第78話
再び眠りに落ちた珠璃をしっかりと抱えながら春嘉はため息をついた。
「……いつまでそうしているつもりですか、朱雀」
「……別に……」
「いつまでもそんなことをしていても、何も解決はしませんし、先にも進めませんよ」
「わかってる……」
そう言って、夏桜が俯く。その様子を少しだけ振り返ってみた春嘉は子供のようだなとため息をつく。
くるりと振り向けば、びくりと肩を揺らすその姿は、威厳などどこにも存在せず、ただ怒られるのをビクビクと待っている子供のようである。春嘉はもう一度ため息をつき言葉にする。
「……あなたが試合会場で何をしたのかはもう既に聞いています。朱雀」
「……」
「それを後悔したとて既にどうにもならないことであり、あの一瞬であなたは珠璃からの信頼を無くしたも同然です。それは理解しているのでしょう?」
「……わかっている」
「なら、そんなふうに悩んでいても仕方がないじゃないですか」
「……お前には、今の俺の気持ちがわからないから……っ!!」
子供を諭すような声音でいながらしっかりと責め立てる春嘉に、我慢できなくなり声を荒げようとした夏桜だったが、途中でハッとしたように口を閉じ、これ以上感情的にならないよう、深呼吸を繰り返した。
「……その制御が、あの時にできていれば……」
思わずそう呟きながら、春嘉は珠璃を見下ろした。静かな寝息を立てているのをみて、ふと笑みが溢れる。
そんな春嘉の様子を見て、夏桜は思わず、あの時と同じ台詞を口にした。
「……お前は、珠璃のどこに紋章を与えたんだ、青龍」
「あの時と同じ言葉を返しましょう。あなたが珠璃に紋章を渡すとき、彼女本人の口から聞けばいい。私が自らの口で教えなければならないいわれはどこにもありませんから」
春嘉は、人好きの笑みを浮かべつつも確実に相手を挑発する言葉を乗せ、そのまま背中を向ける。こんなところで時間を潰している場合ではない。珠璃のことを心配している小鳥がいるのだから、一刻も早く彼の元に戻って珠璃の姿を見せてあげなければ。
そうして春嘉は夏桜の前からそのまま立ち去った。
◯
どうすればいいのかわからなくて、逃げ回ってしまった。こんなのは自分ではない。こんなのは【朱雀】ではない。
あんな小娘に負けるなど、あってはならない。だからこそ、激昂した。認められなかったから。何がなんでも勝ちをもぎ取らなければならないと思った。
それなのに。正面からぶつかってきた彼女の顔を思い出す。とても、悲しそうで、辛そうで、痛みを耐えているような表情。それに驚いた。だからこそ、声が出てこなかった、体が動かなかった。そのせいで、己の民が暴動まがいのことを起こした。それでも、彼女は正面からそれを打ち砕いた。
そう、認めなければならないのは夏桜自身が珠璃のことを下に見ていたという事実。
対等に立たなければならない相手を、対等に相手にしなければならない人に、自分は最悪の選択をしたのだ。
「……………なんで……」
なぜあんなことをしてしまったのか。なぜあんな真似をしてしまったのか。いくら考えてもわからない。いや、本当は理解できている。夏桜は、珠璃からの“尊敬”が欲しかった。好意を持った相手に、尊敬の眼差しで見て欲しかった。だからこそ、夏桜は珠璃相手に手を抜いたのだ。
特別な力なんて使わなくても、自分はこんなにも強いと。お前の上にいる存在なのだと。理解されたかった。
――そんなもの、一瞬で砕け散ったけれど。
大きなため息が出る。約束は守らなければならない。彼女は近いうちに紋章をもらいにやってくるだろう。その時に、自分は彼女の目の前に堂々と立てる自信がない。また目前で逃げ出してしまうかもしれない。
そんなみっともない真似をしてしまいそうと分かっていても、体が、心が、怯えて逃げ出してしまいそうになっている。
『……夏桜』
「……午か……どうしたんだ?」
『彼女は……【何】ですか?』
「?」
『あの時の彼女のあの力……あれは……――』
何かを言おうとした午の言葉を、割って入った声がとめる。
『――お主が今の【朱雀】を好きなのは理解しておるが、であるからと言って女子の秘密をそうペラペラと喋るものではないぞ?』
にょろん、と床を這いずりながら近づいてきた巳の神使に、夏桜と午が視線を下に向ける。夏桜はしゃがみ込んで腕を差し出せばその腕に絡まりながら巳の神使は登り、首に緩く巻きつく。
『ま、秘密と言っても大した秘密ではないんだがの』
そう言いながらケタケタと笑う巳の神使に夏桜はため息をつく。この、年寄りのような神使はこちらを揶揄うのがよほど好きなのか、よくこうして弄ばれる。
『それよりも、女子に負けた今の気持ちはどうじゃ、夏桜よ』
「気分が良い訳がないとわかっていて聞くのは、意地が悪いぞ、爺さん」
『ほっほっ、もちろん、わかった上で聞いておるからの。それで? お主は自覚できたのかの?』
その言葉に、何もいえなくなる。元々、自覚はしていた。けれどそれは、己の力の強さを自覚した上での事実であり、それを“傲慢さ”に結びつけることができていなかっただけであるが。
強さが全てのこの国で、たった一人の少女に負けた事実が認められなかった。だからこそ、激昂し、それに充てられた国民の一部が自分に同調してしまったのだ。
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