閑話
第38話
仕事なんて行きたくないと思いながらも生活していくためには仕方がないと自分に言い聞かせて体を動かしていた。
特に欲しいものがあるわけでもなく、おそらく、もともと物欲自体がなかったために貯金に回していく給料から必要な生活費だけを切り崩し、生活をする。
一人暮らしだから、適当に身についた料理のスキルだって、人様に振る舞えるほどの腕前ではない。
それでも。
――それでも、君がこの部屋に不可抗力でも飛び込んで来てくれたからこそ、生活に彩りが出て、毎日が楽しいと感じられるようになったのだ。
◯
「……草薙さん、大丈夫ですか?」
「……きにしないで。それよりも仕事に集中して」
「は、はい……書類をお持ちしたのですが……」
「空いてるところに置いておいて」
素っ気無い態度だと、誰かが言った。それでもそんなこと、今の自分には全く関係無くて。
販売の声が響くその中でも、たった一つの声だけはどこか元気がなくて。その声が見分けられる自分にも、嫌気が刺す。
(……姉妹なんだから仕方がないが、あそこまでそっくりじゃなくても)
そんな余計なことを考え始めた自分にハッとして首を左右に振る。今は仕事に集中しなければ。そう思えば思うほど、気が散っているような気もしてどこかにイライラをぶつけてしまいたいのにそれができない現状がもどかしい。
あの日。
綾ちゃんが何かしらの誤解を受けたあの日。必死に彼女を追いかけたけれど意外も意外、全くもって彼女に追いつくことができず、一人呆然と立ち尽くしてしまったのは、彼女を完全に見失ってしまってからだった。
どうすればいいのかわからなくて、追いかけたいのに追いかけることができない状況に半分絶望しつつ、それでもこの状況を招いた元凶をしっかりと理解しているがために、慌てて会社に戻った。
まだその元凶がいたため、思わず、そのまま拳を振りかぶってそいつをぶん殴る。
周りが騒然とし、店内からも悲鳴が上がる。
しかし、そんなことを気にする余裕もなかったのも事実だった。
「……なんで、そんなことができる」
「何のこと?」
「これ以上、彼女を傷つけるな!!」
「それはあんたには関係ないだろう? だって、俺と綾の問題だ。あんたは部外者でしかない」
「…っ、お前……っ!」
「俺が綾に何をしても、あいつは俺を責めない、責められるはずがない。俺のことを心の底から好きだからな。なら、その好意に応えてあげるのが俺の義務だ。そうだろう?」
「義務だと? あんなにも彼女の心を深く傷つけ、彼女に恐怖を擦り込み、臆病にさせることがお前の義務だとでも言うのか」
「そうだ。もっともっと傷付けばいい。もっももっと俺のことを考えればいい。もっと、もっともっともっと、周りを拒絶して、孤独になればいい、そうしてから、俺が綾を迎えに行く」
正気ではないその言葉に、言葉を失った。
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