クラウス
第1話
春の夜風に吹かれるなか。
凛とした佇まいを決して崩さないルーベシランの姫に、クラウスの心はひどく乱れた。領土を広げる目的での政略結婚を繰り返したライオネル帝国には、王子だけで総勢17名いる。
そのなかにあって王位継承権を持たずして確固たる地位を得るには、戦地にて武勲をあげるほかなかった。
戦いにつぐ戦いに明け暮れた日々。戦場で疲弊した躰を休める
手の届かない、遠い存在。武力をもってしか、存在意義を示せない己と、叡智の女神に愛された大陸一の賢姫とでは、あまりに違いすぎる。
あれから数年 ――——
その姫を目の前にして、ようやく言葉を交わせたというのに、彼女との距離は一向に縮まらない。
「姫への願いは、ひとつです。トォーリヤの
「トォーリヤの砦ですか? いったいなぜ?」
「砦の西にある賢者アルトーが建造したという『 智の塔 』を拝見したいのです」
「智の塔に、貴方の興味を引くものがあるのですか?」
「お答えするのはかまいませんが、貴女はすでにご存知のはずだ」
エリーゼの目が細められる。
「……なるほど。隠すのは無駄ということですね」
「智の塔で目的を果たしたのち、わたしはこの王国から即刻立ち去るでしょう」
帝国の黒の王子は、威厳のある声と眼差しで、エリーゼに判断を
「クラウス、その言葉も誓えますか」
「宣誓します」
口約束ほど、愚かなものはない。それはエリーゼにも、充分わかっていた。
「承知しました。明日の朝6時、裏城門にてお待ちしております。互いに従者は1人のみとします。それが守られないときは、このお話はなかったことに」
「御意」
深く
宮廷内は相変わらず、花の香りでむせ返っている。
「そろそろ、お迎えにいこうかと思っておりました」
庭園から戻ってきたエリーゼを、グロリアが迎える。
「少しゆっくりしすぎたわ。思いのほか、外の空気が美味しくてね。さあ、リア、部屋に戻りましょう」
「お部屋にでございますか? しかし、まだ夜会が……」
信頼する侍女に、エリーゼは含みのある笑みを浮かべてみせる。
それだけで、聡い侍女にはすべてが通じた。
「かしこまりました。では、今しばらくこちらでお待ちくださいませ。姫様の体調がすぐれぬと、夜会を辞する許可を陛下より頂いてまいります」
「リア、いつも悪いわね」
「姫様のことで、わたしが苦に感じたことは、これまで1度たりともございません」
広間の上座へと、颯爽と向かうグロリアの背中を見送りながら、エリーゼは思う。
リアが殿方だったらなあ。すぐにでも、結婚を申し込むのだけどなあ。
優雅な宮廷音楽がかすかに聞こえてくるエリーゼの自室。
「暗黒の竜騎士がですか?!」
半ば信じられないといった声をあげたのは、グロリアだ。
「そうなの」
就寝前。いつものように鏡台でグロリアに銀髪を梳かれながら、エリーゼは今夜自国の庭で起きたことを、淡々と語った。
侍女であり護衛でもある剣士グロリアは、唇をきつく噛む。
「やはり、お供するべきでした」
「わたしがこなくていいと云ったのよ。リアが気にする必要はないわ」
「しかし、姫様に何かあれば、わたしは自分が許せません」
「いつもありがとう。でも、大丈夫だったわ。それに、王子でありながら騎士というだけあって、クラウス・ライオネルは最後まで礼儀をもっていたわ」
しかし決して、あなどれない相手。
就寝の準備が整い、エリーゼは寝台へとあがる。その手には、1冊の本があった。
『
古語で記されたこの書物を、近年、大陸の公用語に翻訳したのはエリーゼである。
古代の賢者たちが名を連ねる
「それじゃあ、リア。明日はよろしくね。何が起きてもいいように、準備だけは抜かりなく」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、姫様」
「おやすみ」
その夜、空が明るくなるまで、ルーベシラン王国第1姫の自室には、灯りがともっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます