第9話
翌年の受験で僕は明桜大学医学部に合格した。しかも地方とはいえ公立大学の医学部にも合格した。私立である明桜大学の合格発表は2月中旬で国公立大学の合格発表までに入学金を納めなけらば合格は取り消しとなる。手応えはあったがまさか両方合格するとは思っていなかった両親は(僕もだけど)明桜大学の入学金を振り込んでくれていた。
以前の僕なら迷いなく国公立大学の医学部への進学を選択しただろう。でも今はどうしても明桜大学の医学部に行きたかった。理由はもちろん亜季だ。彼女と離れたくなかったのだ。
医学部の学費は他のどの学部よりも高いことぐらいは知っているし、私立なら猶更である。父は医者とはいえ小さな町医者だし、入学金はともかく、これから6年間の学費となると国公立の比ではないくらい必要になるだろう。だから両親に明桜大に行きたいと言うにはそれ相応の理由が必要だった。彼女と離れたくないなんて理由がまかり通るとは思えない。
散々考え抜いた僕は、
「僕は脳外科医を目指したい。だから最先端の設備と優秀な教授陣がいる明桜大医学部に進みたい」
という言い訳をでっち上げた。両親には申し訳ないが背に腹は代えられない。彼女といっしょにいるためならなんでもする覚悟だった。
幸い両親は納得してくれ、
「この診療所は継がなくていいからお前の好きなようにやってみなさい」
と言ってくれた。さらにこの郊外の家からでは明桜大まで通うとなると2時間近くかかってしまうから大学の近くに下宿してもいい、とまで言ってくれた。
「地方に行ったらどうせ下宿することになるし、そんなところでケチって留年でもされたらそっちの方が大損害だからな」
そう言って父は笑った。
ひどく罪悪感を感じたが、彼女の近くにアパートを借りれば同棲同然の生活が送れるという夢のような未来を思い描くと、罪悪感なんて甘い気持ちでどこかへ吹き飛んでしまうのだった。
4月からの入学と新生活の準備に追われる日々は慌しかったが、希望通り彼女の近くに適当なアパートを借りることができ、荷物を運び込んでいたら、彼女も仕事の合間を使って何かと手伝いに来てくれる。彼女が日勤の日であれば、仕事が終わってから僕の部屋にやってきて晩ご飯を作ってくれる。彼女が休みの日にはずっと僕のアパートで過ごすようになった。
そんなある日、
「ちょっと遅くなちゃったけど、けんちゃんの合格祝いやろうよ」
と彼女が言い出した。
「次の私のお休みの日の夜、私の部屋で。腕によりをかけてお料理するから」
そう言って彼女は腕まくりして見せた。
「けんちゃんは何が食べたい?」
「うーん……じゃあ、すき焼き」
「そんなの料理じゃない!」
彼女は頬を膨らませる。
「でも、すき焼きが好きなんだよ。しいたけ、白ネギ、焼き豆腐、糸こんにゃく、マロニーはダメだよ」
「いやいや、メインが抜けてるでしょ!牛肉、牛肉」
「牛肉は僕が用意するから他の食材の準備を頼む」
彼女があまり余裕のある生活を送っていないことは知っていたから気を使ったつもりだった。押し付けがましくて嫌な気分にさせちゃうかなとも思ったが、彼女もそんな僕の気持ちを受けとってくれたようだ。
「分かった。じゃあ、すき焼きね。そうだ!その代わりケーキを焼こう!」
そう言うとぱっと笑顔になった。
僕はそんな健気な姿がたまらなくなって彼女をぎゅっと抱きしめて囁いた。
「楽しみにしてるよ」
大学生活が始まった。医学部生の学び舎と付属病院は隣り合わせの敷地に建っている。とはいえ、どちらの敷地も広大で建物も巨大なので隣り合っているとはいえ、亜季と偶然出会うなんてことは、まずない。
入学してみると驚いたことに、医学部の男子学生と看護学部の女子学生の合コンのみならず、看護師の女性との合コンまでもが頻繁に行われているらしいことが分かった。将来が保障されている医学部の学生は、はっきり言って見栄えが良くない男でも入学早々に彼女ができるようだ。ちょっと遊び慣れている奴なら複数人の彼女を作ってその間を渡り歩いているような輩も決して珍しくない。
僕にも合コンのお誘いが頻繁にあるけれど「俺、彼女いるから」と言って断る。
「そんなの関係ないって。彼女に黙ってちょっと遊べる女なんてゴロゴロいるぜ」
そんなことを平気で言うやつもいる。僕はその手の話はすべて無視した。そのうちあいつには声を掛けても無駄だと思われたらしく、誰も合コンの話は持ち掛けて来なくなった。それでいい。僕には亜季がいる。彼女さえ側にいてくれたら僕は満足なんだ。
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