第5話
「俺、午後からも試験があるんやけど、それ終わったらちょっと話とかできひんかな。久しぶりやし色々話ししたいし」
僕は女の子を誘うのは初めてだった。断られたらどうしようというプライドと恐怖心で、今までどうしても口に出して女の子を誘えなかったのだ。でもこの時は彼女をこのまま離したくないという欲求がそんな中身のないプライドや恐怖心に勝った。きっと彼女は断らないという根拠のない勝算が少なからずあったことも否定できない。
すんなりOKしてくれると思っていたが、意外にも彼女は驚いた顔をして、しばらく黙り込んだ。僕は急激に不安になった。
「今日は遅番だから9時まで仕事やねん。ごめん……」
これは断るための方便なのかどうか真意は測りかねた。会ってくれるなら9時でも構わなかったがさすがにそれを言うのは下心がバレバレになってしまいそうで言い出しかねた。
もし彼女も僕と話がしたいなら代替案を提案してくれてもよさそうなものだ。それが無いということはやっぱり僕になんて興味がないのかもしれない。でもせっかくの女性との繋がりを簡単に手放したくない。僕は思い切ってさらに言い募った。
「じゃあ明日は?っていうかいつだったら都合がいい?」
もうほとんど懇願だった。彼女は頬に手を当てて考える仕草でじっと前を見つめる。
「明日はお休みで、あさってから早番になるねん。そしたら午後には上がれるからお昼ご飯いっしょに食べるってことでどうかな?」
明日が休みなら明日でもいいんじゃないのかって聞きたかったけどやめた。休日はゆっくり休みたのかもしれない。もう予定が入っているのかもしれない。もしかしたら彼とデートかもしれない……
ちょっと不満な気持ちはあるけど、断られたわけではない。あさっては会ってくれると言う。
「お昼はどこで食べる?」
「ああ、そうだな……」
どこにしようって言われても受験勉強ばっかりしていた僕には気の利いた店なんて全然思いつかない。黙っている僕をよそに彼女は「うーん」と空を見あがて唸っている。
「じゃあね、病院前の大きな交差点を北へ入った道路を5分くらい歩いたところの信号を左に曲がった路地をちょっと行ったところに『ぼろーにあ』って言うイタリアンのお店があるねん。あんまり知られてないけど、そこ結構おいしいねん。そこで1時に待ち合わせでどうかな」
もちろん否はない。
「分かった。『ぼろーにあ』だね。楽しみにしてる」
自分でもびっくりするくらいすらっと素直な言葉が出た。
「じゃあ、私の名前で予約しとくね。けんちゃんと話すのすっごく楽しみ。積もる話いっぱいしようね」
彼女との楽しい会話をしていると時間はあっと言う間に過ぎ、昼休みが終了して午後の試験が開始される時間になった。
「じゃあ、がんばってね」
そう言うと彼女は病院の方へと歩いて行った。僕は彼女の後ろ姿を名残惜しく見送ってから試験会場の教室へと向かった。
午後の試験は満足できる出来だった。それにつけても数学のミスが悔やまれる。彼女は僕の幸運の女神かもしれない。その時本気でそんなことを考えた。
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