第14話
彼女のマンションの部屋で僕は彼女を抱いた。いや、彼女が僕を抱いてくれた。僕はただ彼女の胸に顔を埋めて子供みたいに泣きじゃくった。
「今夜だけだからね。明日からはちゃんと一人で歩きなさい」
彼女はそう言いながら泣きじゃくる僕の髪をやさしく撫でてくれた。
翌日、僕は自分のアパートに戻った。伊藤さんのおかげで「死」の影からとりあえず離れることができたらしい。何となく郵便受けを開いたら溜まっていた郵便物が溢れ出して零れ落ちた。大半は広告やチラシ、ビラの類だったが、その郵便受けの底に、一通の封筒がへばりつくように残っているのを発見した。切手はない。誰かが直接投函したものだ。
もしや!僕は急いでその封筒を取り出すと宛名を見た。
宛名には「けんちゃんへ」と書かれていた。裏面に「亜季」という文字を見つけ、僕は震える手で、でも封筒を破らないように慎重に開封した。中から便箋に書かれた手紙が出て来た。淡い花模様の透かしがある、かわいらしい便箋だった。
『けんちゃんへ。
今まで黙っていてごめんなさい。
実は私はステージ4のすい臓がんです。
そう言えばお医者さんの卵のけんちゃんにはどういう状況か分かりますよね。
そう、もう手術はできません。
この春先に見つかって、余命6か月と言われました。
たぶん秋には私の命は尽きます。
けんちゃんが私から離れてしまって、
最初、やっぱりけんちゃんのことを憎みました。
でも、余命宣告を受けてからはそんな気持ちはなくなりました。
私ではけんちゃんを幸せにしてあげられないから。
もしいっしょにいたらけんちゃんを悲しませてしまうと思ったからです。
けんちゃんが付き合っている彼女さんのこと調べちゃいました。ごめんなさい。
でも、私にも人並みに嫉妬心はあるのです。
伊藤真紀さんとおっしゃるのですね。
裕福な家庭のお嬢さんで、真っ赤な外車に乗ってて、きれいなマンションで
一人暮らしをしてる。
この人はけんちゃんに相応しい。きっとけんちゃんを幸せにしてくれる。
そう思います。
私は小さいときからけんちゃんが好きでした。
あのころの私の夢はけんちゃんのお嫁さんになることだった。
その夢は叶わなかったけど、それはけんちゃんのせいじゃない。
運命だから仕方がない。
短い間だったけど私は精一杯けんちゃんを愛したし、
けんちゃんも私を愛してくれた。
これは間違いない事実だよね!
それだけで満足することにします。
どうせけんちゃんのお嫁さんにはなれないのだし。
ああ、また愚痴ちゃった。ごめんなさい。
これから私は入院します。最後にけんちゃんに伝えます。
幸せをありがとう。
きっといいお医者さんになって僻地の人たちをいっぱい助けてあげてください。
私もいっしょに行くって約束したのに、できなくてごめんなさい。
空の上からけんちゃんの活躍を見てるよ、しっかり!
けんちゃん、大好きだよ。亜季
』
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