第84話
その日の夜。
白雪は夜空を見つめるために少しだけ外出をしていた。単姿に打ち掛けを簡単にかけた姿で屋敷の廊下に出る。縁側に座り込んでじっと夜空を見つめていた。
(……ここで見る夜空も、きっと現世で見る夜空も、変わらないんだろうな)
実際に左京院の屋敷の縁側で夜空を見上げたことなどないのだから想像でしかないけれど、それでも、こんなふうに星が瞬き、真っ暗な夜空を微かに照らし、そこにぽかりと柔らかな光を発している大きな月。
優しく包み込んでくれるようなその光に、無意識に胸がほっとしている。
白雪はゆっくりと目蓋を閉じて夜の静かで、それでも優しい空気に身を委ねる。
「――六花?」
そう声がかかって、目蓋を上げ、そちらを見つめれば、そこには“鬼さん”が立っていた。お風呂上がりなのだろうか。濡れた髪に手拭いを引っ掛けてこちらを見つめてくるその人みはほんのりと色気付いていて少しだけどきりとする。
「こんな夜遅くに、どうしたの? 眠れない?」
「……いえ、憧れていたことを、ここでさせていただこうと思いまして」
「憧れていたこと?」
「はい。……こうして、夜空を眺めることです」
「……それは、君が現世で“鬼姫”と言われていたから?」
「そうですね。きっと気にしなければいいことなのだと、思います。ですが、私にはできなかった。他人の目が怖かった。他人の言葉が怖かった。だから、ずっと部屋から出られなかったんです」
「そう」
そう言って、“鬼さん”は白雪のすぐ隣まできて腰を下ろす。
「……あなたは、私のこの行動を、責めないのですか?」
「責める必要はどこにもないからね」
「……そんなこと、初めて言われました」
「そう? ここでも変わり者だと自覚はしているけれど、君の中でも変わり者なのかな、私は」
「……いえ、少しだけ、心が軽くなりました」
「ならよかったかな」
ふふ、と笑ってくれる彼に、白雪もつられるように笑みを浮かべる。
しばらく、お互いに何も会話をすることなく、夜空を眺めて。そして、白雪がまた、言葉を発した。
「……あなたは、私にここに残れと、そうは言わないのですか?」
「強制するようなことではないからね」
「ですが、私は現世にいるべきではないと、そうお思いにはなるのでしょう?」
「いや。思わないね」
「え?」
「少なくとも、私はそうは思わない」
「な、なんで、ですか?」
「だって、あそこは君の生まれた世界だ。そして、ここは君からみればまったく違う世界。ここにいたいと願うこと自体がおかしなことだと、私は思うけれどね?」
その言葉に、白雪は思わず紅の瞳を見開いて、隣に座っている男性を凝視してしまった。
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