モデルの不運

色々な不運が重なった結果だったんだろう。




自分で言うのもなんだけど、焦ると良く選択ミスを犯す。




例えば、一人でいるのが怖いからってさっさと実家に帰ろうと朝早い時間にマンションを出て行かなくたって良かったはずだ。




良く考えればあと数時間辛抱していれば、辺りは明るくなっていて、外にもそれなりに人が出歩いていたはず。




なのに焦っていたからまだ朝も明けきらない時間に一人で外に出てしまった。




それが今の状況どれだけ危険な事だったかも冷静になれば分かったはずなのに、俺ってこういう時ダメなんだよね。




荷物を詰めたキャリーバックを引きずって外に出た。キャップを深々と被り、サングラスまでかけた、いつもの不審者スタイルで。




マンションの廊下にも、敷地内にも人の姿は無くて一瞬安堵した後―――あれ、と気が付いた。




いやこれって逆に危ないんじゃ。




今更ながら冷静になったタイミングでガバっと後ろから羽交い絞めにされて息が止まった。




「う…っ」




サアっと血の気が引いて、一瞬で事のやばさを理解する。




首に回った腕がぎゅうっと俺の喉元を絞めあげた。息が出来なくて首に回った腕に手をかけると、意外にも細腕で驚いた。まるで女の腕みたいな。




そうこうしているうちに意識がどんどん遠ざかっていく。




やばいでしょ、俺もしかしてーーー死ぬの?




ゴトンと暴れた拍子にぶつかったキャリーバックが地面に倒れた音がした。




頭上から降り注ぐ真っ白な雪は、笑えるくらい綺麗で、俺の最期ってこんなか…と半分人生諦めながらもそう思った。




「……生きてる…」




人生終わった、と思ったけど意外にも生きてた。




生きてるんだよねこれ。




恐る恐る指先で頬を抓ろうとして失敗した。両手が後ろに回っていて、何かに縛られている感触に意識が完全に覚醒する。




おまけに両足首にも結束バンドのようなものが絡みついていた。おいおい。




首に回った腕の感触を思い出してゾっとした。殺されるんだろうか…、考えていた最中目の前にスウっと黒い影が落ちてくる。




顔を上げるのがーーーー物凄く怖い。




「騒がないで」




どれだけ恐ろしい声が降ってくるのかと身構えていたから拍子抜けした。明らかに女の声だ。




いやでも冷静になろう、気を失う前俺を羽交い絞めにして首を絞めた奴が他に居るのかもしれない。犯人は一人じゃないのかも。




ていうかこれどういう状況なの。




冷静になろうと努力しても到底無理な状況だった。




知らないベッドの上、目の前には誰かが立っている、視界にチラチラと映るそれが目に入った瞬間、冷や汗が背中を伝った。




顔を上げると真っ黒なパーカーのフードを目深まで被っている女が立っていた。




背格好は俺と大して変わらなそうだった。化粧っ気のないその顔は少しだけ幼く見える。




だけどその手に震えながらも握りしめられているものが不釣り合いすぎて逆に怖かった。




固唾を飲みこんで口を引き結ぶ。




騒ぐなと言われたけどそんな物騒なものを目の前でチラつかされて騒げる人間が居るのか不明。絶対無理じゃん。




「騒いだら殺すから」



「……」




女の片手が強く握りしめているのは先の尖った包丁だった。




こんな事現実でありえるの。恐怖で意識が飛びかけたけど、何とか必死に保つしかない。




話し合いで解決しそうな相手には見えなくて、絶望して涙すら出そう。




「あなたの事をこれから監禁する」



「…へ…?」



「あたしの言う事は絶対聞いて。外に勝手に出たり、助けを呼ぼうとしたらあなたを殺さなければいけない」




こ、…こわっ。




だけれどどうした事か、目の前の女は苦渋の表情を浮かべてる。





ジっと俺を見据えた後、静かに息を吐き出していた。




これはもしやーーーー、俺は極力声を潜めて、相手を逆なでないように気を付けながらも口を開いた。




「だ、誰かに命令されてるの?」




俺を憎んでる誰かが居たとして、そいつに殺すように脅されているとか。




部屋の中をそっと見渡してみる。俺の他に、目の前の包丁女が居るだけで、他に誰か居る気配は微塵も無かった。




寒さすら感じさせるコンクリートむき出しの壁、そして俺が寝転がされているベッドが一つ。窓はあるけど、遮光カーテンが引かれていて時間すら良く分からない。




他に部屋は奥にいくつかあるようだったけど、その奥からも誰か他の人間の気配は無い。




包丁女は一瞬ぼうっとしたような間抜けな表情を見せた後、ハっとした様子で頭を振った。




「これはあたしの意思だから」



「意思って、…俺に恨みがあるとか」




見たところ、知っている顔では無さそうだけど。




今起きているこれが現実なのか分からなくなってきた。




目を閉じて、次開いた時には夢だったーーーーなんて事になってくれたらどれだけ嬉しいか。




「恨みがあるわけじゃない。でも監禁する」



「な、何で。」




その理由を話してくれなきゃ、俺としても色々心の整理が出来ないんだけど。




「どうしても」



「は、…話し合おうよ」



「無理」



「俺の事、殺すの?」




目の前で揺れる包丁から視線が逸らせない。




いつかその時、それでバッサリと俺を切るんだろうか。




嘘でしょ、こんな終わり方ってありなの。




やり残した事がありすぎる。




打倒優くんも果たせてないし、雑誌の表紙をばんばん飾る目標も果たせてない、彗ちゃんに癒されながらご飯食べに行きたいし、楓さんにもっと撮影して欲しかった。




色々考えていたらどんどん鬱々とした気持ちになってくる。




「傷つけたいわけじゃない」




女は苦渋の表情を浮かべたまま、慎重に言葉を選ぶようにして呟いた。




フードを目深に被った顔に影が落ちている。二重の瞳がジっと俺を見下ろして、ついっと一度逸らされた。




その隙にどうにか暴れて逃げ出す勇気は無く、何も言えないまま見上げるしか無かった。




傷つけたいわけじゃないのに監禁するの?おかしくね!




傷つけるつもりが無いなら解放してくれても良いっしょ。




口に出して言えないけど心の中で訴えかけてみる。ださすぎ、俺。




そうして訪れた沈黙の中、ふと目の前の女の姿と警察と共に確認した防犯カメラの映像に映っていた人物の姿が重なった。




ここ最近妙に人から見られているように感じていたあれも、変な手紙も、もしかしてこの女が犯人なのかも。いや絶対そうだ。




って事はこれかなりピンチなんじゃないの。




「俺、これからどうなっちゃうわけ」



「ここで大人しくしててくれたら酷い事はしない」



「それって…あの…いつまで」



「あたしが納得するまで」




納得ってなんの納得なの。




色々聞きたい事があったけど、パニックを起こして質問攻めにしちゃいそうで慌てて言葉を飲み込んだ。




落ち着こう。何の拍子に逆上されるか分からない。




こんな所で殺されるなんてまっぴらごめんだ。俺は絶対生きて帰る。生きて帰って、また普通の生活を送る。そして絶対トップモデルに舞い戻る。




泣き出しそうになりながらもそれだけは固く自分に誓って「分かった」と頷いた。




俺が頷いた事にほんの少し安堵した様子の女が包丁を背中に引っ込める。目の前から刃物が見えなくなった事で、やっとまともに息が出来た。




とにかく、このおかしな犯人に殺される事なく脱出する。




もしくは助けが来るまで殺されないように努力する。




果てしなく難しい事に思えたし、何度も何度もこの女にあの包丁で突き刺される恐ろしい想像が浮かんだ。




だけど死にたくない、こんな意味不明な事に巻き込まれて。




「…お腹すいてないか?」



「…は?」




鬱々とした感情に負けないよう、必死に自分を保っていた最中そんな言葉が俺へと届いて耳を疑った。




顔を上げて女を見ると、「お腹すいてない?」と今度はハッキリ問いかけられた。




これって何かの罠なのかな。




空いてないって答えたら、あたしの作った飯が食えねえのか!って逆上して刺されるのか。それとも逆に空いてるって言ったら調子にのるなって刺されるのか。




生と死の二択を提示されているような恐怖になかなか言葉が出てこない。




口を間抜けに開いたまま、黙っているとーーーーぐうう、腹の虫が一瞬の無音を突き破ってくれた。




俺たぶん死んだ。




もうやだ間抜けすぎ。何でこうなんだろう俺。




両手で顔を覆いたくなりながらも未だに背後で手が縛られているからそれが出来ず、ベッドのシーツに顔を押し付けて静かに唸った。




すると目の前の女が「分かった」と静かに頷いて、くるりと俺に背を向けた。




え?と問いかけた俺の言葉を無視して、女が部屋から出ていく。後ろ手に扉を閉めると室内にはたった一人俺だけが取り残された。




それからそう時間は経たず女はまた戻ってきた。




その間逃げ出せば良かったんじゃ、と今更ながらそう思ったけど両手足縛られた状態でここから逃げ出すのは結局不可能な事に思えて息を吐く。




「フレンチトースト、食べれる?」




拉致監禁されたその場所で、フレンチトーストとか出るの?吃驚。




いや何かもっとこう…ーーーーいや、監禁とかされた事ないから分かんないけどさ。フレンチトーストは無いっしょ。




「食べれるけど」




ていうか好きだけど物凄く。とは敢えて付け足さないで頷いておく。




女は未だに被ったフードの下で、一瞬ホっとしたような表情を浮かべた気がした。何だか本当、良く分からない事になってきちゃった。




目の前にズイっと差し出されたフレンチトーストからは甘ったるい良い匂いがしていた。




半透明のハチミチがかかっていて、物凄く食欲をそそる。




だけどーーー。




「あの…」



「食べないのか」



「どうやって食べれば良いの」



「……」




だってほら、両手後ろに回ってますし、動けないし。




訴えかけるように一度背後に視線をやる。




そこでようやく察したらしい女が困り果てたように眉根を寄せ、俺の目の前に一旦フレンチトーストが乗っている皿を置くと、ポケットの中からバタフライナイフをーーーー待って。




「待って待ってっ!ごめんなさいっ。食べるから殺さないでっ」



「殺すなんてまだ一言も言っていない」



「さっき言ったよ何回か!」




わあ、と叫び声を上げた俺を「静かにして」と冷静に窘めた女がベッドの上に片膝をついてきた。




冷たいナイフの切っ先が手の甲にあてられて、バッサリと切られて大出血するところまで想像して貧血をおこしかけた。




だけどそんな事は一切無く、両手に絡まっていた拘束がぶつっと音をたてて解かれた。




唖然としながらも女を見上げると。




「これで食べれるでしょ」




フンと鼻を鳴らして俺の上から素早く退いてそう言った。




あ、…ああ…拘束を解いてくれたの。




えーーー良いの?




両足首にまだ絡みついている拘束をちらりと確認してみる。




目の前に立っている女は何だか落ち着かない様子で、部屋の中をうろうろし始めた。怖すぎる。




時折ちらりと俺の方を窺って、また部屋の中をうろうろうろうろ。




とりあえず何を発端に襲いかかられるか分かったもんじゃないから、目の前に差し出されていたフレンチトーストの皿へと手を伸ばした。




ご丁寧にフォークまでついてるけどこれ、毒とか入ってたりしないよね。




もう全てが疑わしいし、どういう行動を取ったらダメなのかも分からない。




再び生と死の二択を迫られているような感覚に陥りながら、食べないという選択はさすがにさっきのバタフライナイフを思い出したら取れそうになくて、毒が入っていたと仮定して食べても一瞬では死なない程度(俺の予想でしかないけど)を口に恐る恐る運んでみる。




「…美味しい…」




じゅわっと口の中で甘さが溶けた。




ガチガチに緊張していた身体を一瞬で解す程の美味しさに呆気に取られていると、部屋の中をうろうろ徘徊していた女がはたと足を止め「そうか…。」と素っ気なく言いつつも、フードの下の表情は嬉しさを隠しきれていないそれだった。




「お、お茶持ってくる」




お茶も出るんだ…。




そわそわしながらもフードをぎゅっと引き寄せながら足早に部屋を出て行った女の背中を静かに見送る。




何だろうこの急展開。




何だろうこの急なチャンス到来。




「逃げなきゃっ」




呆然としている暇も無く、慌てて俺は握りしめていた皿をベッドの上に戻した。




両足を引き寄せて自由になっている両手でロープを解く。そう時間もかからず解けた事に内心ホっとしながらも素早く立ち上がった。




どうしよう、急に自由になれちゃったけど無計画すぎてやばいだろうか。




いや、そんな事言ってられないよね。




とりあえず逃げる。




それで警察に行く。




良し、と気合いを入れた刹那、目の前の扉が無情にも開かれてさっきの女が現れた。




片手に握りしめているマグカップからは湯気がふわふわと上がっていて、何だかこの緊迫した状況の中物凄く間抜けに見えた。




互いに『あ…』と見つめ合い、女がマグカップから手を離すよりも早く駆けだした。




一瞬焦ったような表情が見えたけど、こんな事をされても女の子に手をあげる勇気は無くて、とりあえずその横を通り過ぎて出口へとーーーー。




「うわっ」




向かいかけた俺の足がフローリングの床をふわりと離れた。




そこからは不思議な事に世界がクルリと一変して、気づいた時には背中から床に転がっていた。




ドンと首横に突き立てられたナイフと、少し離れた場所で音をたてて落下したマグカップの中身がじわっと広がっていく様が見えて、状況を遅れて理解した。




俺今、投げ飛ばされたの?女の子に?




絶望すぎる、色々な事が。




「逃げたら殺すって言った」




―――――はい、言いました。




両手を降参するように上げてみせたけど、たぶん俺はここで死ぬのだろうとそう思った。




走馬灯のように色々な出来事と色々な人の顔が浮かんできて、最後に食べた物が犯人から出されたフレンチトーストだったなんて何だか無様だと思いながらも、次いで襲うであろう痛みに耐えるように目を閉じた。

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