第81話

「ま、……て、くだ、さ……っ、私は、そんな……生贄、なん…て……っ!」


「君は、自ら“生贄の湖”に飛び込んだだろう」


「そう、ですが……っ!」


「なら、君自身が、その身を生贄として捧げたんだ」


「……っ!?」


「君は、君自身で、その身を堕としたんだよ。君の意思で」



 頭が混乱する。


 何を言われているのだろう。


 彼は、一体何を言っているのだろう――?



「あそこが、“生贄の湖”と知っていたのに、なぜその事実を理解していない?」


「……!」


「不思議なことをしているな、白紅麗」


「わたし、は……」



 よくわからなくなってきた。


 混乱しすぎて、白紅麗はその場から走って逃げた。はしたないとわかっていても。衣の裾を上に引き上げて、足にまとわりつかないようにして。必死に走る。


 走って、走って。たどり着いたのは、リアムの屋敷。


 その事実に、白紅麗は愕然とする。



(ここが、私の逃げる場所と…………)



 ――認識しているのだろうか。


 その事実に怖くなる。手を伸ばして開けようとしていたその門扉から手を引く。


 息が苦しい。


 どこにいけばいいのかわからなくて、その場で呆然と立ち尽くしてしまう。



(私は……どうして…………)



 たった一月居ただけなのに。そう認識している自分が恐ろしい。


 門扉の前でしばらく立ち尽くして居た。すると、屋敷の中からロシュが出てくる。


 白紅麗は、ロシュをただ呆然と見つめるしかできない。ロシュは、何も言わなかった。何も話すことなく、無言で門扉を開き、白紅麗の手首を握る。そのまま、引きずるようにリアムの屋敷の中に白紅麗を連れて行く。

 その様子は、どこか怒っているように見えた。









 走り去っていく少女の後ろ姿を見つめながら、リアムは自身がとても酷いことをあの少女にしていると自覚して居た。だからこそ、追いかけなかった。いや、追いかけることができなかったのだ。


 好きだという気持ちを伝えただけで、こんなにも胸が苦しい。


 あの髪に触れて仕舞えば。


 あの肌に触れて仕舞えば。


 あの体を抱きしめて仕舞えば。


 もう、後戻りができなくなってしまうのだ。



「……逃げてくれ……我は……君を縛り付けたくないんだ……」



 自分勝手な思い。自分勝手な願い。


 それでも。


 この手から逃げられるうちに、逃げてもらわなければ。



「……何をしているんだ、我は……」



 短く、自嘲するような言葉と笑みが出てくる。


 走り去っていく後ろ姿が、目に焼き付いて離れなくなる。


 乱れる長い髪が、たくし上げられた衣から覗く、あの白い脚が。


 頭から離れない。

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