第16話
(……やっぱり、この人が“青龍”なのね)
片田舎に住んでいた珠璃も、かすかに噂に聞いたことはあった。
今代青龍は、濃紺の髪を持つ青年だと。瞳の色も噂と同じ萌黄色だし、なによりも、この人は自分の正体を隠そうというふうにはしていなかったと思う。
(ずっと、“我が国”とか“我民”とか言っていたもんね。そういうのは大体国の頂点に立つ人だけだよね……)
我が国、くらいは一般的な人も口にするかもしれないけれど流石に我民はそうそうは使わないだろう。それに最初に宿代わりに連れて行かれたあの屋敷だって、明らかに珠璃にしてみれば敷居が高い屋敷だった。そんなところで一晩寝泊りしただけでももしかしたら幸運だったのかもしれないと今更ながらに思いつき、珠璃はとりあえずあの時の布団の柔らかな感触などを忘れないようにしようとどうでもいいことを考える。
春嘉と鈴が睨み合っているのをそっと横目で見つつ、いつまでこの状態が続くのだろうと思わず考えながら、暇になった珠璃は頭の上に載っている小鳥に手を伸ばし掌に移動してもらう。指先で撫でたり突いたりをしながら、小鳥とわちゃわちゃと戯れながら春嘉達の反応待っていると、鈴がもう一度言葉を発する。
「兄と何度も言いましたが、あなたは優しすぎるのです。それがいけないこととはもちろん申しません。ですが、そのせいで見失っている物もあると何度言えばよろしいのでしょうか?」
「優しくあれと、教えられてきた。わたし達【四神】の持つ力は常人には理解しがたい力だって宿っている。それを制御するためには感情を己で律しなければならない。それをしやすいのが、他人に優しくすることなのだと。わたしは、そう教えられたのだ」
「たしかに、その言葉も心持ちも立派だと思います。ですが、今のこの国を見たら、先代や先祖の方々はきっと悲しまれるのではないですか?」
「……」
「こうして、ワタシが言いたい放題言っているのだって、あなたが力を示せていないからかもしれませんよ?」
「っ!!」
一瞬、それは本当に刹那の間だったが、それでも膨大な力のふくらみを感じた。珠璃はばっと小鳥を両手の中に閉じ込めて春嘉達の方を振り向く。そのせいで治療してもらった傷が痛みを訴えてきていることなどこの際どうでもいい。それよりも、身の危険を感じたのだ。
強い警戒を示した珠璃にハッとしたのか、力を一瞬出してしまった春嘉はすっとそれを消し去ってしまう。
なんとなく、怯えたような視線で見られているような気がして珠璃は視線を巡らせ、春嘉の萌黄色の瞳と視線が絡まる。
逸らしてはいけない、と本能的に察したのだ。だから、視線を逸らすことなく春嘉を見返せば、ほんの少しの驚きを含んだのを珠璃は見た。
「……あなたは、珠璃は、わたしが怖くはないのですか?」
「どうして」
「得体の知れないでしょう。あなたが求めていることに応えられるはずの身分地位にいるはずなのに、それをひた隠し、それでもあなたのそばにいようとする。愚かもの以外に何者でもありません」
「どうして怖いと思うと思ったの」
「……隠し事をする相手を、怖いと感じないのですか?」
「そんなことを言ったら、わたしは誰からも怖いと思われても仕方がないでしょうね」
「?」
珠璃の言葉に、春嘉が戸惑う気配が感じられる。
珠璃はそんな春嘉を見つめながら言葉を紡ぎ出した。
「言ったでしょう。私は言葉にしたい願いがあるから旅をしていると。私はそれを言葉にしたくてもできない。声に出せない。それは、あなたのいう隠し事と同じでしょう?」
「……ですが、」
「私が、怖いですか? 春嘉さん」
逆に言葉を返されて、春嘉は口ごもる。怖いなどと思うはずがない。
つい昨日、あの異形のものと対峙してくれた彼女のことを怖いと思うはずがない。民が恐怖に駆られ、珠璃に手をあげたのを見た瞬間、本当は感情が爆発しそうになった。それなのにそれができなかったのは春嘉自身が己の力の恐ろしさを理解しているからかも知れない。だからこそ、躊躇し、気づけば珠璃が標的になり、手を伸ばしても届くことがなかったのだ。
全身に傷を負って、避けられるはずの人の手からされる攻撃も全て受け止めて。己が身を犠牲にした目の前の少女を。
何故、怖いなどと思えるのだろうか。
「怖いはずがないでしょう、珠璃。むしろ、あなたのその強さに、わたしは……」
目を奪われ、憧れてしまったのだ。
どれほどの強い信念を持っていたら、立っていられるのだろうか。どれほどその気持ちが欲しいと願っても、もう春嘉には手に入れられないかも知れないと考えてしまうほど、臆病になってしまった。
「じゃあ、あなたを怖いと思うはずがないのでは?」
「珠璃……?」
「たしかに、人は力を誇示されれば恐怖を覚えてしまう。それが逆らえないほどの何かならば尚更。でも、それをして来なかったあなたをどうして怖いと感じられるのですか? あなたは、あんなにも私に手を伸ばし、助けようとしてくれていたのに」
珠璃のその言葉を聴いた瞬間、春嘉はハッと顔を上げた。
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