第11話

 翌朝、僕が目覚めたとき亜季はもう起きていて、知らない間に僕の体温を計っていたようだった。

「うーん、38度7分。下がらないねえ」

 体温計を睨んで考え込んでいる。ナースの顔になってる。

「けんちゃん、今日病院に来られないかな。内科の予約入れとくから。診察の時間はスマホに連絡するから、その時間に来てくれればいから」

 正直言って動きたくなかった。でもこれ以上亜季に心配や迷惑をかけたくなかったから、

「分かった」って返事した。

 亜季は今日は遅番だから12時からの勤務だが、内科の予約をするからと言って早めにアパートを出て行った。

 僕は亜季から連絡をもらった時間に病院へ行った。ほとんど待ち時間なく診察してもらえた。診察の結果はただの風邪だった。ウイルスや細菌性の病気だったら嫌だなと思っていたのでひと安心。


 一般的な風邪薬と解熱剤を貰ってアパートに引き上げようとしたところで声を掛けられた。

「中山君じゃない?」

「ああ、伊藤さん」看護学科で同期の伊藤さん。看護学科も同じ医学部なので、いくつか同じ授業がある。その授業でちょっと喋ったことがある。下の名前は確か「真紀」だったか。

「どうしたん?病気?」

「風邪だった。今薬もらって帰るとこ」

「ふーん、しんどそうだね、大丈夫?」

 そう言いながら彼女は手の平を僕のおでこに当てた。彼女の手はひんやりと冷たかったが、ほとんど顔しか知らない相手にいきなり額に触られたのでちょっとびっくりした。

「熱あるね」そんなことは分かってる。

「じゃ、俺帰るわ」

「家近いの?送って行こうか?」

「いや、大丈夫」

 そう言う僕の言葉など聞いていない。

「私、車で来てるからちょっと玄関出たとこで待ってて。とって来る」

「いいって……」

 熱のせいで大声を出すのも辛い。体の動きも鈍い。彼女を引き留めることができず、彼女は何処かへ走り去った。仕方なく言われた通り僕は病院の玄関を出たところに立っていた。間もなく目の前に真っ赤なボディのかわいらしい車が滑り込んできた。助手席側の窓がすっと開いた。

「どうぞ、乗って」

 彼女が運転席から声を掛ける。ここまでしてもらっては遠慮するわけにもいかない。そんなことより早くアパートに帰って横になりたい。僕は助手席側のドアを開けて乗り込んだ。

「かわいい車だね。外車?」

「でしょー!知ってる?シトロエンのC1って言うの。初代型なんだよ」

「へえ……」

 僕は道順を彼女に伝えた。自転車でも20分くらいの道のりだ。あ、そう言えば俺自転車で来たんだった。風邪が治ったら取りに行かないと…… まあ、いいか。考えるのしんどいし……

 あっと言う間にアパートの前に到着。僕はお礼を言ってふらふらと外階段を上がって行こうとした。いきなり腰のあたりに手を回されてびくっとした。

「大丈夫?ふらふらしてるよ。危ないから部屋まで連れて行ってあげるよ」

 もう遠慮するのも面倒だ。言われるがまま部屋の前まで連れて行ってもらった。鍵を開けて部屋に入る。

「ありがとう。助かった」

 そう言って扉を閉めようとしたら彼女が中を覗き込んで、

「へえー、わりといい部屋ねえ」

「ごめん、悪いんだけど、俺もう横になりたいから……」

「中山君、ここに彼女と住んでるの?」

「え!?」

「だって女の匂いがプンプンする」

 そう言って鼻をひくひくさせる仕草をした。

「じゃあ、また学校でね!」

 そう言って踵を返すとアパートの階段をかんかんと靴音をたてて駆け下りて行った。車に乗る前にこちらに向かって手を振ってくれたので、僕も手を振り返した。車が走り去るのを何となく見届けてからドアを閉め、僕は敷きっぱなしの布団に倒れ込んだ。

 もらってきた解熱剤のおかげで、その夜亜季が訪ねてきてくれた頃にはすっかり熱は下がっていた。

「よかった。熱下がったね」

 熱が下がって布団から起き上がている僕を見て亜季はほっとした顔をした。

「でも今夜はまだおかゆにしとこうか。明日から普通のごはんに戻そう」

 亜季はやっぱりナースの顔でそう言った。

 熱が下がって元気になったのはもちろん嬉しいけど、もうちょっと亜季に看護してもらって甘えていたかった気もする。



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