第六章:好きだけじゃ足りない
6-1.お心に、素直に。
「どういうことか説明しなさい」
オルニーイとキツァンへ向けられたティネの声は、恐ろしいほどに冷たかった。その中には疲労もにじんでいたが、こちらを睨む赤い瞳は少しも怯んでいない。
「それはこっちも同じなんですけどねえ。そもそも、なぜあなたたちは彼女の元に?」
「ごまかすのはやめなさいよ。あたしの疑問に答える方が理屈に合うでしょうが」
「キツァン、今回はティネが正しい」
サファイアのブローチを握り締め、静かに告げてから、オルニーイは部屋のベッドで横たわるリュシーロを見つめた。
彼の上半身には包帯が巻かれている。傷は深かったらしいが、見たところ、呼吸は安定しているようだ。ティネの治癒術が
「あの子、呪い持ちだったのね。そんな人間をこの城に呼んで、一体何人の人間を危険にさらそうとしてたわけ?」
「師匠の遺言ですし。学校に呼ぶわけにはいけなかったですから。万一のことを考えて、兵士も多くいるローダ城にとルイが……まあ、僕も見誤りましたけどね、呪いの本質を」
「本質、とは?」
椅子に腰かけたキツァンが、苦い顔つきでかぶりを振る。
「彼女……ヴィクリアに『あなたが呪いそのものだ』とは申告しました。事実、それほど呪いが深かった。それでもですね、上からベールがかぶさった状態かと思っていたんですよ。普通の呪い持ちのように……ま、やけに
さしもの彼の顔色も、どこか青ざめていた。ため息。
「まさか魔獣を身に宿し、一体化していたとは。どおりで探してもいないわけだ、本体が」
「それほどまでに危ない存在を、二人でどうにかしようって? 仲間のあたしたちもずいぶん舐められたものね」
ティネの
親友はともかく、オルニーイには彼女の怒りがわかる。内密にことを進めていた事実、リュシーロが危険な目に遭った今の状況、簡易に謝って済む問題ではない。
「どうするのよ。こうなりゃ、きちんと討伐しないと一般人に被害が出るわよ」
「移動先はイルガルデでしょうね。転移のマナを察知しましたが、そう強くない」
「……なぜ」
二人の会話の合間に、己の声が大きく響いた。落とした視線、手の中で、ブローチがランタンの明かりにきらめいていた。
「なぜ、彼女は……ヴィクリアは食べられなかったのだろう」
「知らないわよそんなことっ! リュシーロをあんな目に遭わせて、あたし……っ」
「だーいじょうぶだって……ティネ」
涙まじりの金切り声を止めたのは、他の誰でもなく、リュシーロだ。ティネもそうだが、オルニーイたちも顔を上げ、寝台の方へと視線をやった。起きようとしている彼がいる。
「だめよ、寝てなさい。傷はそこまで深くはなかったけど、処置が遅れてたらまずかったんだから」
「ほんっと、オレの将来の奥さんいい女。できる女、ありがとな」
「ばか……!」
ティネが顔を歪ませ、しかし泣くまいとしているのだろう。オルニーイ側に背を向け、肩を震わせていた。ベッドの縁にかけられた彼女の手に触れつつ、リュシーロが苦しげに身を起こす。
「話は聞いてた。オレたちがあのお嬢さんを追いかけてたのは、必死の顔で走ってるのを見かけたからだよ。泣きそうでさ、心配になったんだ」
「泣きそう、ですか。ふむ……ルイ、何か心当たりはありますか」
「わたしにかい? いや、特に。夕方にディーダーから来た商人の女性たちと話していて、魔獣の気配と遠吠えがしたから……庭園に降りたわけだけど」
「『ルイさんは私のもの』」
困惑するオルニーイたちの中、ぽつりとリュシーロがつぶやいた。
「泣きそうになりながら、そう叫んでた。辛そうだった。……ルイ、もしかして鼻伸ばしたんじゃないのか? あの子以外の女性に」
オルニーイは思わず呆気にとられる。
だが、と数時間前の出来事を思い出した。腕を取られ、ふくよかな胸に押しつけられた記憶がある。それを、見られていたとしたら。ヴィクリアが見ていたとしたら。
冷や汗が出る。視線がさ迷う。
「その様子だと大当たり、って感じだな」
「いや、わたしはその、会話をしていた……だけ……」
呟き、逆の想定をした。ヴィクリアが他の男性と笑顔を交わしている姿を。踊っている様子を。みぞおちが焼けたようになる。胃がむかむかとし、片手で腹を押さえた。
「英雄、色を好むってか? だよなぁ、誰彼構わず愛想振りまいてるもんな」
「なるほどなるほど。ルイは別に、ヴィクリアでなくともよかったんですねえ」
「違うッ!」
リュシーロとキツァンのしたり顔を見て頭が真っ白になり、立ち上がった。
「わたしが好きなのはヴィクリアだ!」
怒声が部屋にこだまする。それから、
――好き。
「……ああ」
――そうか、と感じた。
楽しいことや嬉しいことを、共有したいと思う感情。大切にその手を握りたいと思う心。優しくありたい、格好つけていたいと感じた気持ち。
恋だ。培った
手の中で静かに眠るブローチを見た。花壇に投げ捨てられたサファイアを。
(さようならだなんて。あまりにも悲しいよ、ヴィクリア)
笑顔もなく、泣き顔でもなく、冷淡なほど無表情な最後のおもて。いや、最後ではない。最後などにしたくはない。彼女と離れたくない。
「アンタたち、頭おかしくなったの?」
鼻をすすったティネが、無言という
「魔獣が何を企んでるのかは知らないけど、あの子、呪われてんのよ? しかもそこの賢者いわく呪いそのものなんでしょ。厄介ものじゃない」
彼女の目つきが再び鋭いものとなる。それでもオルニーイは、その視線を受け止めた。
「そうだね。ヴィクリアはきっと厄介もので、孤独に
親指でブローチの宝石部分を撫でる。冷たい感触に目を閉じ、思い出す。ヴィクリアの嬉しそうな微笑みを。
「だが、わたしはそれを許さない。そんな運命を認めない。例えこの世が彼女を拒絶しても、わたしだけはヴィクリアの味方になろう」
「……色ボケ。恋ばか。脳筋」
「なんとでも言ってくれていいよ、ティネ。彼女に恋をしているのは事実だから」
ハンカチで
「はじめてだな、ルイ。たった一人をそんなに思うだなんてさ。でも、いい顔してる」
「リュシーロ、すまない」
「いいさ。それよりどうするんだよ、これから。魔獣……ケルベロスだっけ? あいつ言ってたな。あの子なら我らの願いを叶えられるとか、なんとか。まずいんじゃないか」
「願いを叶えられる……」
「あー、ちょっといいですか、ルイ」
「キツァン。何か思い当たる節があるのかい?」
オルニーイが聞くと、彼は大げさに肩をすくめてみせた。
「魔獣じゃないからわかりませんよ、そんなん。ただ、ヴィクリアを助けに行くんでしょ?」
「わたしはそうする。『英雄』ではなく、ただ一人の男として」
「なら、僕もついていってあげます。嬉しいでしょう。あなたこないだ、イルガルデに紋様、書いてきてくれましたよね?」
「……書いたね。言われたとおりに」
固い決意を無視され、オルニーイは思いきり肩透かしを食らう。そんなことはどうでもいいのか、あるいは気づかなかったのか、キツァンは平然とうなずいた。
「では安心して転移が使えます。イルガルデにはちゃっかり行っておいたので。強い魔力は探知できませんでしたが、魔獣と共に消えたのなら、もしかしたらどこかに何か見落としがあるのかもしれない」
「ありがとう、キツァン。助かるよ」
「長い付き合いですから」
「……全くこれだから男ってのはっ!」
大きな音を立て、机に握りこぶしを叩きつけたのは、やはりティネだ。
「いい、アンタたちが怪我しても、もう治癒してやんないんだから! とっとと行って、あの子助けてあげなさいよねっ」
「ティネ、何気にあのお嬢さん気に入ってたもんなー」
「うるっさい。アンタも早く寝る!」
照れているのか、彼女はリュシーロに
「急ぎましょう、ルイ。何を企んでるにせよ、早めに魔獣を叩く方がいい」
「ああ、そうしよう」
「気をつけて行けよ、お二人さん」
リュシーロへうなずき、キツァンと共に部屋を出た。横の壁にはマクシムがいる。
「軍服と武器の用意をしてございます」
「もう、かい?」
マクシムは胸に手を当て、首肯すると不意に微笑んだ。
「オルニーイ様、わたくしめは嬉しく思います。あなた様が『英雄』としてではなく、一人の人間として生きていくであろうこの先を予想すると」
「……すまない。クイーシフル家の人間としては失格だね」
「それでもヴィクリア様が大事だと思ったのでしょう。お心に、素直に。わたくしはあなた様についてまいりますので」
「うん。必ず彼女を連れて帰る」
――さようなら、というヴィクリアの声が繰り返し、オルニーイの脳裏に浮かんだ。
笑顔もなく、涙もなく、ただ口にされた一方的な言葉。あのとき、もっと早くに手を伸ばせていたなら。彼女を抱きしめていられたなら。
(後悔するのはあとでもできる)
悔いる心を叱咤し、自らの部屋へと急ぐ。
ヴィクリアに伝えたいことは、山ほどある。笑顔が可愛いと思ったこと。ドレス姿がきれいだと思ったこと。もっと手を握りたいと、感じていること。
年甲斐もなく恋をした。だが、
(それだけでは足りないんだ、ヴィクリア)
隣で笑い合える幸せな未来――花を眺め、見つめ合った出来事を思い出にしないため、もう一度迎えたい未来のため。
オルニーイはまなじりをつり上げ、唇を引き締めた。
戦う
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