6-3.全部お前が、まいた種。
「邪魔をしに来たか、英雄!」
「キツァン!」
ケルベロスが怒鳴ると同時に、オルニーイは瞬時に背後にいるキツァンを呼んだ。
「火は鮮烈なる乙女の祈り、
背筋を低くする。途端、背後で立ち構えていたキツァンの杖から生まれた火球が、オルニーイの髪を焦がす勢いで数個、ケルベロスへと解き放たれていく。
「この程度っ!」
ケルベロスが笑った。漆黒の体から、体毛なのか何かが出るようにうごめく。
それは、蛇だ。毛だと思しきものは全て蛇でできており、現れたそれらが合体し、巨大な一匹と変容していく。体の前で伸び、とぐろを巻いた蛇は、屈強なうろこで火球を受け止める。
当たった火の玉全てはうろこを多少焦がすものの、致命傷を与えるまでには至らない。
「あれのオドも強い! ルイ、こりゃ厄介ですよっ」
「わかっててついてきたんじゃないのかい、君は!」
キツァンに叫び返しながらも、オルニーイは足を止めず動く。中央にいるヴィクリアのことを案じつつ、周囲を走り、ケルベロスの隙をうかがう。
奇襲はほとんど意味をなさなかった。キツァンの火で燃やせないほどのオドを持つ魔獣は、そう多くない。褒めたくはないがさすが一等だ。
「英雄、よくもユラン様を殺してくれたな!」
憎悪にまみれたケルベロスの言葉に、一瞬眉をひそめる。
そうか、と思った。
(この魔獣はわたしが使う魔術を知らない)
ならばまだ、勝機はある――顔を引き締め、剣の柄を握り直してケルベロスの背後へ回りこんだ。
そこから斬りかかろうと思ったのだが。
「ふっ」
ケルベロスの一頭が、こちらを向く。口から吐き出されたのは紫色の液体だ。
(毒か)
瞬時に判断し、後ろに跳んで距離を取る。直後、キツァンがここぞとばかりに火の矢を紡ぎ上げ、ケルベロスへと放った。しかし大蛇のうろこが全てを阻む。
「なんか知りませんけど、あの五角形の魔術! まずそうなんで絶対阻止して下さいっ」
「わかっている!」
キツァンの言葉に怒鳴り返し、それでもオルニーイの頭の中は冴えていた。
(遠距離戦になれば体力も尽きる……その前にどうにかしなくては)
己の扱う魔術は、近接でしか使えない。しかも、相手を弱らせてからでないと意味をなさない。確実に致命傷を与え、その隙に魔術を放つべきだ。
それにしても――と視界に入るヴィクリアを見て、安堵すると共に疑問がわき上がる。
(捕食されていなかったのは幸いだ。だが、なぜだ。彼女は魔獣の
ヴィクリアはドームの中、何かを叫びながらガラスの壁を叩き続けている。小さいこぶしを何度も、何度もぶつけて。その声は届かない。こちらの声も聞こえるかわからない。
壁はどのくらいの強度があるか不明な上、ケルベロスが異様なほど注視していた。オルニーイがドームへと近づけば的確に毒液を吐き、距離を取らせる。
攻防の中、怒りをあらわにしたケルベロスが吠えた。
「英雄、お前がユラン様を殺さねば、全ては何もなかったものを!」
「人のせいにするな!」
「お前のせいさ、全部お前がまいた種! この娘には死をもってユラン様の
「どういう意味だ、なぜそこでユランが出る!? ヴィクリアには関係がない!」
「あるさ。ユラン様を復活させられるのは、あの小娘だけなのだから」
まき散らされる毒液で臭気がひどい。溶けた床を踏まないよう注意はするものの、意味深げに笑うケルベロスの言葉が、またオルニーイの意識を
「ユランの復活、だと?」
それでも剣を構えることは忘れず、じりじりと距離を測りながら、問う。
ケルベロスが敵意をむき出しに答えた。
「お前が殺したユラン様、すなわち分体でらっしゃるトゥリェーチィ・ユラン。あの方をよみがえらせられるのは、
頭の一頭が、ドームの中で肩を震わせているヴィクリアを見る。
「ユラン様もよく考えた。人族の女との間に子を成し、それを自らの
「なっ……」
一瞬、オルニーイは戦いの中であるまじきことだが、動きを止めてしまった。
人族との間に――子を成し――自らの
ケルベロスの言葉が頭の中で、幾度となく繰り返された。動揺を見てだろう、ケルベロスが高らかな遠吠えをする。
「小娘、よかったな。お前の血肉と魂にて、父たるユラン様は目覚める!」
オルニーイは思わずキツァンを見た。彼は遠目にもわかるほど
(ヴィクリア)
ついで、オルニーイは視線を彼女の方へとやった。
無表情だ。ヴィクリアは
「ヴィ……」
オルニーイが駆け寄ろうとした、次の瞬間。
「どこを見ているっ!」
ケルベロスが猛攻に出た。
跳躍にて一気に間合いを詰め、牙をむき出しにかぶりつこうとしてくる。オルニーイは瞬時に剣を横にすることで盾とし、なんとか食いとどめた。刃と牙がこすれる耳障りな音。思っている以上に力が強い。押し払えない。
片手を添えて戻そうとするも、背中から伸びた蛇により阻まれる。
「くっ!」
一瞬の選択。噛まれて毒を流しこまれるより、剣を捨てた方がいい。剣を手放し、後ろに跳ねて下がる。オルニーイのいた空間を蛇が食らう。
「イルガルデでの戦い、確かに見たぞ、英雄! よくぞ我ら
攻撃は続く。毒液、大蛇からの噛みつき、牙と爪――ケルベロスの追撃をかいくぐり、オルニーイは素早く、ベルトにぶら下げていた鉤爪をつける。
「だがその血肉も
「キツァンっ」
このままでは先にやられる。戦意が
友の名を叫ぶ。我に戻ったかわからないが、爪同士を合わせるさなか、彼が魔術を使う詠唱が小さく耳に入ってきた。
「騎士の念は鉄を超えゆき、一筋の閃光になりて敵を
たちまち周囲に散らばっていた
キツァンが杖を振り下ろすと共に、オルニーイは横にずれた。流星のごとき石の群れが勢いよくケルベロスに降りかかる。土ぼこりが視界を塞ぐ。攻撃が、崩れた。その隙を見て、オルニーイは石畳を蹴ってドームの側へと近づいた。
「ヴィクリアっ、ヴィクリア、聞こえるかい!」
声が彼女に聞こえているとしたら――そう思い、大声で名を呼ぶ。視線はケルベロスが埋もれる箇所にやったままで。
「やつの言うことなんて気にするな!
夢中で叫ぶ。
――ふと。
視界の中、ヴィクリアがこちらを見た気がした。
目線の先では、キツァンが絶え間なく火球を落とし続けている。未だケルベロスは出てこない。刹那、オルニーイはヴィクリアを見た。見てしまった。
彼女の動きがやけに恐ろしく、ゆっくりだ。そこだけ時が止まったかのように、いや、遅れたようになる。少なくとも体感時間は、それほどまでに長い。
ヴィクリアが口を開いた。
笑顔で。
泣きはらしたままのおもてを、隠そうともせず。
たった数文字の単語を放つ唇の動きが、オルニーイの目に焼きつく。
――ごめんなさい。
その金に近い黄色の瞳にあるのは、絶望と謝罪。
「ヴィ……」
声をかけようとした直後、ヴィクリアの体から
割れていく。壊れていく。赤いガラスでできたドームが卵のように、少しずつ。
「ルイ、離れて!」
「ぐ、っ」
キツァンの注意も間に合わない。ひび割れた箇所から漏れ出た風が、
右腕に痺れが走る。古傷を抉られた、と判断すると共に、とっさにその場から跳躍し、距離を取った。キツァンの側へと着地する。
同時に風は、ケルベロスに積み重なっていた
「これは……まさか」
「……そのまさか、ですね」
キツァンの声が、心なしか震えていた。いや、自分の声音もきっと同じだろう。
ヴィクリアから放たれるオドに覚えがある。感じたことが、ある。
七年前、遙か南の古城にて対峙した――悪竜ユランと同じオド。気配。
ドームが涼やかな音を立て、壊れる。
風に浮いた彼女が、人形のような無表情のまま、爪先を地面につけた。
ふわりとたなびくスカート。揺らぐ大きめのブラウス。三つ編みが、空中でたゆたうように揺れている。
「ヴィクリア」
「ユラン様」
異なる二つの名前が響く中、『
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