【完結】救国の英雄、呪われた魔女の恋
実緒屋おみ@忌み子の姫は〜発売中
第一章:名ばかりの魔女
1-1.何か用事が、ありますか。
彼女――ヴィクリアの側に野獣は来ない。小動物も近寄らない。悲しくも
ナラや
「月」
歩きながら上を向き、つぶやく。
「ナラの木。ヘデラ。トネリコ。イラクサ」
顔を元に戻し、目についた草木の名を口にした。声の出し方を忘れないように、という義母の言いつけを、ヴィクリアはこの二年、忠実に守っている。他者との会話など、月に一度、木こりと話すときくらいしかないが。
なんの表情も浮かべないまま、摘み取った薬草の名前をささやいて歩く。今日は少し遠出をしたものの、この森は自宅そのものだ。奥に行ったとしても迷うへまなどはしない。
夏の風をはらんだ空気はいつもより温く、爽やかさとは縁遠い重さで頬を撫でた。もう少し歩けば目的地だ。夜が更ける前に用事を済ませ、帰宅しておきたい。
「……湖」
茂みをかきわけて進めば、青緑の湖水が目に入る。ここは薬草摘みの帰りに必ず寄る場所で、いつものように、ためらうことなくほとりへと足を進めた。
大きな
水の冷たさに鳥肌が立つ。半身を沈めて耐える。静かにすると波が消えていく。そうして鏡のようになった
日焼けもしていない白い肌。内側に弧を描く紫の髪は、多少膨らんだ胸までの三つ編み。瞳は金色にも近い黄色だ。
「異常なし」
外見に何か変化があるか確認したのち、はっとする。髪を結う焦げ茶のリボンを解き忘れた。このままでは濡れてしまう――とまで考え、今日くらい好きに洗おうと決める。
泳ぐように体を動かせば、水草が足の裏をくすぐった。ここの湖はそんなに深くなく、身長が低いヴィクリアでも簡単に立てる。森の中には他にも湖水があるものの、人目につかず、誰も使用していないのはここだけだった。
平和だ。何もない。水浴びをして、ご飯を食べて、薬草を乾かし、寝る。毎日行う繰り返しは飽きるというより何もない、その一言に尽きる。
リボンをほどき、波がかった髪を解き放つと共に一気に潜る。冷たい。気持ちがいい。しばらくののち息を止めるのに限界が来て、思いきり上半身を出した、そのとき。
がさり、と茂みが大きく鳴った。
風の音じゃないと理解し、ヴィクリアはそちらを振り返る。
「あ」
――人がいた。
艶やかな、少し長め、肩までの金髪を持った男だ。緑がかった青の双眸は少し大きめで、その二つは今、大きく見開かれている。形のよい唇もどこか間抜けに開いていた。
ヴィクリアは首を傾げ、土を踏んで立つ。柔らかい泥が足の指を通り、背筋が震えた。
「誰ですか?」
「見てないっ」
言葉同士がぶつかる。かと思えば、男が慌てるように背中を向け、首を横に振っていた。
「こ、これは不可抗力で。その、いや、決して覗きをしたわけではなく」
「はあ」
覗きたいほどに、何か物珍しいもの、男が欲しいものでもこの湖にはあるのだろうか。ヴィクリアは疑問に思い、周囲を見渡す。今のところ何もない。
それより彼女が気になったのは、彼の服装だ。義母の本に載っていた軍服、というものだと記憶は語る。ヴィクリアの住むここ、スヴェノータ国にももちろん軍隊があることは知っていたが、彼は軍人なのだろうか。
「何か、この森にご用ですか?」
「そ、そう、用事があって」
男が振り向き、赤面したのち元の格好をとる。
「どうしましたか」
「……ふ、服を、着てくれないだろうか」
「あ、そうでした。ごめんなさい」
確か義母が、裸体はみだりに人へ見せるものではないと言っていた。そのことを思い出し、ヴィクリアは男をよそに、湖から上がる。
体の水気を布で拭き、なるべく急いで服を着た。髪から垂れた
「終わりました。服、着ました」
「す、すまないね。せっかく水浴びしていたところなのに」
男が怖々と、という様子で、ゆっくりとこちらを向いた。よく見ると彼の身長は高く、がっしりとした体つきを持っている。立派だ。
「何か用事がありますか?」
「ええと……この森に、シーテという魔女が住んでいるのを知っているだろうか」
男は律儀なのか、ヴィクリアに近づいてから困ったように頬を掻いた。
「入口近くの木こりたちに話は聞いたんだが、どうにも迷ってしまってね。気づけばこんな奥まで来てしまったというわけなんだ」
「シーテさん、ですか」
「あ、知っているかな?」
「シーテは私の
ヴィクリアの言葉に、男は
「わたしはオルニーイ。シーテどのに用があり、ここに来た」
その笑顔と明るさに、ではなく、聞いたことのある名にヴィクリアは声を上げる。
「悪竜ユラン退治の英雄さん」
「人はそう呼んでくれるね」
彼――オルニーイはうなずく。これ以上なく明るい笑みを浮かべたままで。
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