第34話
そんな寅の様子にもちろん気付いている珠璃は、そっと手を伸ばす。刀を持っている手ではなく、逆の手で、目の前の大きな体を撫でる。
「……あなたを、助けに来たわ」
『!!』
「大丈夫と言っても、きっと信じてもらえないということはわかっているわ。それでも、今だけでいいから、私に身を任せて。……お願い」
『……お、前……』
「あなた自身のためにも、あなたを信じている兎の神使のためにも」
そう言って、珠璃がふわりふわりと、寅の背を撫ぜる。何度も何度も、繰り返し繰り返し。
そうして、どのくらいの時間が経ったのだろう。ほんの数分、いや、もっと長い時間、いや違う、もっと短い。
時間感覚が全く分からない状態になりつつ、寅は己の体の異変を感じ取る。
『何だ……?』
声に、言葉に出すのに、それが何なのか全くわからない。けれど身体は確実に
違和感に体を動かせば、自分の意思の通りに動く。それに驚いて、思わず思い切り体を動かせば、先ほどまでの縛りがまるで嘘のように身体は自由に動かせる。何が起こったのか全くわからず、黄金の瞳を瞬かせていると、突然、自分の首元あたりに何かがしがみついてきた。
『と、寅〜っ!!』
『う、兎……っ?』
ガシッと自分にひっついてきたのは神使仲間である兎だった。何が起こったのか、未だにわからない状態で、寅は目を彷徨わせていると、少しだけ疲労の色を表情に乗せた一人の女と目が合う。どこにでもいそうなこげ茶の瞳を見れば、その視線に気付いた女も視線を交わらせて、弱々しく笑みをよこしてきた。
その態度に、あの苦痛から自分を救い上げてくれたのは彼女なのだと思った。だからこそ声をかけようとしたのだが。
「兎の神使様のお力添えのおかげで、ことなきを得られたようで安心いたしました」
そう言って、ペコリと頭を下げた彼女に寅は言葉を紡ぐことができない。
それにかぶせるように、兎が言葉を並べた。
『……あなたという存在がいてくださったからできたことです。本当に、ありがとうございます。珠璃さん』
兎の言葉に、寅は驚き思わず兎をいるが、真紅の瞳を持つ兎はただただ真っ直ぐに珠璃を見つめている。そして珠璃も、兎を見つめていた。その様子に何もいえなくなった寅は黙ったままでいることしかできない。
ほんの少しの時間だけ、そうして見つめ合っていた彼女達はすぐにパッと視線をお互いに外す。兎の頭の上でずっと大人しくしていた小鳥は羽ばたいて珠璃の頭の上に戻り、兎は寅に向き直った。体に異常はないかと聞いてくれる兎に大丈夫だということを伝えて寅は立ち上がる。その時にはすでに珠璃は刀を元の持ち主である晟に返しに行っており、寅はどこかモヤモヤとした気持ちを抱えていることしかできない。
『……兎、先程のあれは……』
『彼女がそうしてほしいと。
『そんなハッタリで何とかなるものなのか』
『ハッタリはハッタリでも、ボクという神使の存在が関与しているので、問題ありませんよ。……それに、彼女は本当に知られる事を嫌がっていたようでしたから……』
兎の言葉を聞き、寅はもう一度その黄金の瞳を珠璃へと向ける。全身をすっぽりと覆う布を体にかけているため、どこか小さく感じる彼女に、寅はしばらく考え、そして動き出した。
のしのしと体を動かせば、兎がぴょこん! と跳ねて寅の背中に一気に跳躍し乗る。そのまま寅は珠璃に近づき、そっと彼女に自分の存在を認識させるためにその鼻を彼女にすり寄せた。
驚いたのか少しだけ体を揺らして後ろを振り向いた彼女に、寅はペコリと頭を下げる。
『お前のおかげで助かった。……感謝する』
「……いえ、私はお借りしただけですので」
『ああ。……それでも、お前の存在に助けられたことに変わりはない。だから、感謝する』
「……早く、他の方達にその姿を見せてあげてください。きっと安心されますから」
『ああ。だがその前に……』
そう言って、寅は視線を春嘉によこす。突然黄金に見つめられた春嘉は体を震わせる。萌黄色の瞳が困惑と拒絶を乗せ、それに自身でも気づいた春嘉は視線をぱっと別の方へと向けた。
そんな春嘉の態度に、そうだろうなと内心で思いながらも寅は伝えなければならないことを春嘉に対して述べた。
『ここに【春の宝珠】はない。おそらく別のところに持っていかれた』
「なっ!?」
『探しているだろう? 協力する』
「……いえ、ですが……」
『気にしていることもあるのだろう。こちらを拒絶している理由だってわかっている。だがあえて言う。ここは一度、耐えてはくれないか? 終わった後に、お前の言う言葉をなんでも理解し、それを守ると約束しよう』
「…………」
突然のその言葉に、春嘉の方が戸惑い、そして黙してしまう。
どうすればいいのかわからず、けれどこのままではいけないということも理解しているため、なんとかして口を動かそうと試みるも、なかなか難しい。心なしか、体の中心がずしっと重みを感じてしまっている。
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