モデルの奪われた唇

俺の短すぎる人生に終止符が打たれたかと言えばーーーーそうでも無かったりする。




そう、生きてる…、生きてた。




もうだめかもしれないと死を覚悟したけれど、意外にもあっさりと女は。




「もう無意味な事はしないで」とだけ言って、俺の首横に突き立てていたナイフを引っこ抜いたのだ。




しかもベッドへと戻されたものの、拘束はあれほど厳重なものでは無くて、左足首に手錠一つ引っ掛けられただけだった。




その手錠の輪っかにはロープがくくりつけられていて、辿っていくとベッドの足部分へと絡まっている。




割と自由が利く状況に、再びーーーえ、これで良いの!?現象到来。




でも侮れないのはあの女の強さだと思う。




男の俺を意図も簡単に放り投げた。くるりと一回転してフローリングに落下した割にそんなに背中は痛くなかった。




かなりのやり手だ。これだけゆるゆるの拘束でも逃げられる気が全くしない。




テレビも時計も無い部屋の中、今は一体何日の何時何分なのか分からなかった。




俺の捜索願とか出されて、テレビの中では一大事とか起きていないだろうか…なんて絶対ありえない事をつらつらと考えてみる。




実家に帰るとも連絡しなかったし、連休だからって帰らない事なんてザラだった。家族からの捜索願いは宛に出来ない。




唯一宛になるのは、不服だけど優くん一人だろう。




俺と連絡が着かなくなって、もしや何かあったのでは?と警察に連絡してくれてたら有難い。そしたら俺も心を入れ替えてお礼の一つくらいはしようと思う。




――――それまで生きていたら。




「うーん」




ベッドの上で胡坐をかきながらも、考えを巡らせてみる。




けれど一向に逃げ出すための良い考えは浮かんでこない。




「お風呂入る?」




そして一向に良い案が浮かんでこない原因の一つは、この意味不明な待遇の良さにもあると思う。




部屋から一度姿を消していた女が戻って来た。ふかふかそうな真っ白のバスタオルを片手に、俺の様子を窺ってくる。




いや、そりゃ入れるなら入りたいけどさ。良いの?ねえ本当にこんなので良いの?




頭を抱えたくなりながらも、ここで断ってもう二度と入れなくなったらそれはそれで困るなと考え直した。




「入っても良いなら…入りたいけど」



「分かった」




コクリと頷いた女はバスタオルを小脇に抱え、俺の元へとやってきた。




待遇は驚く程良いけど、やっぱりこうして距離を詰められるとドキリとするーーー恋的な意味じゃなく。




身を固くした俺に気にした様子も無く、ポケットから小さな鍵を取り出すと足首に絡みついていた手錠へと差し込んで外してくれる。




こ、これはーーーー再び逃げるチャンス到来なんじゃ。




「妙な真似したらどうなるか分かってるよね」



「…はい…」




ぐっと背中に冷たいものを押し付けられて肩の力を抜いた。




男のプライドずったずたのべっこべこなんだけど。




そのまま女と連れ立って部屋を出ると、廊下も同じようにコンクリートむき出しの壁に覆われていた。




脱衣所は廊下に出てすぐの場所にあり、蓋を閉められた洗濯機の上には俺が良く買う男性ブランドの服が綺麗に畳んで置いてあった。




「出たら呼んで」




小脇に抱えていたバスタオルを女に押し付けられる。反射的に両手で抱えると、女は速足で脱衣所を後にして扉をバタンを閉め切った。




室内をグルリと見渡してみる。擦りガラスの扉を開けると風呂場があった。どこにも窓一つ無くがっくりと肩を落とす。




洗濯機の上に置かれたブランド服を広げてみる。白の無地パーカーにグレーのサルエルパンツ、どっちも俺好みで再びなんだかなあーなんて思ってしまった。




「上がったよ」




ご丁寧にドライヤーまで用意してあったから、きちんと髪を乾かしてから扉を叩いた。




もうこのやり取りすら謎なんだけど、少しずつ順応してきている自分に正直驚いてる。




ノックを二回、そんなに待たず扉は開いた。




未だにフードを目深に被っている女がジっとこっちの様子を窺ってくる。




もう怖いよ、何かしちゃいけない事してた!?ドライヤー使っちゃいけなかったとか!?




「お湯…」



「へ…」



「お湯加減はどうだった」



「……丁度良かった…です」




―――――まじでこの状況なに!?




犯人との分けわからないやり取りに目眩を覚えながらも、監禁部屋へと連れて行かれる。




また緩い拘束なのだろうと油断していたからベッドにうつ伏せで押し付けられた時には肝が冷えた。話が違う!




「何でっ!」



「何が」



「何か急に厳重拘束に戻ってるんだけどっ」



「あたしはこれから用事があるから出かけなきゃいけない。大人しくしてて」




ええっ、突然の置き去り!まじでそんなので良いの!




背中にぐっと片膝を押し付けられて呻く俺を気にせずに、女は俺の両手を後ろに捩じり上げ片手にガチャンと手錠をはめてしまう。




うつ伏せにベッドに押し付けていた俺の両肩を掴むと、女の子とは思えぬ力の強さで引き上げられる。




「まま、待って待って」



「なに」



「何って!淡々としすぎだよね!俺の気持ちもう少し察して欲しい」



「時間が無い、無理」




お湯加減まで聞いてくれた優しさどこ行った。




俺のこの不安な気持ちとか分かんないかな。だって一人で取り残されるんでしょ。それってちゃんと戻ってくるわけ?




まさかこのまま放置した末、餓死させる気なんじゃ。ありえる、十分にありえる。




女はてきぱきと行動を止めず、俺をベッドから下ろすとベッド足に手錠をグルリと回し、もう片方の手も縛めてしまう。これはまじでやばそう。




身動きが取れなくなった俺はわたわたと両足をバタつかせる。




「暴れないで」



「いや状況的にこれは無理!」



「死にたいの」



「死にたいわけないっしょ!でも良く考えてみようよ、こんな知らない場所に一人取り残さーーーんぐっ」




待て待て待て、話しくらい聞け。




話している途中で猿轡をされてしまい、俺の訴えも届かなくなる。




女は良しと言わんばかりに立ち上がると手錠の鍵をしっかりとパーカーのポケットへと押し込んで。




「暫く待ってて」




暫くって具体的にどれくらいかな!




「んんんーっ!(まじで待ってお願い!)」




引き留めようと身を捩る俺を一瞥し、女は「じゃあね」と不吉な言葉だけを置いて室内を出て行った。




――――嘘でしょ…。




呆然と天井を仰ぎ見ながらも、頭の中を餓死の二文字が埋め尽くす。




ずるずるとベッド伝いに滑り、飛び出しそうなくらい暴れている心臓を落ち着かせる事にのみ専念してみる。




そんな事をしても不安感も恐怖感も消えなくて、ゴクリと生唾を飲み込んだ。




何も出来ないと思ったら喉まで干上がってきて、餓死、水分、餓死、水分、水、水、――――喉乾いた…。




最終的にそこに行きついたけど室内にそんな物は無いし、両手が拘束されている現実にがっくりと肩を落としたのだった。




時間が分からない事がこれほど恐ろしいものだとは思わなかった。




丸一日経ったような気もするし、数時間のような気もするし、地獄のように感じているからものの数分しか経っていないのかもしれないし。




とにかく俺に取って長く苦しい時間をひたすら目を瞑って耐え抜いていたら、扉の開閉される音が微かに聞こえた。




ハっとして瞳を開くと、目の前がぐにゃぐにゃと歪んで見えてまた固く瞳を閉じる。




背中をベッドに寄りかからせるつもりが、何だかやけに力が入らなくてズルズルごとんと床に側頭部を打ち付けた。




冷たい床が気持ち良くて、額を押し付けたら急に気が緩んで意識が飛びそうになる。




その時ふいに慌ただしい足音と、驚いたように息を飲んだ声が聞こえた。




何だ、放置されたのかと思ってヒヤヒヤした。だけどちょっと戻ってくるのが遅い。




「…しっかりして」




慌てふためくように俺の元へと駆けよって来た女が、床に倒れ込んでいた俺を抱き起した。




ペチンペチンと頬をひっ叩かれて、飛びかけていた意識が浮上する。




震える瞼を何とか持ち上げて女を見る。




ボヤけた視界の中、フードの下で泣き出しそうな顔をしている女が居た。その表情は一層幼く見えて、まるで子供みたいだった。




瞳だけで訴えかけているのに気付いたのか、猿轡を外してくれる。




「死なないで」




いや、もうどっちなのそれ。




死にたいのって言ってみたり、死なないでって言ってみたり。




でもさ、死なないでって言うんなら一つお願いがあるんだけど…。




「…水…、」



「え」



「水ちょうだい…、」




カラカラに乾ききった声で訴えると、女はグルリと室内を見渡してハっとしたように目を見開いた。




ねえ、今忘れてたやべえって顔したよね。見逃さなかったよ俺。危うく脱水症状で死ぬとこだよ俺!




ベッドへと俺の背中を凭れさせ、慌てて室内を飛び出していった女が並々と注ぎ入れたコップ片手に戻って来た。




「飲んで」




口元にあてがわれたコップから並々注がれた水がドバっと零れ落ちる。




「ゲホ…ッ、」




それちょっと入れすぎだから。




眉根を寄せた俺を見て「飲めないのか?」と女が顔を顰める。違う、だから並々注ぎすぎなんだって。




「待ってて」




手錠外してくれたら自分で飲めるから。




この状態じゃ到底逃げられそうにも無いし、お願いだからちょっとの間両手を使わせてほしいんだけど。




カラカラに干上がった喉から上手く声が出なくて、咳をする。




何とか声の調子を整えてもう一度訴えようと顔を上げたら、目の前で女がコップの中身を自らの口に含んでいた。




……まさか。




「待っ…」




ぐいっと強引に頬を掴まれ固定される。嘘だろと目を見開いた矢先、女の唇が俺の唇に貼り付いた。




もう色々と最低―――――――。




けれど喉が渇ききっていて、もう抵抗する気力も残って無かった。薄く口を開いた口腔内に冷たい水が流し込まれる。




絶望的な気持ちの中、―――――俺何やってんだろ。ともう何度目になるか分からないそれを考えながら流れ作業のように飲み下したのだった。

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