第42話
沈黙が落ちる。誰も何も言えなくなる。珠璃は兎の神使を抱えたまま動かない。春嘉と晟の距離はいまだに近い。鈴は、涙を流し続けている。
どうしてこんなことになっているのか理解ができない。どうして、兄は、あんなも【青龍】に固執しているのだろう。あんなにも、春嘉のことを大切にしていたのに。大切にしているからこそなのだろうか。いや、ちがう。そう違うのだ。
きっと、以前から疑問に思っていたのだろう。どうして自分ではなく春嘉がと。だからこそ、このような行動に移してしまったのだ。
わかりたくなかった事実。知りたくなかった現実。けれど、それが目の前で繰り広げられているため、逃避も出来ない。
兄が大好きだった。そんな兄を慕ってくれている春嘉も。それなのに、その間に今は亀裂が入り、ひびとなって壊れていく。
そんなことを、頭の中でぐるぐると考えている鈴を、珠璃は横目でそっと盗み見て、理解する。
(…………なんで、こんなにも綺麗なんだろう……)
そう、感じた。
人を思うことができる鈴が羨ましいとすら感じる。珠璃は、もうそんなことができる余裕など自分にないことを知っている。だからこそ、それができる人が羨ましいと感じる。
両腕に力が無意識に入る。腕の中にいる兎の神使が体をぴくりと動かす。それに気づいたのか、頭の上にいた小鳥ももそっと小さく動く。小鳥の動きでハッとしたのか、珠璃の腕の力が弱くなる。
兎の神使は、珠璃を見上げた。今にも、泣き叫びたいだろう感情に蓋をして、表情を強張らせている。その表情を見せられて、兎の神使はぽむぽむと珠璃の腕をその前足で優しく撫でるように叩く。安心してくれという意味を込めて、大丈夫だよという意味を込めて――全てを背負わなくてもいいんだよという、意味を込めて。
その思いが届いたのか、わからないけれど、珠璃は微かに笑みを浮かべてくれる。
と、それまで沈黙をしていた晟が声を上げる。
「なんで……どうして……どうして春嘉なんだ……どうして春嘉でなければならなかったんだ……っ」
それは、とても苦しそうな声。そばにいなくてもわかるほどに体を震わせている。そんな晟をすぐそばで見ている春嘉が、その次にそばにいる鈴が、目を見開く。
「……ただ、助けたかっただけなんだ。別に、春嘉を殺したいとは思っていなかった。本当に……それなのに、突然、信託を与えられた娘が来て、春嘉は【青龍】という役目を自覚せざる終えなくなってしまった……、こんなのは、春嘉を悲しませるだけだ……苦しめるだけなんだ………っ!」
「晟兄さん……」
「お前を、弟のように思っていた。その気持ちに嘘偽りはない。だが、力を、権力を持つということはお前が一番恐れている【孤独】を背負うことになる。寂しがりやのお前が、そんな重たいものを背負わなくてもいいんだ……春嘉、お前には、それに耐えられるだけの気力はない……」
晟の言葉に、春嘉はああ、と納得してしまう。心配させてしまっていたのだ。いつもいつも、自分が弱気なことばかりを吐くから。いつもいつも、そばにいてくれる優しい兄である晟兄さん甘えていたから。それが、今回このような結果を生み出してしまったのだろう。
【春の宝珠】は、きっと晟が盗んだ。そう、珠璃の言う通り、最初からそんなことができるのは春嘉が信頼を置いている晟にしかできないことで、そして、その可能性を知っていたにもかかわらず、見ぬふり、知らぬふりをしていた。
けれど、それが結局このような悲しい形に変わってしまった。【可能性】の時点できちんと指摘していたのなら、事態はこれほど大きくならなかったのだろう。
これほど、目の前の大切な人が心を痛めることもなく、鈴も悲しい思いをすることもなかった。
「……【春の宝珠】はどこだ?」
そう言った春嘉は【青龍】として聞いた。いつまでも甘えていられない。きちんと一人で立つと言うことを、一人でも立ち上がることができるのだと晟にわかってもらわなからばならないから。
晟も、春嘉が【青龍】として立ち上がることを決めたその真剣な声音を聞いて、項垂れる。
ゆっくりと、首を左右に振った。
「本来ならば、俺がずっと持っていた。……けど、あの寅の神使を助けてから、唐突にどこかに消えてしまったんだ。それからは、行方がわからない……」
「……」
「あれは、明滅していた。俺が持っていることを許していなかったのだろう。……そのせいで、本来影響を与えてはいけないものに影響を与え、この国全体に迷惑をかけている。それが、あの寅の神使だ。あの者の暴走の原因は俺だろう」
ぽつりぽつりとこぼされる言葉を聞きながら、春嘉は静かに耳を傾ける。
そうしながら、思い出す。
――『【春の宝珠】、お前、すでに持っているのではないか?』
そう、言われた。寅の神使に。
あの時はなにを言っているのだと憤った。
けれど。
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