第2話



 町や村ではこんな噂もささやかれる。


「なんでも賢すぎて、行き遅れになっているらしいぜ」


「自分より賢い者にしか、嫁がん気らしいからな」


「へえ、そりゃあもう、一生独身宣言したも同然だねえ」


「キレイな姫さんなのにねえ。でもまあ、ルーベシランとしては、知識の泉が流出しなくて安心してんじゃないの」


 ―― 知識の泉


 歴史、文学、医学、薬学、天文学、算術、兵術、政治経済、軍事情勢


 ありとあらゆる学識と智恵が、湧き上がる泉のごとくその身を満たしていることから、いつしかエリーゼはそう呼ばれるようになっていた。


『 かの姫には、10の賢者と優れた100の智者の価値がある 』


『 難問珍問、厄介事は、ルーベシランの姫に相談するとよい 』


 噂が噂を呼び、いつしか。


「エリーゼ姫、じつはわが国は長引く財政難を抱えており、どうかひとつ、賢姫のお知恵を拝借できないでしょうか」


 ルーベシランの謁見の間にやってくるのは、あれこれ頭痛の種を抱えた各国の要人たちばかりであった。


 婚姻話は、この一年ない。


 男が現れたのは、そのころだった。この日、ルーべシランの宮廷では、夜会が開かれていた。


《 色鮮やかに咲き乱れる花々をでる夜 》



 たいそう退屈で、鼻がムズかゆくなるような夜を、何ゆえ迎えねばならなかったのか。


 これはひとえに、エリーゼの行き遅れを危惧した父王が、


「たまには、一国の姫らしい姿を見せてくれ」


 謁見後のある日、娘にそう願ったからである。これに憤慨したのは、王妃であった。


「あなた、姫らしいってなんですの? エリーゼはわが国の姫として、それはそれは立派に勤めを果たしているではありませんか! 今日だって、あんなワケのわからない王国の世継ぎ問題を、すんなり解決してあげて―― 」


「後宮を閉鎖しろ、と云っただけじゃじゃないか」


「まあ、なんてこと! あなたの耳はお飾りなのね、きっとそうにちがいないわ。いかに速やかに、後宮の側室たちを追い出すか、あの大臣にエリーゼがさずけた策は、素晴らしいものでした」


「あれが、一国の姫の思いついた策だなんて……今思い出しても、なんて恐ろしい」


「いったい、どこがですの!」


 王と王妃の見解の相違は埋まりそうにない。このままでは『 国王夫妻の夫婦喧嘩 』という、エリーゼにとってもっとも厄介な問題になりそうであった。


 この場を「夫婦円満」解決するには、


「母上、いつもわたくしの味方をしてくださり、本当に嬉しいですわ。しかしながら、たまには息抜きをせよ、とおっしゃる父上のお言葉にも一理あるかと」


 エリーゼが妥協するのが1番である。


「おおおっ、エリーゼ」


 娘から久々に肯定された父王は、歓喜している。愛娘の言葉に、王妃も留飲を下げた。


「エリーゼがそういうのなら……反対はしませんわ。そうね、久々の夜会ですから、あたらしいドレスを作りましょうか?」


「それはいい考えだ、セレスティーナ。どんな夜会にするか、今からわたしは宰相たちとじっくり話し合わねば!」


 これにて、厄介ごとは未然に防げた。しかし――我が国の宰相と父上は、どういった思考でこんな夜会を思いつくのだろうか。不思議で仕方がない。


 宮廷内に広がる甘ったるい香りに、クラリと倒れそうになりながらエリーゼは後悔に襲われていた。


 やっぱり、話し合いの場に同席するべきだったわ。


「姫、どうぞ!」


 まったくもって、いらない。どこぞの王子に差し出されたヘンテコな花を受け取りながら、エリーゼはうなだれた。


「姫様、いかがされましたか?」


 護衛兼侍女であるグロリアが、背後からエリーゼにささやく。


「リア、少しだけ庭を歩いてくるわ。わたしに今必要なのは、新鮮な空気よ」


「ごもっともでございます。お供いたします」


「いいえ、ひとりで行かせてちょうだい。不気味な花を持った出席者が追いかけてこないように、リアにはここで見張っていてほしいの」


 エリーゼからヘンテコな花を預けられたグロリアは、納得顔で優雅に一礼した。


「かしこまりました」


「いつも悪いわね」


 テラスを横切り、エリーゼはこっそり庭園へ逃げた。澄んだ空気を胸いっぱい吸い込み、庭園の中央にある噴水のふち縁に腰掛けると、星空を見上げる。


「花よりも、星の方が断然いいわ」


 つかの間のひととき。


 エリーゼは天上に輝く星をつなげ、星座をつくって楽しんだ。


 美しい女神に捨てられた悲しい英雄たち。金色の羊を求めて旅する船団や、竪琴の名手の話。気に入らない者を猛獣の姿に変えてしまう神や、本人の意思とは関係なく勝手に哀れんで星にしてしまった神もいる。


 エリーゼは幾つもの神話を頭に浮かべ、そのつど、神々の身勝手さと嫉妬深さを笑った。


 しかし猛獣にされてしまうよりは ――


「星になりたいわ。そうすれば、天上からこの大陸を眺めることができるもの」


「あなたは星になりたいのですか?」


 ここで問いかけられるとは、あまりに予想外だった。





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