第76話

それでも、皇はそれができないと返した。それをするということは、柚葉という一人の人間を見捨てることと同義だから。せっかく手を伸ばし、助け出した彼女をこのまま切り捨てることなどできないのだ。


 同族にはあれほどまでに残酷になれるのに、いざその相手が違う種族――それも人間だと、何故こんなにも身動きができなくなるのだろうか。



「……頭領、オレたちは……間違ったことをしているんじゃないですか?」


「大和…?」


「このままにしていては、俺たちは何か大切なものを失う。そうなってからでは遅いと思うんです。だからこそ、今、決断しなければいけないような気がするんです」


「それは、お前も他の仲間と同じように、柚葉を切り捨てろと、そう言うのか?」


「……少なくとも、もう十分匿いました。ここにいてはわがままを助長させるだけです。彼女があそこまでになってしまったのは、多分、“皇”という人の後ろ盾があったから。オレや頭領が彼女を助けろと言っていたから。だから、ここにいる人は、どれほどの無理難題をふっかけられても断ることができずに、それらを叶え続けることしかできなかった」



 わかっている。だから、やめてくれ。



「このままでは、ここにわざわざ残ってくれている鸞が死んでしまいます。そんなこと、望んでなんていないでしょう」



 やめてくれ。それでは、まるで――。



「決断するべきです。別に、彼女を現世に返したとしても生きていけないわけではない。彼女はあくまで“白雪”という人の女房から外れただけです。探せば職を見つけることだってできるはず。このままここにいさせる理由も――どこにも、ありません」



 まるで――お前は、そんなこともできない無能なのかと、言われているようではないか。



「頭領!」


「うるさい!!」


「!?」


「うるさい、黙れ、黙れ黙れ黙れ!! 俺は…俺は……!!」


「頭領?」


「俺は、俺が、この鬼族の頭だ。俺が頭なんだ。なのに、なのになんで……なんでいつもいつもいつも…!!」


「落ち着いてください、頭領!」


「うるさい!」



 危機迫った表情で、まるで視線で射殺さんばかりに睨みつけている彼に、大和は戸惑いを隠せなかった。この人は、こんな人だっただろうかと、考えてしまうほどに軽く混乱する。


 それでも、その場でただ一人だけ、冷静な人物がいた。



「――ワタシ、まだお世話が残っております。失礼しますね」


「鸞!」



 呼び止めたのは大和だ。けれど、鸞は鬼族の象徴である紅の瞳で同じ瞳の色を持つ大和を見つめ返してニコッと笑った。



「小さな犠牲で大きなものを救うのも、勇気ですよ」



 そう言って、まだ自分よりも年下の少女は、そのままそこをさっていく。


 その場に残されたのは、呆然とそれを見送ってしまった大和と、なにかをずっとぶつぶつとまるで呪いにように呟いている皇だった。

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