第47話

空を睨みつけていた帝は、突然、船に乗った影を睨む。その視線を受けて、影は少しだけ冷静さを取り戻しつつ、船を陸地へと近づけていく。


 同じように、帝が足音を大きく立てながら近づいた。


 陸地についた影は、殴られることを覚悟で船から降り、帝の前に膝をつく。しかし、いつまでたっても拳は飛んでこない。


 それを疑問に思い、影はそっと顔を上げる。


 そこには、今までに見たことのないほどの怒りをたたえた帝が立っている。その怒りに、恐怖を感じ、影は思わず顔を伏せる。直視できないほどのその表情に、影はどうすればいいのかわからなくなる。



「……お前は、俺の影だったな」


「……はい」


「では、俺が望めば、手を尽くすということだな」


「その、通りでございます」


「お前のその命を助けたのは俺だったな」


「はい」


「では、その命、俺のために使え」


「……帝……?」


「何が何でも、白紅麗を取り戻せ。何をしても、どんな手を使ってもだ」


「……!」



 思わず、再び顔を上げる。


 その栗色の瞳には、狂気に染まった男の顔。ただ一人の女を求めた、一人の男の顔が映る。



「何が何でも、白紅麗を俺のところへ連れてこい!!」



 そう怒鳴るように声を張り上げ、帝は影に背を向けた。帝が去るまで、影はその場から動けず、ただじっとしていた。


 帝の無茶苦茶な言葉を頭の中で繰り返す。


 それは、影にとってはどうすることもできない願いだった。


 しかし、帝がそれを望んでいるのだ。


 何が何でも、どんなことをしても、どん手を使ってでも、彼は白紅麗を自分の元へと連れてこいと言った。ならば、影はそれを実行しなければならない。


 そう、たとえ、周りがどうなろうとも。



 ――影は、それを為さねばならぬのだ。









「あっ、お帰りなさい!」


《ただいま》



 元気に声をかけてきたその存在に、優しい声音で答えながら、巨大な竜はその姿をどんどんと変えていく。


 小さな光の粒子をまといながら、降下し、そして、地上に降り立つ時には、“人型”になっていた。


 パタパタと駆け寄ってきた小さな男の子は、人型となったその存在に飛びつこうとして、しかし体を止める。


 その腕には、なぜか女の子を横抱きにしていたのだ。


 それに驚いて、その男の子は、その真紅の瞳を目一杯に見開いた。



「あ、あの、その女の子は……?」


「地上の湖で休んでいたら落ちてきたからそのまま拾ってきたんだ」


「……それって、“生贄の湖”ですか……?」


「ああ、もちろん」


「ですが、今はそこに落ちてきたものも、ここに連れてきてはいけないと……」



 しどろもどろになりながら、必死に言葉を紡ぐその小さな存在に、彼はふっと笑って答えた。



「知っている」



 たった一言、そう言ったのだ。

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