第77話

俯いてしまった珠璃に巳の神使はふむと考える。気づけばポテポテと近づいてきていた未の神使が珠璃に寄り添うように体を落とした。ふかふかの毛がなくなって少し手触りが寂しいと感じながらも珠璃はそばに来てくれた未の神使にもたれかかる。



『眠いのぉ? もたれかかって眠ってもいいよ〜?』


「……眠い、の、でしょうか……?」



 受け入れることのできない現実を、未だに飲み込むことができていない。そんなこと、わかっている。けれど。


 諦めることもまた、できない。だからこそ、何が起こるかもわからない、みんなが無謀だということをやっているのだ。



『珠璃は、疲れているんだよ。ほら、目を閉じて。深呼吸して。ゆっくりと意識を落として』



 耳に心地のいい声が、体の内側にまで侵入して眠気を誘ってくる。しゅるりと巳の神使が首から離れたのを自覚する。



「……私には、しなければならないことが、あって……」


『うむ。じゃが、一休みした後でもできることであろう?』


「私の、我儘のせいで……迷惑をかけていて……」


『迷惑なんて、かけてなんぼだよぉ〜。気にしな〜い気にしな〜い』


「……私の、せいで……」


『何、幸い、この国での負傷者は夏桜という馬鹿者だけじゃ。それもただ己の誇りを砕かれただけのこと。傲慢さを打ち砕いてくれた珠璃には感謝しかないのだからのぅ』



 受け入れられていると感じられる、言葉。優しい声。自分を否定しない存在。


 瞼が落ちる。一緒に涙が一筋、頬を滑り落ちていった。





 眠った珠璃に、巳と未の神使はふう、と息を吐き出した。


 過酷な運命を背負っているこの女性を、どうやったら助けることができるのだろうと思わず考えるが、自分達にできることなどほとんどない。【四神】と違って、神使である彼らは、むやみやたらと国を空けることができないのだから。


 目を閉じて規則正しい寝息を立てる珠璃を見て巳の神使はくっと頭をもたげるようにして珠璃の頬に寄せ、そのまま擦り寄った。



『……珠璃は、隠したがっていたねぇ……』


『距離ができると考えているんじゃろうな。それは間違っておらんしの』


『でも、ずっとこのままってわけにはいかないんじゃない?』


『自ら言うことはないであろうが、気づかれ、聞かれれば肯定はするじゃろうな』


『それって、一番苦しい状況にならない?』


『どうであろうな……あとは周りの奴らの反応と態度であると思うぞ』


『ところで、朱雀は本当に負けたの??』


『ああ、負けた。間違いない』


『へへ〜っ、ざまあみろぉ〜』


『……ま、朱雀が負けて悔しがるのは午ぐらいじゃろう』


『ムカついてたんだよね〜。何様のつもりなんだろうってずっと思ってたんだよね〜。めっちゃ下に見られているような気がしてて、いっぺん本気でどついてやろうかと思ってたよ』


『……う、うむ……』



 のんびりと穏やかそうに見えるこの未は実は一番厄介な神使であり、扱いづらい存在であることを、夏桜は知っているはずなのにずっと見て見ぬ振りをしている。そのことにため息をつきたくなったのは何度もあるが言葉で言ってもわかってもらえないことも理解していたためあえて何も言わず見守っていたのだ。結局、夏桜は一切を知らぬふりをしていたが。


 珠璃にこれほど心開き懐いているのが珍しいのだ。


 そもそも、彼の毛刈りに関しても、もちろん朱雀という地位にいる夏桜に擦り寄る女性ばかりだったのもあるが、一番はこの神使が気に入らず、毛刈りをさせなかったのが原因である。近づく人間を威嚇しまくって近づけさせなかったのは他でもない彼本人である。


 そんな未が珠璃という人間にあった瞬間、今までの警戒と威嚇はなんだったのかと言いたくなるほどべったりとなった。一番その変化に驚いたのは長年ともに過ごしていた巳の神使である。



『お主は、最初から彼女に好感を持ておったのぉ……』


『巳にもわかるでしょう? この子がそばにいてくれるのは、すごく心地がいい』


『もちろん、わかっておるが……』


『珠璃と一緒に城下町に行って、ご飯も手ずから食べさせてもらったなんてずるいよね?』


『…………根にもつのぉ……お主の方がよほど蛇っぽいぞ……』


『失礼な』



 その言葉が既にワシに対しての失礼じゃわ、と言いたかったがもう面倒臭くなったため、そのまま黙殺することにした。





 体がゆらゆらと揺れているのを自覚した。ふと意識が浮上する。視界に映るのは、見覚えのある上品な衣。



「……春嘉、さん……?」


「目が覚めてしまいましたか?」


「どして……」


「小鳥が騒いでいましたよ。とりあえず、心当たりのある場所を探していたら神使様の部屋で眠っているのを見つけたので、勝手で申し訳ないのですが、部屋に移動中です。小鳥も待っていますし」



 そうなのか、と思いながらも珠璃は微かに揺れるその振動が心地よくてそのまま瞼が落ちていく。



「まだ寝ていても大丈夫ですよ、珠璃」


「……でも、迷惑を……」


「そんなことは思っていないので。大丈夫です」


「……春嘉さん……」


「なんですか?」


「…………ごめんなさい……」


「……」



 そう言って、珠璃はそのまま再び目を閉じた。

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