第66話

珠璃はプイッと春嘉から顔を逸らす。



「私だって、引けない訳があるんです。絶対に諦めません!」


「……ええ、あなたは、そう言うと思っていましたよ」



 背中をむけてその場を後にした珠璃に、春嘉は小さくそう言葉をこぼしたのだった。


 その様子を見ていた朱雀が、春嘉に言葉を投げる。



「……お前、珠璃の体のどこに青龍の紋章を与えたんだ?」



 朱雀のその質問に、春嘉は黙る。朱雀から背けていた顔を彼にもう一度向き直るために体ごと朱雀の方へと向かせる。


 春嘉のその表情を見た朱雀は、息を呑んだ。



「――それは、あなたが珠璃に紋章を与えるときに珠璃本人から聞けばいいことですね」



 【東春国】の人間らしく、春嘉は周りから感嘆のため息がこぼれ落ちてしまうほど、妖艶な笑みを朱雀に向けて、そのまま朱雀の横を通り過ぎた。


 そんな春嘉の笑みに、朱雀は少し悔しくなる。



「……紋章を与える時ではない瞬間に……俺が試合で勝った暁には珠璃に全てをこの手に収めることになるんだから、そのときにでも聞いてやるさ」



 せいぜい、お前が惚れた女が他の男のモノになる瞬間を目に焼き付けておけと、朱雀は獰猛な笑みをのせ、彼もその場を離れたのだった。








『ねえ、珠璃』


「ん?」


『珠璃は、やっぱり朱雀に勝つ気でいるんだよね?』


「そりゃ、ね? そうじゃなきゃ、あんな無謀な試合に挑んだりしないよ?」


『でも、朱雀は四神の中でも抜群の戦闘力を持っているんだよ? 春嘉には悪いけど、春嘉よりもよっぽど強い』


「それは、あの体つきの違いを見れば一目瞭然だけど……まあ、でもなんとかなるから、平気よ」


『その自信がどこからくるのか聞きたけど……』


「んー……そうね……まあ、私を育ててくれた方達のおかげかな?」


『……ねえ。本当に珠璃を育てた人たちは何者なの? 気になりすぎるんだけど……』


「すごい人たちだった。本当に、すごくて、憧れて、尊敬できる人たちだった。その人たちには、感謝しかできないわ」



 優しい表情でそう語った珠璃に、小鳥は「ピィ」と小さく鳴いて珠璃の肩に移動する。



『珠璃、自分を育ててくれた人の話をするとき、幸せそうだね。でも、とても悲しそう……』


「……幸せだった。すごく。でも、もう会えないと思うと、やっぱり悲しいから」



 大切な大切な【思い出】。誰にも奪われないように、誰にも奪わせように。必死に自分の中にある宝箱の中に仕舞い込んだもの。誰にも触れさせたくないし、触れさせる機会だって与えない。珠璃にとって一番の【心の支え】だから。大切に大切に仕舞い込んで、自分を奮い立たせるために、たまに覗き見る。



「……私は、とても臆病な人間だから……支えがないと、きっと立っていることもできなくなってしまう」


『珠璃……』



 珠璃のその言葉に、小鳥は言葉を飲み込んだ。


 自分達は、自分は、珠璃の心の支えになることはできていないのかと。本当はそう言葉にしたかった。けれど、できなかった。


 なぜだか、それは言ってはいけないことのような気がしたから。


 なぜだか、それを言ってしまうと、珠璃をすごく追い詰めてしまいそうな気がしたから。


 疑問と、焦燥と、落胆。それらの感情が表に出てしまわないよう、小鳥は「ピィ!」と無意味に鳴き声を上げる事しかできなかった。









「そういえば、ずっと疑問に思っていたのだけれど……」



 そう言ったのは珠璃だ。昨日に引き続き、珠璃たちは試合の観戦をしている。そう、ただ見ているだけなのだ。珠璃は参加の意思を示し、そして朱雀はそれを許可した、であれば、珠璃だって参加しなくてはならないはずなのだが、全くもってそう言った連絡もなければ声もかからない。疑問に思うのも仕方のないことだろう。


 珠璃の言葉に、そういえばそうだなと春嘉と小鳥も思い当たり、首を傾げた。参加しない方向でいってくれるのならばそれに越したことはないが、珠璃が参加するための許可を朱雀自身が出しているのを目の当たりにしているため、突如不参加になっているとは考えにくい。あれでも約束は必ず守る男だ。そう思い、春嘉が首を傾げたまま珠璃と同じように疑問を口にする。



「……言われてみれば、事前に参加するという事を朱雀が知っていたにも関わらず、何も言っていませんでしたね……。よくフラフラと意味もなく姿を表すくせに」


「春嘉さん……言葉に棘があります……」


「おっと失礼…つい本音が」



 ニコッと笑顔を向けられながらそう言われても、本音と言われてしまうともう何を言っても無駄だと理解する。


 確かに二人の気は合わないんはよくわかるが、春嘉も朱雀も、それだけではないような気がするのは気のせいだろうかと首を傾げながら珠璃は試合を見つめる。


 ずっと一対一で戦っているから、おそらく勝ち抜き戦なのだろうと予測していたけれど、いつまでたっても呼ばれないことに不安を少し感じる。

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