第55話

次の日。珠璃は目覚めてから目の前に小さく丸くなっている小鳥を認めて少しだけほっとする。体を起こしてぐっと伸ばし、そのまま寝台の上から降りる。身支度を簡単の整えてからそっと部屋を抜け出して屋敷の廊下に出た。特にいくあてもないけれど、テクテクと屋敷の中を歩いていくと、不思議な部屋に辿り着いたことにふと意識は冷めるような感覚になる。多少首を傾げながらもそっとその部屋の中に入った珠璃は、そのままぽかんと呆けた。


 部屋の中心には丸くなっている何かが存在している。というか、なぜ部屋の中にいるのかという疑問を持ってしまうが、それはもうどうでもいい。



「…………え、もしかして、神使さま……?」



 もしかしてとか言いつつも、それ以外に考えられないのだが、どこかで現実逃避をしたいと思っているからなのか、思わずそんな言葉が口をついてしまった。


 部屋の中心で丸くなっているのはもふもふの真っ白い毛玉、といっても過言ではない生き物。そろそろと近づいていけば、その毛玉の上には細長い生き物も確認できる。


 なぜここでこんな風にくつろいでいるのだろうか、と思いつつも、気持ちよさそうに眠っているその存在に、珠璃は少し離れたところからじっと見つめることしかできなかった。



『……あまり見るでない……』


「わ、すみません」



 突然聞こえてきた声に少し驚きながらも素直に謝罪をした珠璃に、毛玉の上に乗っていた細長い生き物がくいっと頭を上げてそのままその鋭い動向で珠璃を見た。


 毛玉と違い、つるりとした表面は鱗に覆われていて、あまり暖かそうではない。いや、この常夏の国ではある意味普通と言うべきなのか推しれないけれども。



『……お主は、朱雀に紋章をもらいにきた人間だな?』


「そうです」


『何もあのような無謀なことをせずとも良かったのではないか?』


「それが達成できなかったら確かにそうかもしれないですけれど、それでも朱雀がそれを望んだということは、朱雀としてはそうして勝ち取った方が紋章も与えやすいのかと思いまして。もともと私のわがままですから、十分に譲歩してくれたんだと思います」


『そこまでわかっていながら、それでもお主はその道を突き進むのか?』


「そうですね……ええ、そうです。私は私のわがままのために、こうして周りに迷惑を掛けても突き進みます」


『……意思はかたいようだな』


「すみません。……ところで、どうして神使様たちはここでくつろいでいらっしゃるのですか?」


『暑いからだ』


「………え?」



 あまりにもはっきりと当たり前のことを言われた珠璃は反応に困った。常夏の国なのだから、暑いのは当たり前なのでは? と思うが、神使は当然のように言葉を紡いだ。



『暑すぎるのは体に毒だと思わぬか?』


「……いや、まあ、言いたいことはよく分かりますけど……」


『ここに居れば、朱雀があくせくと世話をしてくれるからな。居心地が良うて離れなれなくなった』



 それよりも朱雀が世話をしているということの方が驚きなんですけど、と思いつつとりあえずはその言葉は飲み込んだ。



『わしはまだ良いがの。未は厳しかろう?』


「まあ、そんなモッフモフだと、動くことすら嫌にはなりますよね……」



 べしょーん、と床に体をくっつけていまだにじっと固まっていう毛玉――未の神使を珠璃は見た。先程から本当にピクリとも動いてないのを見るに、相当なのだろうと想像する。



「……あの、朱雀は未の神使様のその毛をどうしているのですか?」


『基本はこのままじゃな』


「…………あまりよろしくない状況なんですね……」


『うむ。何度かそう言っておるのだがな。細かい作業にとことん向いていないと己で宣言しおったわ』


「それはそれでどうなんだろう……あの、お付きの人とか、それこそ女性の方に頼むとかもされないんですか?」


『何度かは行っていたようだがの。ま、皆あやつの立場にくらんでついてきたものばかりだから、役に立たなんだな』


「…………………あの、私がやりましょうか?」


『本当にっ!?』


「うわっ!?」



 珠璃の言葉にいち早く反応したのは、先ほどまで本当に生きているのだろうかと疑問を隠せなかった未の神使である。ガバッと想像もできないほどの俊敏さで立ち上がり、そのままのすのすのすっ、と珠璃の近くまで近づいてきた。おおう、と少しだけ体が逃げてしまったが、未の神使は期待を込めたつぶらな瞳でじーっと珠璃を見ている。


 やりましょうかといった手前、やるのはやぶさかではないし、田舎暮らしがあったおかげでそういったことには多少は慣れているから大丈夫だとは思うけれど、今すぐにやれるかと言われればそれは否である。とにかく、自己判断で進めていけない事柄なので、朱雀に先に伺い立てなければいけないのだが、未の神使はそういったことも一切合切無視して、早く早くと言わんばかりに珠璃を見つめていた。



「……あの、別にやるのは本当にいいんです。問題はありませんが、その前に朱雀にちゃんと聞いてこないと……」


『気にしない。許すから!』


「……いや、あの……」


『刈って! 体が重いし、暑苦しい! むしろこの暑さの中こんなモッフモフの状態で生きていることを褒めて!』



 それはたしかにそうだよね、と珠璃が遠い目をしてしまった。

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