第13話
僕は慌ててスマホを取り出すと亜季のアドレスにメールを打った。しばらく待ってもメールは既読にすらならなかった。思い切って電話をかけてみたが「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」という機械音声が流れるばかりだ。
それから暫く、僕はどうすべきかあれこれ考えた。結局、亜季の働いている職場を訪ねてみるしかないという結論に達した。自分を裏切った男が職場まで訪ねてきたら亜季は怒るかもしれない。でも、もうそれしか手がないことは明らかだった。
講義が午前中だけのある日、僕は思い切って附属病院の小児科病棟の看護師詰所を訪れた。亜季は確か小児科勤務だと言っていた。窓口からそっと中を覗いてみる。亜季らしき姿は見当たらない。院内に出ているのかもしれないし、そもそもこの時間帯の勤務ではないのかもしれない。僕は思い切って声を掛けた。
「あの、すいません」
近くにいた女性の看護師さんが対応に出て来てくれた。
「並河亜季さんはいらっしゃいますか?」
「……あなたは、どちら様でしょうか?」
「並河亜季さんの友人の者なんですが、どうしても会って話したいことがありまして」
その看護師はまじまじと僕の顔を見ていたが、
「ちょっとお待ちください」
そう言うと彼女は詰所の奥へと入っていった。亜季が奥にいるのだろうかと期待したが、出て来たのは少し年配の女性だった。
「あなたのお名前、なんとおっしゃるの?」
「中山建志と言います」
「そう、あなたが……少しお話できるかしら?」
彼女はさっきの看護師に声を掛け、詰所から出て来た。
「こちらに来てちょうだい」
彼女に案内された先は自販機や電話、ソファーがある休憩所のような場所だった。僕たちの他には誰もいなかった。
「並河さんのこと、何もお聞きになっていないの?」
「え?はい。特には何も……」
「並河さんは一月前に亡くなりました」
「え?」
「もしあなたが訪ねて来ても黙っていてくれって頼まれていたんだけど。まあ、あなたはいらっしゃらなかったからそんな嘘を言う必要もなかったんだけど」
「あの、まさか……どういうことですか?」
僕は混乱していた。何を聞けばいいのか分からなかった。その年配の女性は「ふう」っとため息をついて、
「並河さんはすい臓がんだったの。この春先に発見されたんだけどそのときはもう手遅れで」
すい臓はおなかの深いところにあり、他の臓器や血管に囲まれているため、最も発見されにくい癌と言われている。かなり進行するまで自覚症状がほとんどないのも特徴だ。そして発見されてもその場所の関係で手術を行えないことも多い。
「余命6か月と宣告されてたの。でも本人はぎりぎりまで普通に働きたいって言って。結局彼女が入院したのは亡くなる5日前だった。すぐに緩和ケア病棟に入院して……最後は苦しまずに眠るように逝かれたわ」
「……」
僕は何も言えなかった。何を言ったらいのか分からなかった。
「それだけよ。それじゃ」
そう言うと彼女は去って行った。
僕はそれから自分がどう行動したのか覚えていない。気が付くと『恋人たちの小道』のベンチに1人で座っていた。銀杏並木が黄金色に染まり秋の日差しを受けて輝いている。あの日と同じように……
「中山君」
ふいに名前を呼ばれて顔をあげる。一瞬「亜季?」と思ったが、そこには伊藤さんが立っていた。
「顔色、真っ青よ。大丈夫?」
彼女は僕の横に座った。
「並河さんのこと聞いたのね?」
「彼女を知ってるのか?」
「前に調べたのよ、あなたの彼女のこと。小児科病棟の看護師さんでしょ?いえ、看護師さんだった、かしら?」
「君はいつから知ってた?」
「あなたと別れる前から知ってた。余命宣告されてることも、1か月くらい前に亡くなったことも」
「どうして教えてくれなかったんだ!!」
僕は彼女の両肩を掴んで詰め寄った。周囲を歩いている人たちが立ち止まってこちらを見ている。そんな僕に構うことなく彼女は冷静に言い放った。
「私の口から言えるわけないじゃない。本人があなたに言わなかったんだから!」
「……」
確かにそうだ。亜季は僕に何も言ってくれなかった。きっと彼女を捨てた僕を憎んでいたんだろう。でも……この仕打ちはひど過ぎるよ……
「あなたもひどいけど、彼女も酷いわよね。一言も言わないなんて」
僕は力なく俯いて手で顔を覆った。唐突に「死」という考えが脳裏をよぎった。僕も彼女の後を追って死のうか。後を追うには遅すぎて追いつけないかもしれないけど。
それからも伊藤さんは黙って僕の横に座っていたが、やがて意を決したかのように言った。
「私の部屋に来る?」
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