第45話
「……珠璃、わたしたち四神の紋章を欲するというのはどう言う事なのか、本当にわかっているのですか?」
「いいえ?」
「分かっているのなら………えっ?」
「知りません。私は何も」
「……珠璃?」
「ただ行けと言われたから来た。そして、それを集めれば私は、私の願いを口にしてもいい権利を得られる。それだけの事実しかありません。私の中には」
「っ! そんなことのために、あなたが危険を冒すことなど……っ!」
思わずなのだろう。声を上げてしまった春嘉ははっとしたように口元に手を当てて押さえる。それでも言ってしまった言葉はもう取り戻せない。珠璃を見つめるしかできなくなった春嘉に、珠璃は少しだけ驚いたのだ。
春嘉の言葉から推察するのならば、きっと、こうして珠璃が四神の紋章を集めていること自体が危険なのだろう。集めた先に何があるのかなんてわからない。【その先】をわかっていないからこそ、春嘉は怒っているのだ。そう、珠璃に対して怒ってくれてのだ。
それが、どれだけありがたいことなのか。
珠璃は知っている。
だからこそ。
泣き笑いのような表情しか、春嘉に返せなかった。
「危険があるなんて知りませんでした。本当に……私は突然巻き込まれただけの民間人ですから。けれど、【神託】は私に下ったと言われました。だからこそ、四神の紋章を集めてくることが義務なのだと。そう言う風に言われました。だから私はここにいるんです」
迷いのない瞳でそう言い切った珠璃に、春嘉は戸惑いを隠せない。
【突然巻き込まれた】、【民間人】。その言葉だけで、珠璃が今までどのような生活をしていたのかが窺える。本来ならば自分と出会うこともなかったような少女なのだろう。慎ましく、静かに平穏な暮らしに身を置いていたに違いない。それなのに、【神託】という厄介なものに選ばれてしまったが故に、彼女のその平和は崩れ去ったのだ。
叫んでも届かないと理解しているからこそ、彼女は受け入れた。
泣いても仕方がないと知っているから、彼女は涙を流さない。
言葉を全て、飲み込んでしまう。
(……優しくしたい)
湧き上がった感情は、そんな感情。胸の奥が優しい暖かさで包まれ、自分にもこんな気持ちを持つことができるのかと思わず考えてしまう。
そっと手を伸ばし、その焦げ茶の髪を優しく撫でる。それに驚いたように目を見開いた目の前の彼女と視線が混じり合い、春嘉はどう言う表情をしてあげればいいのかわからない。わからないけれど、珠璃を安心させてあげたいと、そう思ったら、笑みが自然と浮かんだ。
そんな春嘉の表情を見て、珠璃はどうすればいいのかわからなくなる。戸惑いが大きい。
どうして、そんな優しい表情で、瞳で、見つめてくるのか。
そんな優しい表情で、瞳で、見つめられても、私は何も返せない。体が硬直する。困惑が大きくなって、戸惑い、気持ちが先に逃げ始めて、そうして、私自身も逃げてしまう。
頭の上に置かれ、優しく上から下に何度も撫でられているその手が、暖かいと知っていたはずなのにそれを再認識させられる。それを認識してしまっては、珠璃は、逃げることが難しくなってしまう。
だからこそ、彼女の咄嗟の無意識の行動は、それだけ彼女が何かに怯えていると言う証明でもあって。
「……珠璃……?」
驚いた表情の春嘉が目の前にいて、珠璃は、自分が何をしたのかが理解できなかった。気づけば自分の頭の上には小鳥が乗っていて、珠璃を心配そうに声をあげて鳴いている。自分の状況を理解したのは、目の前にいる春嘉が、手を押さえているのが目に入ったからだ。顔から、頭から、さっと血の気が引いたのはいうまでもない。
珠璃は慌てたように言葉を紡ぎ出す。
「ご、ごめんさない……っ! わ、私……!」
「……」
怯えている。そうだとわかるのはきっと自分だけではないと春嘉は思う。しかし、つい先ほど手をふり払われてしまった自分が近づくこともできないとわかっているため、手をこまねくような状況になってしまう。と。
『珠璃さん』
ぴょこん、と軽く跳躍を繰り返して近づいてきたその存在に、珠璃はホット胸を撫で下ろす。
『大丈夫ですか?』
「……大丈夫。ちょっと、びっくりしただけだから」
『……あまり、無理はなさらなでくださいね』
「ありがとう」
そう言って、珠璃はそのまましゃがみこんで兎の神使を撫でた。頭の腕に乗っている小鳥も鳴き声をあげて兎の神使の頭に飛び移り、自分もと言うようにズイズイと体を珠璃の手に寄せていく。
それに笑みをこぼしながら珠璃は指先で小鳥を優しく撫でくりまわしたのだった。
そんな珠璃の様子を見てホッと安堵した春嘉は、では、と言葉を珠璃に投げかける。
それに反応した珠璃が顔をあげて春嘉を見上げた。
「約束通り、あなたに【紋章】を差し上げます」
「! ありがとうございます」
春嘉の言葉に珠璃がハッとしたように体を揺らし、慌てて立ち上がった。
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