第79話

そして、それが原因で珠璃は危うく大怪我をするところだった。あの一瞬でも、彼女に力の残滓が残っていなかったら、彼女は今頃寝台の上に縛り付けられる事態になっていただろう。それほど、彼女はか弱い。



「……珠璃に、謝らなくては……」


『……夏桜よ、お主、まさかまだ珠璃が弱いとでも考えていおるのか?』


「え?」


『……お主ほどの人間がまさか気づかなんだとは……それほどまでに珠璃が隠すのがうまいのか、こやつがただの阿呆なのか……』


「な、なんだよ」


『いえ、流石に気づくべき事柄かと思いますよ、夏桜』


『なんじゃ、午はわかっておったのか?』


『流石にわかります』


「だ、だからなんだよ?」



 夏桜の言葉の催促に、二柱はお互いに顔を見合わせてそのまま大きくため息をこぼした。一瞬にして意心地の悪い空間に変わってしまい、夏桜もたじたじとなってしまう。



『夏桜、お主、武人じゃろう……』


『違和感はなかったのですか?』


「違和感……?」


『彼女と相対した時、何を感じましたか?』



 その瞬間、思い出したのはあの時の感情。


 ――彼女に負ける、という直感。


 そう、確かにあの時、夏桜はそう感じたのだ。だからこそ、今はっとした。


 夏桜が、武人が、そう感じるということは、相手は自分以上の実力を持っていると言う証拠である。たとえ珠璃がなんらかの形で力を借りていたのだとしても、それを使いこなせるだけの能力がなければ負けることはあり得ない。けれど、夏桜は違った。そして珠璃が夏桜に対して本気を見せた瞬間、“負ける”と思ったのだ。



『ようやっと自覚したかの、夏桜よ。お主は、最初から彼女に勝つ事はなかったんじゃよ』


「……」


『能力を隠していた訳ではないと思うぞ? 見せびらかしているわけでもないが。じゃが、彼女は最初からその実力を持っていた。見抜けなかったのはお主の傲慢さと未熟さ故よ。現に、ワシら神使は気づいておったのじゃからの』


「……俺が、勝負を持ちかけた時から既に負けは決まっていたということか……」


『いや、それは違いますよ、夏桜。彼女も言っていたではないですか。“戦ってみなければわからない”と。“負けられないから勝つのだ”と。覚悟の違いでしょう』



 そんなことを言われると、本当に何も言い返す事はできるはずもなく、情けなくなってくる。



「……誠心誠意、謝罪を伝えてくる……」


『うむ、それが良かろう。さ、善は急げじゃ!』



 そう言って、夏桜は春嘉が消えた方へと歩み始めたのだった。





 目覚めたら、既に日は高く、昼になるほどではないけれど、それでもいつもよりはよほど遅い時間に目覚めたことを自覚する。


 体を起こせば小鳥が気づいてパタパタと飛んで寄ってきてくれる。



『珠璃! おはよう、よく眠れた?』


「……うん……まだ、ちょっと眠いけど……」


『そりゃ、神使の力を借りて戦ってたんだから体の疲労感は当たり前だよ?』


「……うん……」



 目を擦りながら小鳥の言葉に相槌を打ちつつ、珠璃は寝台の上から降りようとモゾモゾと動く。そんな珠璃をみて何をしようとしているのかを理解した小鳥はそのまま珠璃の肩に飛び乗った。



「……そういえば、小鳥さん……、……?」



 私を運んでくれたのは小鳥さん? と聞こうとしたけれど、部屋の中に人の気配を感じて珠璃は言葉を止める。いまだにポヤポヤとした瞳で部屋の中を見渡せば、そのには春嘉が優雅に座ってお茶を飲んでいた。



「……春嘉さん?」


「おはようございます。珠璃。まだ眠いのでしたら眠っていても大丈夫ですよ?」


「いえ、これ以上寝るのは……ふぁ……」


「ふふっ、では、一緒にお茶でも飲みますか? 少しは意識が覚醒するかもしれませんし」


「……はい、いただきます……」



 こくり、と頷いた珠璃に、春嘉がまた小さく笑みを漏らしながら珠璃の分の茶器を用意してそのままお茶を入れる。テクテクと歩いて春嘉のすぐ隣の席に座った珠璃を見て、春嘉と小鳥は少しだけ驚いたけれど、作業は止めず、小鳥も何も言わずに珠璃の肩で大人しくしている。



「どうぞ、珠璃」


「……ありがとうございます……」



 寝起きの声音でそういった珠璃は差し出された茶器に手を伸ばしそのまま口をつけた。



「……ん、そういえば、どうして春嘉さんがここに?」


「不埒モノを追い払うためにですよ、珠璃」


「……不埒もの?」


「ええ、ただのゴミです」


「……ごみ……??」


「ああ、気にしないでください。独り言です」


「そうですか……?」



 こてん、と首を傾げた珠璃に、満面の笑みを浮かべてそう言いきった春嘉に、小鳥は恐ろしさを感じた。


 珠璃を神使の元から受け取ってすぐ、春嘉はこの部屋に籠り、眠っている珠璃に不埒なことをしようとやってきた男、嫉妬で襲いにきた女たちに、容赦なく、制裁を加えていた。たった数時間の間に、その数は二桁を超えており、それでも春嘉は容赦なくそれも笑顔を崩すことなく叩きのめしたのだ。


 小鳥はこの時、実は朱雀よりも青龍の方が強いのではないだろうかと錯覚してしまうほどだった。


 一方の珠璃は春嘉の言葉の意味がわからず、首を傾げているだけだったが、別の思考に走った。



「あ、もしかして、試合が終わったあと私を部屋まで運んでくれたのは春嘉さんですか?」


「え? ええ、そうですよ?」


「やっぱり。ありがとうございます。どうしても、体が言うことを聞いてくれなくて……」


「いえ、気にしないでください」



 にっこりと微笑みながら春嘉はそう受け答えをする。あの時も、やかましいゴミがいたなと考えながら、それでもそれを珠璃に悟られないように綺麗に隠しているその姿は、いっそ関心しかできないと思いながら小鳥は見守っていた。

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