第4話
「お控えください。こちらでの姫様のご用向きはすでに終わっております。これ以上の長居は予定にございません」
子息たちよりも頭ひとつ分背の高い侍女が立ちはだかる。肝が据わっているのか、場慣れしているのか、なかなかの迫力だ。
一瞬、侍女の迫力に押された子息たちだったが、バード侯爵の息子が食い下がる。
「僕は王女と話しがしたいのだ。侍女風情が割り込むなんて失礼じゃないか」
険悪になりかけた場の雰囲気をとりなしたのは、姫君だった。
「ジョゼフ様、わたくしの侍女が失礼いたしました。わたくしは田舎育ちのため、恥ずかしながらこのようなお誘いには慣れておりません。どうか今日のところはご容赦ください」
美しいエメラルドグリーンの瞳にまっすぐ見つめられた子息たちは、真っ赤な顔で口をつぐむ。少し離れた場所から成り行きを見ていたクラウスは、姫君の瞳に映る3人が、異様に羨ましく感じてきた。
緊張が和らいだ場で、
「ご理解くださり、嬉しいです」
姫君は微笑みながら、1歩横にずれる。
そこではじめて、クラウスはその場にもう1人いることに気が付いた。
あれはたしか……オリバー・ウイッチ
枯れ枝のように細い身体は病的で、背中を丸めているせいか、もともと低い身長が、さらに低くなっている。そして、いかにも神経質そうな顔を完全に俯かせたオリバーは、ブルゴーヌ王国に古くからある商家の息子で、クラウスよりひとつ年下。
商家出身のせいか、算術が非常に優れていると聞いたことがある。しかし、彼を評するのにもっとも特徴的なのは、その髪色だった。
瞳は大陸によくある碧眼なのに、髪の色はクラウスと同じ黒髪と見間違えそうな濃青。つまり彼は、クラウスと同じく大陸で嫌悪される濃い色素をもって生まれてきた。
そのせいか寄宿舎では、王族のクラウスにはなかなか面と向かっていえない容姿の悪態を、商家出身のオリバーには露骨に云っている連中が多い。
そんなオリバーが、まさか姫君と侍女の背に隠れていたとは……
至近距離にいた3人の子息ですら、まったく気が付いていなかったらしく、意外過ぎる人物の登場に驚きを隠せないでいる。固まったまま、まったく口を開こうとしないオリバーに代わり、穏やかな口調で姫君が説明した。
「式典会場の帰りがけに廊下にて拾い物をしまして、そこにウイッチ家の
「拾い物ですか? しかし王女様がわざわざ届けるなんて……」
驚きを隠せないジョゼフに、姫君は少し困ったような笑顔を向けた。
「とてもよく手入れされた万年筆だったもので、持ち主の方が探しているかと思いまして……それに、わたしは王女といっても小国の者ですから」
俯くオリバーの手には、よほど大切なモノなのか、しっかりとその万年筆が握られている。
短い説明を終えた姫君が、
「それでは、皆様。ごきげんよう」
美しい銀髪を揺らし、立ち去ろうとしたときだった。
「ル、ル、ルーベシランの姫様!」
それまで黙っていたオリバーが、突然、大きな声で呼び止めた。いつにないオリバーの大声に、子息3人をはじめ、少し離れた場所から成り行きを見ていたクラウスも驚く。
振り返った姫君に、一瞬息をのんだオリバーだったが、
「本当に、あ、ありがとうございました。これは、わたしにとっては、とても大切なモノなのです。平民のわたしに、姫様が届けてくれて……ましてや、こんな呪われた姿を見ても、なんのためらいもなくお声をかけてくださったことが、どれほど嬉しいか…… 」
どもりながらも、なんとか言葉をつむぐ。
美しい顔をオリバーに向けた姫君は、
「やはり大切なものだったのですね。喜んでもらえて嬉しいわ」
柔らかな笑みを浮かべたのち、「でも」と少し首をかしげた。
「ひとこと、身分について云わせてもらえば、ウイッチ家は大陸有数の流通網を開拓した大商家です。歴代の当主がいかに商才に優れていたか、いかに堅実で卓越した商いを営んできたかは、歴史が証明しています。それは身分以上の価値があることだと、わたしは思います」
まだ幼い姫とは思えない口調に、その場のだれもが目を見張る。
「ウイッチ家の子息である貴方ならご存じのはずです。爵位があるというだけで偉ぶり、領地経営をおろそかにしたあげく破綻させ、領民に重税を課せるしか能のない、ボンクラ貴族がいかに多いか。そんなボンクラ領主の民にだけはなりたくないけど、残念ながらボンクラ領主の世継ぎも、たいていがボンクラ子息だから、ボンクラ統治は続くのよね。じつに、嘆かわしいわ」
「姫様…… そのへんで」
ここで、侍女が苦笑しながら声をかけた。
クラウスは呆気にとられていた。麗しい姫君から発せられたとは思えない毒のある発言。そして、重税を課すことで有名なシャングリ―の貴族子息たちを前にしての「ボンクラ」連発は、意図的としか思えなかった。侍女が止めなければ、まだしばらく続いていたかもしれない。
たぐいまれな美しさを持ちながら、これほど容赦ない毒を放つ姫君を、クラウスは見たことがなかった。
侍女にたしなめられ肩をすくめた姫君だったが、次の瞬間。「ちょっと、失礼」と、今度は大胆にもオリバーの髪に触れた。予期せぬ行動に、オリバーはもちろんのこと、周囲は騒然となる。
しかし、そんなことは意に介さず、
「黒かと思ったけど、濃紺なのね」
姫君はじっくり観察してから、ゆっくり手を引いた。
「最後に、この大陸には無知な人が多いと云わせてもらうわ。オリバー・ウイッチ、わたしは貴方が心底うらやましい。こんなにも濃い色素を持っているなんて。智の塔にあった古文書によれば、北の賢者ノーンの髪色は、貴方と同じ濃紺。智の賢者アルトーは濃緑だったそうよ。つまり、我々の祖先は、尊く賢き者ほど濃い色素を持っていたのよ」
まだ幼い姫君の淀みなく発せられる言葉は、聞く者たちの耳に歌声のように響く。
「それに東の大陸には、今でも濃い色素を受け継ぐ人々がいるらしいわ。知っているかしら、かつて東側諸国を治めていたのは、いずれも賢王とよばれる統治者だったのよ。呪われているなんてとんでもない、この色素は、賢者からの祝福だわ。もし、貴方を忌み嫌う人がいるならば、それは無知からくる哀れな発言だと思えばいいのよ。貴方が顔を俯かせる必要なんてないわ」
気づけば、オリバーの背筋は伸び、姫君の言葉に目を輝かせていた。
あの日、クラウスは恋をした。
それから、3年後。
ブルゴーヌ王国から帰国したクラウスは、すぐさま国軍への配属を志願し、ライオネル帝国史上初となる王家出身の騎士が誕生した。それはひとえに、王位継承権が低いというだけで、理不尽な政略結婚の駒にされるのを避けるためだった。
ルーベシラン王国のエリーゼ姫
彼女にもう一度会いたい。
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