第74話

背中を向けて歩いていく後ろ姿を見て呆然としてしまう。


 何も感じないのに。そう、何も感じないのだ。彼女からの力を。何も感じない。それなのに、負けた。それも、完全敗北という形で。


 この【中の国】で一番の武人と歌われる己が。



「――こんな勝負、こんな勝敗、認められるかっ!!」



 観客が騒ぎ出す。その状況にようやくハッとした朱雀は己の失敗を悟った。一番強い者がこの国を治めている。そしてその者が【朱雀】という地位についているのだ。そんな自分達の頭があのような少女に負けたというのは、【南夏国】の国民が受け入れられるはずがないのだ。


 この騒動がおこる前に、朱雀は宣言しなければならなかった。己の負けを。珠璃の勝利を。けれど、朱雀の方も負けを認めたくないという誇りが邪魔をして無駄に戦いを長引かせ、そして負けという事実に思考放棄してしまった。


 観客席から、それなりにガタイのいい男が飛び降りる。幸い、手に武器は持っていないが、それでも華奢な見た目の珠璃とは対照的なのはわかる。珠璃に向かって駆けていき、拳をふりかぶっている。



「!? 待てっ!!」



 声を上げたぐらいで止められるはずがないことはわかっていたけれど、それでも思わず声が上がった。ただ止めたい一心だった。けれど、頭に血が上った相手にはそんなことは無意味だとわかってもいた。だからこそ、声を上げてすぐに体を動かし、珠璃を守るために間に入ろうとしたのに。



「――国の品格を、落とすような行為は感心しません」



 そう言って、珠璃は振り向きざまに相手の攻撃をすらりと躱し、そして強く踏み込んでから相手の腹部を思い切り殴りつけた。


 反動で珠璃自身も少しよろけたが、それでも相手が三歩分ほどは後ろに吹っ飛んだのを見て、朱雀は何も言えなくなる。伸ばした手もそのままに、固まってしまう。



「……まだ、納得のいかない人がいるのなら、降りてきて私に勝負を挑みなさい!! 全てを相手してやるっ!!」



 怒り。当たり前だ。彼女は、正々堂々と戦い、勝ちを握りしめたのだ。それを、ただ納得がいかないという理由だけで文句をつけられたら誰だって怒りをもつに決まっている。


 会場内が静まり返る。


 これ以上、ここにいても無駄だと察した珠璃はそのまま背を向けて、控室の方へと戻っていった。



『珠璃!』


「……小鳥さん……?」


『無理したでしょう!? 珠璃!』



 翼を羽ばたかせて目の前を飛んでいる小鳥の姿がぼやけている。耳鳴りもしている。無理をしたのは明らかで、顔色だって青さを通り越して真っ白に染まっている。今更ながらに体が震えて、歩行が難しくなってしまう。



『珠璃!!』



 ふらり、と体が傾く。もう、これ以上は自分の力ではどうにもならない。地面に体を叩きつけるのを覚悟で意識を手放した時、倒れる体を優しく受け止めてくれる存在がいた。珠璃の様子を見て焦って声をあげ、呼びかけてくれているのに、それに応えることができない。それに、申し訳なさを覚えながらも、珠璃は意識を手放すしかできなかった。





 慌てた。そんな言葉では言い表せないほど心の臓が嫌な走り方をしていた。会場で戦闘の様子を見ていた春嘉と小鳥は試合が終わったのと同時に珠璃に与えられた控え室に向かって走り出していたが、その途中でフラフラとしている珠璃を見つけ、小鳥が先に飛び立っていったのを見つめつつ、距離を詰め、あともう少しでと言うところで珠璃の体が傾いたのを自覚し、慌てて手を伸ばしてその体を受け止めた。


 蒼白になった顔をみて春嘉は慌てたが、小鳥が大丈夫だからと宥めてくれたのを聞いて少しだけ落ち着く。小鳥がそういうのならば、とりあえずは大丈夫だろう。過ごしてきた時間は長くはないが、短くもない。この小鳥がどれだけ珠璃を心配してるのかというのは理解しているつもりだ。


 珠璃の体に触れて、そのまま横抱きにする。華奢な見た目と同じで、珠璃はとても軽い。今まで、【中の国】の端でひっそりと暮らしていたという話を裏付けるように、彼女の体はあまりにも軽かった。春嘉の国とこの国でできるだけ食事をしてもらったとはいえ、一朝一夕に重さは増えるものではない。


 珠璃のあまりの軽さにため息をつきながらとりあえず、控え室に行こうと控え室に向かう。しかし控え室には横になれる場所はなく、仕方がないと春嘉はそのまま会場を出ていくため、珠璃を横抱きに抱えたまま移動した。肩には小鳥がちょこんと乗っており、心配そうに珠璃を見つめている。そんなふうに珠璃を心配してくれている小鳥の存在をありがたいと思いながら、会場を出るための扉を見つけ、そこから出ようとしたが、その前に扉に立ちはだかる複数の人間を見、春嘉は足を止めた。



「……何か?」


「その女を置いていってくれ」


「何故」


「朱雀様が負けるはずがない。何かインチキをしたに違いない」


「……あの試合を見て、そんな言葉が出ることに驚きを隠せませんが」


「おまえら青龍の国の人間に、我らの誇りなどわかるはずがないだろう!! 軟弱者の国の人間なぞに……ッ!!」


「……軟弱者、ね」


「とにかく、その女には聞きたいことが多くある。置いていけ」


「お断りしましょう。彼女は朱雀との試合で疲れていますし。そもそも、正々堂々と戦っていたのはあの会場にいた人間ならば誰が見てもわかるはずのことです。それに難癖つけて、己の頂点にたつものの勝利を勝ち取ろうとしているその考えが【弱者】のする行動だと何故理解できないのかがわかりませんが?」


「なっ!」



 春嘉の言葉に、扉の前に立ちはだかった複数人が苛立ちをあらわにする。思わず、ため息をついた。

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