第54話

筆を貸してくださいと言った珠璃に、それはそうかと思い当たり、朱雀はすぐに筆を持って来させると珠璃にそのまま渡す。本当ならば机の上で書きたかったのだろうがまるでそれを阻止するかのように春嘉が立ち塞がっていて書けそうもないと判断した珠璃は朱雀に向く。



「大変失礼なことを申し上げますが、背中、貸してください」


「……は?」


「いいから後を向いてください。あ、後ろから刺される心配をしているのなら、利き手にに短刀でも持って私をすぐに刺せるように準備していただいても結構です」


「いや、別にそんなことは思っていないが……」



 なぜ背中? と思ってしまったのは仕方がないことだろう。朱雀は疑問符を浮かべながらも珠璃に言われた通り、背中をくるりと見せればテクテクと寄ってきた珠璃がそのまま朱雀の背中に紙を貼り付けるようにして抑え、そのままそこで己の名前を書き始めた。


 流石にそんなことをする為に自分の体が使われるとは思っていなかった朱雀は驚愕を隠せない。しかし、そんな朱雀を気にすることなく淡々と己の名前を書いて、そのままその紙を朱雀に突き出した珠璃はキョトンとした表情で朱雀を見ていた。



「お前………っ!!」



 肩を、体を小刻みに振るわせている朱雀に珠璃が「え?」と小さく声を出すが朱雀はそれ以上何も言えない。耐えきれなかった笑いが出てしまい、結局は大声を上げて笑ってしまった。



「俺をこんなふうに使う女、初めてだ!! 面白い、気にいった!!」


「……気に入られても困りますけど……」


「いいだろう、お前に俺の名を呼ぶ権威を与えてやるよ」


「え、いや。いりません」


「遠慮するな。滅多にこんな機会はないんだからな!」


「いや、本当に遠慮します。さ、もう寝ようかな」


「まあ待て。別にその代わりの前に名を呼ぶ権利をよこせなんて言わねぇよ。とにかく聞いていけ。俺の名は【夏桜かおう】。この【南夏国】を統べる、四神が一人・朱雀である」



 そう言って、朱雀――夏桜と名乗った男はそのまま言うだけ言って部屋を後にしてしまった。嵐のような人だなと思いながらも珠璃はくるりと後ろを振り向いて、あ、と思い出す。視線の先には体を震えさせている春嘉がいて、その春嘉の頭の上で、小鳥も同じように体をブルブルと震えさせていた。


 あー、とどうやって何を言おうかと悩みつつも、ここまできたらいっそ開き直るしかないかと思い至り、珠璃は言葉を紡いだ。



「そう言うことなので、よろしくお願いします」


「どう言うことなのかとか説明を求められるとでも思っているんですかね? 珠璃は。今あなたが一番しなければならないのはすぐに朱雀にところへ行き、大会の出場を取り消すことですよ?」


「いやですよ。紋章をもらえる絶好の機会なのに」


「あなたは! この武闘大会がどれほど危険なのかわかっていないからそう言うのです!! 朱雀も先ほど言っていたでしょう!? この国は血気盛んな者が多い。そのために開かれる大会なんです。それ相応の実力を持っていなと、すぐに負けてあっさりと終わりなんですよ!?」


「負けたら負けたで別の方法を考えればいいだけですし。あの人も言ってましたけど、別に死ぬわけではありませんから」


「あなたは、我が国で受けた傷がまだ完全に完治していないことをお忘れですか!? 傷がひどくならない可能性がないわけではないんですよ!?」


「ほとんど塞がっていますから。大丈夫です」


「珠璃!」


「なんなら別にここで服脱いでもいいですけど」


「恥じらいを持ってください!!」



 えー、と思いつつ、珠璃はどうやって春嘉を言いくるめようかと悩んでしまう。春嘉の頭の上に乗っている小鳥がいまだに何も言わないのが気になるけれど、それはもう横に置いておこう。


 今はとにかく、春嘉をどうにかするのが先だ。



「何度も言いますけど、私は私の目的のために生きているんです。それを実行するためには、この紋章集めをしないといけない。だから私は紋章集めをしているんです。四神が尊いといわれるこの世界で、あなたたちに敬意を払わない私が異端に見えてしまうのは仕方がないと思いますけど、たとえあなたが神様だからといって、私の考えや感情、思考、生き方、とにかく、私のすべてに関与なんてさせません」


「!!」


「私は私のためにしか生きていないので、それ以上のことを求められても困ります。もちろん、困ったことがあれば力になりたいと思ういますし、できる範囲での手助けはしますけど、それも全て私が決めたからこその行動であり、誰かに強制される覚えも、いわれもありません」



 はっきりとした言葉に、春嘉が何も言えなくなってしまう。しっかりと自分を持ち、周りに流されることなく生きている目の前の少女を、眩しいとさえ感じてしまう。


 それでも、危険なことに自ら行かないでほしいと思うのは、別に春嘉の四神としての感情ではなく、純粋に春嘉という一個人の思いである。


 だからこそ、危ないことをしてほしくないのだが。それがなかなか珠璃に伝わらなくてもどかしい思いを感じてしまう。



「珠璃」


『……わかった。珠璃がそう言うのなら、もう何もいわない』



 ようやく、小鳥が言葉を紡いだ。



『でも、お願いだからわかって、ボクも、青龍も、珠璃が心配だからこうしてうるさくしているんだ。珠璃のことを案じているから言うんだよ』


「……うん。ありがとう」


『珠璃は一人じゃないんだよ。そこのとだけは、ちゃんとわかって欲しい……』


「つもりにならないように、私も努力する」


『……うん。珠璃、ごめんね』


「なんで謝るの? 私が謝らなきゃいけないことだよ。ごめんね。わがままばかりで。でも、それでも、私はどうしても譲れないことなの」


『わかった……』



 しゅーんと落ち込んだ小鳥を見て、珠璃は春嘉に近づいてく。春嘉も珠璃の行動に理解して自分の頭の上から小鳥をそっと手に乗せてそのまま珠璃に差し出した。両手で受け取るようにして小鳥を自分の手に乗せた珠璃は、そのまま手を持ち上げて自分の頬で小鳥さんに頬ずりをする。ふわふわとした柔らかな羽毛を感じながら、珠璃はしばらくその行動をして、一旦離れる。



「心配してくれて、ありがとう。小鳥さん。春嘉さんも」



 そういって、少しだけ泣きそうな表情の珠璃を見て、二人はそれ以上、何も言えなくなったのだった。

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