第2話



 夜会を切り上げたエリーゼが、自室で『 賢しい者の教え 』を読みはじめたころ。



 ルーベシランの宮廷より、城下に向かって駆ける2頭の馬がいた。ひとりは商人といった装いで、もうひとりは質素な夜会服の上から漆黒のマントを羽織っていた。



 商人にしては見事な手綱さばきをみせる男は、ライオネル帝国セヴァン公爵家の次男レオン・ライオネル・シー・オブ・セヴァンである。



「どうでしたか。ずっとお会いしたかったエリーゼ姫にお会いできた感想は?」



 竜騎士団の副師団長をつとめる男に訊かれたクラウスは、



「胸が痛い」



 そう云って、馬上でうなだれた。



「えっ、さっそくフラれたんですか?」



「だまれ、レオン」



「機嫌が悪いな。誠心誠意、姫に会いたかったとお伝えしないからですよ。ライオネルの名に寄ってくる令嬢たちと同じように、ご機嫌麗しく~なんて適当なことを云ってもダメですよ」



「……伝えたさ。生まれてはじめてひざまずいて、ずっとお会いしたかったと心から申し上げた。それを姫君に……笑わせるなと一蹴された男の身にもなってみろ」



「うわあ、さすが叡智の姫君。噂にたがわぬ難攻不落ぶりだなあ」



 クラウスは深い溜息を吐き、しばし逡巡したのち、気心の知れた部下に告げる。



「トォーリヤの砦には、明日、案内してもらえることになった」



「そうですか。それが良い知らせなのか、悪い知らせなのか。僕には判りませんが、予定どおり進めていいのですね」



「ああ、そうしてくれ」



「部下ではなく友として忠告しますが、良策とはいえませんよ。場合によっては最悪の一手です」



 レオンの言葉に、クラウスは夜空を見上げた。



「わかっている。それでもやると、俺は決めた」



 ―――― 星になりたい



 月光の下でつぶやいた彼女は、目眩がするほど美しかった。





 ☆  ☆  ☆





 小国の姫君の噂を、クラウスが耳にしたのは12回目の誕生日を迎えた数日後。隣国ブルゴーヌ王国に、遊学という名の厄介払いをされていたときだった。



 このときすでにライオネル帝国には、15名の王子がおり、東方の辺境貴族の子女だったクラウスの母は、父の第4妃という立場もあってか、クラウスの存在など帝国ではあってないようなもの。



 それどころか、余計な世継ぎ問題が勃発するのを危惧した者たちから早々に、権力の中枢から遠ざけられた。



 薄色系の青や緑といった淡い色彩を持つ人種が多い大陸で、母方の血を色濃く受け継いだクラウスの髪は珍しい黒色。



 色濃い色素を持つ隣国の王子は、遊学先の寄宿舎で奇異の目で見られることも少なくなかった。



 そのせいか、ライオネル帝国から同じく遊学した貴族の子息と話すほかは、常にひとりだったクラウスが食堂の一角で美味くも不味くもないスープを口に運んでいたとき、



「キミ、知っているかい」



 偶然、聞こえてきた会話。



「ルーベシランの姫が『 智の塔 』を攻略したそうだよ」



「そうらしいね。でも、それって本当かな。これまで大陸中の識者が挑戦しても、ことごとく失敗したのに、たった9歳の女の子が成し遂げるなんて」



「たしかに、信じがたいね。だけど、仮に本当だとしたら、いったいどんな姫なんだろう」



「ルーベシランの田舎育ちだよ。洗練されてはないだろうね」



「才色兼備とはいかないか」



「田舎モノのガリ勉姫か~」



 ガッカリした空気が漂い、ルーベシランの姫の話はそれで終わった。



 しかし、それから1ヶ月後。彼らは、前言撤回することになる。



 その日、ブルゴーヌ王国では建国100周年を祝う式典が取り行われていた。周辺各国の王族、貴族が招かれたその席に、ライオネル帝国の代表として義理の兄である第二王子と出席したクラウス。



 用意された豪奢な椅子に腰かけ、こんなときだけ王族のマネごとをするのは滑稽だなと、退屈しのぎに辺りを見回したときだった。



「……っ」



 思わず声を出しそうになる。



 ―――― なんてキレイなんだ。



 クラウスは、ひとりの美しい姫に目を奪われた。なめらかで艶やかな絹糸のような銀髪と、宝石のように光輝くエメラルドグリーンの瞳。



 華美なドレスをまとう主席者が多い中、クラシカルで洗練された彼女の紺地のドレスは、圧倒的な存在感を放っていた。



 まだ顔に幼さなさを残しつつも、彼女の目鼻立ちの美しさは際立っていて、気が付けばクラウスの隣に座る義兄も目を見開いて、後ろに控えていた従者を手招きする。



「あそこにいる銀髪の美しい王女は誰だ?」



「ルーべシラン王国の第1姫、エリーゼ王女殿下です」



 クラウスの脳裏に1か月ほど前、食堂で耳にした会話がよみがえる。



 彼女が、ルーベシランのエリーゼ姫 ……



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