第3話




 振り返ったエリーゼが目にしたのは、数歩離れた場所に立つ、長身の男だった。


 いつのまに――


 気配なく近づいた男を、月光が照らす。闇の似合う男は、無駄な装飾を排した夜会服に身を包み、夜風に揺れる漆黒の髪を揺らしていた。


 いったい、どこのダレかしら。東方諸国の来賓を招いた覚えはなかったが、男は東方民族の特徴を有していた。


 

「本日の夜会では、まだご挨拶をさせて頂けてないようですが、東方からいらしたお客様かしら?」


 警戒心を強めるエリーゼの問いに、男は目を見開くと、控えめに笑った。


「お噂どおりの姫君だ。わたしに東方の血が混じっていると、すでにおわかりなのですね」


「しかし貴方の体躯は、文献が示す東方諸国の人々より、幾分大きいような気もしますが」


「ご名答。わたしの生まれはこの大陸です。東方の血は流れておりますが、3世代目のせいか、だいぶ薄くなったようです」


「お名前をお伺いしても?」


「失礼、申し遅れました。わが名は、クラウス・ライオネル・ナイト・オブ・フォーデン」


 男の名を聞き、今度はエリーゼが驚いた。


「ライオネル・ナイト……では貴方が、ライオネル帝国の黒の王太子なのですか」


「姫君、失礼ながらそれは正確ではありません。わたしに王位継承権はなく、ただの王子に過ぎません」


「そうでしたか。こちらこそ、大変な失礼を致しました。エリーゼ・ルーナ・アンジェッタ・ルーベシランでございます。クラウス・ライオネル王子とお呼びしてよろしいでしょうか?」


 ドレスの裾をつまんで軽く膝を折り、エリーゼは優雅に腰を落とした。


 形ばかりは完璧な儀礼をとりつつ ――だれだ、こんなヤツを招いたのは!


 心の底では、盛大に舌打ちしていた。


 とんでもない王子が現れたものだ。ルーベシランの北側に位置する大国の、さらに北方にあるライオネル帝国は、近年、飛ぶ鳥落とす勢いで近隣諸国を制圧、領土を拡大し、大帝国を築き上げたのだ。


 その戦勲、武勲の筆頭であるのは、まちがいなくこの王子だ。


 ライオネル・ナイトの別名《 暗黒の竜騎士 》


 戦場でその名を知らぬものはいない。


 ライオネル帝国最強竜騎士団の師団長であり、幻獣最強種である黒竜にまたがり、戦場をせる姿は、「冥王の御使い」だと恐れられている。はじめて目にする大帝国の王子に、エリーゼは動揺を隠すのに苦労していた。


 帝国の王子がなんだって、西側のこんな小国を訪れたというのだ。目的がわからない。すでにこの近くに竜騎士団が潜んでいて、このまま西側全土に攻め入るつもりだろうか。それとも偵察を兼ねた、なんらかの交渉をしにきたのか。


 でも、なんで、こんな小国を相手に?


 微笑を浮かべるエリーゼの頭は、竜巻クラスのフル回転だった。しかしクラウスは、エリーゼをさらなる困惑の渦に突き落とす。


 自国より明らかに劣る弱小国の姫を相手に、


「恐れながら姫、どうかクラウスと呼んでいただけませんか」


 片膝をつき、片腕を胸にあて、最敬礼をとったのだ。


 エリーゼの顔は強張った。久しく感じていなかった動揺に、ついに膝が震えはじめる。目の前で跪くライオネル帝国の竜騎士は、これまで相対してきた王子や貴族たちとは、あまりに格が違いすぎた。


 その王子が、主君に忠誠を誓うがごとく、騎士さながら膝をつき、エリーゼを見上げているのだ。さらには――『 クラウスと呼べ 』敬称をつけるなと、無理な要求をしてくる。


 こんなことは、はじめてだった。この王子が何を考え、行動しているのか、裏どころか表すら読めないなんて……いつものようにのんびり、腹の探り合いをしている場合ではないわね。


 春の夜。緊迫した空気が、小国の姫と帝国の王子を包んでいた。


 エリーゼは、ゴクリと喉を鳴らす。


「家名を控える理由を、お聞きしてもよろしいかしら」


「はい、姫君。じつは、今宵は東方からきた商人という身分で、夜会に出席しております。それゆえ、ライオネルの名はお控えいただきたいのです。貴国への入国前に、ルーベシラン国王陛下にはお許しをいただいております」


 素性を隠しての入国! ますます怪しいではないか!


 ここにはいない父王を、エリーゼは呪いたくなった。ルーベシラン建国以来、最大の危機に陥れるかもしれない王子に素性を隠す許可を与えたばかりか、完全に野放しにしている!


「わかりました。恐れながら今宵は、クラウスと呼ばせていただきます」


「感謝いたします」


 もう、腹をくくるしかない。


「それではクラウス、少しお話をさせていただいてもよろしいかしら」


「何なりと、姫君」






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