、いい名前ね。でも、北の賢者ノーンは、アナタを別の名で呼んでいたはず」



 蒼玉のような美しい瞳に見つめられ、エリーゼは微笑んだ。



「 ―――― ɅƔƖɅ《アヴィア》 大いなる道よ」



 遥か昔に失われた古語が、エリーゼの口から紡がれた。



 クラウスには聞き取れない不思議な音の響きだった。しかし黒竜には、しっかりと聞こえたらしく、鼻先をエリーゼに寄せ、急に甘えはじめる。



「わあ、けっこう冷たいのね。それにしてもどうやって体温調整しているのかしら……うわっ」



 硬質な鱗に覆われた太い首をすりつける黒竜。



 さすがに支えきれず、よろけたエリーゼを見て、



「おい、マーカス! 姫から離れろ」



 クラウスが、竜とエリーゼの間に割って入ろうとすると、今度は強靭な尾を振って、クラウスが近づくのを嫌がった。紙一重で竜の尾をかわしながら、怒鳴るクラウス。



「やめろ! 姫に当たったらどうする気だ!」



 しかし黒竜が従う様子はなく、ついには大きな翼ですっぽりとエリーゼを隠してしまった。



「姫君!」



「姫様! 大丈夫ですか!」



 姿の見えなくなったエリーゼに、クラウスだけではなくグロリアも焦りをみせる。



「クラウス殿! 姫様に何かあれば……」



 竜を見据え、護身用の剣に手をかけたグロリアを見て、



「やむを得ない」



 クラウスも腰の剣を抜こうとしたときだった。



「いけません、クラウス様!」



 翼の奥からエリーゼの鋭い声が飛び、軽く咎めるような口調で「少し待つように」と指示がある。気が気ではない数分間を過ごしたクラウスの目の前で、徐々に翼が広げられていく。



「―― 姫!」



 ふたたび目にしたエリーゼの姿に安堵したクラウスだったが、さわぎの元である黒竜を見てあきれた。



「へえ、ここに開閉式の気孔があるのね。とってもめずらしいわ。体温の調整もきっとここでするのね。なるほど、普段は鱗で隠しているのか。そうね、その方がいいわ。ここは致命傷になりうるから、むやみに見せてはダメよ」



 あろうことか首を伏せ、弱点である気孔を、エリーゼにさらけだしている黒竜。



 気孔を開けたり閉じたりさせながら、周囲の鱗をエリーゼに撫でてもらうのが心地良いのか、スンスンと鼻を鳴らして喜んでいた。






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