第73話

『……では、俺たちはお前の名を軽々しく呼ばないほうがいいのか?』


「どう、なのでしょう。私は気にしないのですが、あの方が……」


「名乗れないのは悪いと思うけれど、名乗らないうちに相手の名を呼ぶのも失礼かと思ってね?」


『それは完全にお前の都合だな。では、お前はお前がこいつに与えた名前で呼び続ければいいだろう。俺たちはこいつの口から聞いた名前で呼ばせてもらう』


「えー……しょうがないなぁ…。じゃあ、私もそうするよ……」



 あからさまにガッカリとした様子を見せられて、どうすればいいのかわかなくなる。白雪はとりあえずダーランに提案をしてみた。



「ここにいるのは三日間だけなので、その間だけ、以前お伝えした名前ではなく、この方が私にくれた名前を呼んでいただくことはできませんか?」


『あのな……』


「三日間だけでいいのです。お願いします、ダーランさん」


『呼び捨てろと言っただろう…。わかった、お前がそこまでいうのならそうする。その名を教えろ、ただし、お前の口からいえ』


「え? はい、わかりました。えっと、六花です」


『はいはい。じゃあ、今から三日間はお前は六花だな。反応しろよ』


「う……が、がんばります」



 不安に思っていることがバレていると思ったが、なんとかそう言葉を返して、白雪はダーランの体に手を伸ばし、その毛皮を撫でた。見た目に反して柔らかくて気持ちの良いそれを白雪はすでに知っているため、思わず手が伸びてしまったのだが、ダーランもそんな白雪には何も言わずに好きなようにさせている。


 そんなダーランの様子に驚いたのは鬼の彼だった。



(そんなにも心許せる相手なのか、彼女は……)



 元来警戒心の強い種族の彼らがこれほどまでに懐いているのは珍しいことである。そのことに仕切りに感動し、無意味に頷きを繰り返していると、ダーランが青灰色の瞳に呆れを浮かべてふす、と小さくため息をついたのを、白雪は知らない。



「姫様ー……」



 その呼びかけにハッとして白雪が振り返れば一人ポツンと残された萩乃が心地悪そうに体をもぞもぞと動かしている。



「萩乃、ご、ごめんなさい!」


「それはいいんです。いいんですけど、せめて……」


「え?」


「せめて、わたしの方を向いて、動物たちと戯れあってくれません!? わたし、今ここに紙と筆を所望したいぐらいなのにないから、頑張って脳に焼き付けているんですよ!?」


「……」


「ああ、さっきの笑顔もよかったです。あのふにゃりと笑ってくださった顔…! 本当に、なんでこの場に姫様を描き留めるための道具がないのでしょう…! 次からはどんな時でも持ち歩くようにします!」



 熱弁されている。それは萩乃の好きなようにしたらいいと思うけれど、できれば、今言ったことは全てなかったことにしてほしいと願った白雪だった。

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