いい加減に好きだと言って!

30

「俺、初めましてって言わなくて良い?」



「え?」



「みちかの母ちゃんに、初めましてって言うかお久しぶりですって言うか、どっちが正しいかなってずっとこの日まで考えてたんだよ」




みっちーはスーツのネクタイを結び直しながらも「でも心が決まったから」と真っ直ぐ我が家の玄関を見つめた。




転勤が多かったお父さんの仕事が落ち着いて、この場に留まる事が決まってから新しく一軒家を買った。と言っても、私は数年ここで過ごした後すぐに家を出たので、懐かしい感じはあまりなかった。




私も余所行きのワンピースのシワを伸ばしながらも「そんなの答えは一つだよ」と顎を引く。




「開口一番、お母さんにみっちーに謝って貰おうと思って来たんだもん。全然初めましてじゃない」



「いやいや、目的が違うだろ。結婚のご挨拶に来たのに何で喧嘩しようとしてんだ。蒸し返すつもりなんてさらさらねえから」



「私が全く納得できない。あの時の事私の口からちゃんと訂正するから」



「良いよ良いよ。あながち間違ってねえんだし。俺がみちかにあんな狡い約束させたから、あの紙を大事に取っとかなきゃって思わせたんだろ。それに腕引っ張って止めれば良かったのに、出遅れた俺の責任。まじで何も無くて良かった」



「全然違う!あれは全部私が悪い。みっちーは何にも悪く無い」



「この話すると押し問答始まっちまうから一旦忘れよう。ただ初めましてって嘘つくのも違うだろ。母ちゃんが俺の事覚えてて、俺みたいな奴にみちかは渡しませんって言われたら、じゃあ誠心誠意みちかさんを愛しているという事を、これからお母さんにも伝わるように努力しますって言えば良いだけだから」



「………」



「どういう感情の顔?」



「愛してるって言われた事に照れたら良いのか、そんな事を言うお母さんに怒ったら良いのか分からないって顔。私これ以上みっちーとの結婚を待つ気は無いから、逃避行してでも結婚するよ」




両親二人には事前に今日、どんな予定で伺うかは伝えてあった。




付き合ってる人が居て、結婚するから結婚の挨拶に行くねと言うと「いつから付き合ってたの?どうして教えてくれないの?どんな人なの?」とお母さんは矢継ぎ早に質問をぶつけてきた。




けれどその場では答える事はせず「とりあえず連れて行くから」とこれ以上問い詰められる前にと電話を切った。




お母さんがどんな反応をしてきたとしても、なるべく冷静に対処しようとは決めていた。けれど結婚なんて許さないと言われたら、さすがに大人な私も堪えきれないかもしれない。




みっちーは「落ち着きな」と私の肩をそっと叩いて「喧嘩別れなんてさせたくねえから、俺がちゃんと誠意をもってみちかちゃんへの愛情を伝えますよ」と言う。




じわっと顔が熱くなって、隣にぴったりと身体を寄せる。




「みっちー」



「駄目」



「何も言って無い!」



「みっちーキスして欲しいだろ」




ここどこだか分かる?と困ったように見つめられ、我が家の目の前ですねと姿勢を正す。




みっちーと気持ちが通じ合って正式に付き合ってからと言うもの、私のみっちーに対する愛情は少々暴走気味だ。困らせているかもと思いながらも止められない。




暴走列車のように突っ込む私を、みっちーは「分かった分かった」としっかり受け止めてくれている。




「帰ってからな」




良し良しと頭を撫でられて顔が熱くなる。




そのタイミングでチャイムを押したみっちーに内心でちょっと待ってよと慌てながらも、お母さん達が出て来る前には何とか冷静な表情だけは作る事に成功した。








「あの……ごめんね」




帰りの電車に揺られながらも、ぽつりと呟くと流れる車窓の景色を眺めていたみっちーは「何が?」と不思議そうに小首を傾げた。




「たぶんこうなるだろうって思ってたけど……お母さんの事」



「みちかが謝るような事何も無かっただろ」




お母さんはみっちーを見た瞬間、その表情の中に「沢渡充くんだ」という色を滲ませた。つまり記憶の中に、しっかりとみっちーの存在が残っていたわけだ。




少なからずお母さんも、幼い子にあんな酷い言葉を投げかけた後悔はもしかしたら残っていたのかもしれない。




あの時はごめんね、と謝れば良いものをあろう事か「恰好良い人ね。とても優しそうだし」と白を切ったから許せなかった。




覚えているけれど、知らない振りをする。あの時の最低な自分を私にもお父さんにも知られたくないからだろう。




「お母さん、みっちーだよ?覚えてないの?」




食ってかかった私にお母さんは「みっちー?誰だったかなあ、沢山引っ越してたから」と困ったように頬に手を添えた。




怒りの沸点が100度を超えて大噴火をおこしそうになっている私を横目に、みっちーは「そうですよね」と優しい笑顔を浮かべると「小学校の時、少しだけみちかさんとは一緒の学校でした」と言って頭を下げた。




それから「あの頃からずっと、みちかさんの事が好きでした」とお母さんもやられてしまうような笑顔で言っていた。




結婚報告は何の問題も無く、むしろ良すぎるくらいの話し合いで幕を閉じた。




お父さんは「こんなに素敵な人が旦那さんなら、何も心配はありません」と涙ぐんでいて、お母さんも「みちかの事を宜しくお願いします」と頭を下げた。




お母さんなりの小さな謝罪。でも言葉にしなければ意味が無いと、私は未だに納得していない。




当の本人であるみっちーが全く気にしていない様子なので、これ以上は何も言わないけれど。ぐちぐち文句を言って、お母さんの機嫌を損ねるのも面倒くさい。




良い方向に幕を閉じたのだから、また幕を上げてあの頃のゴングを鳴らす必要は無いのだとみっちーが言っている。




私の住む駅に電車が辿り着き、二人で一緒に降りた。当たり前に隣に並ぶみっちーを見上げて、その横顔を確認すると単純な事に嫌な気持ちがほんの少しだけ落ち着いた。




スーツ姿のみっちーが神々しい程素敵すぎる。




「はあ、私の旦那さんが本当に素敵すぎる。声を大にしてこの場で言いたい」



「恥ずかしいからやめろ?ここの駅って市役所あったよな?」



「うん、駅から下りて真っ直ぐ行くと小さい市役所があるよ。何か用事?」



「丁度今日大安ですし」




ああ、そうか。私も急いでバッグの中から婚姻届けの紙を取り出した。




証人欄には奈々子と夢ちゃんに書いて貰おうと言って、結婚を急かす私を「落ち着きな」とみっちーは諭すと「俺はみちかの両親に書いてもらいたい」と言って譲らなかった。




もし反対されたらどうするのと心配する私に「許可してもらえるように俺が努力するよ」と言った。




結婚報告に行ったこの日に、そのまま二人は証人欄に名前を書いてくれていて、いつでも出せる状態の紙が手元にあった。




「みちかが日にちにこだわりがあるならその日まで待つけどな。どうする?初めて出会った日とかにする?それとも再会した日とか」



「今すぐ出しに行かなくちゃ」



「あ、こだわり無い感じな。了解しました」



「え、何か言った?」




ごめん、嬉しさの余り何一つ聞こえていなかった。




振り返った私をみっちーは「何でも無いよ」と言って片手を差し出される。「わーい」と手を繋ぐと「違うんだよなあ」と繋いだ手はそのままに、もう片方の手で私の手から婚姻届けの紙を奪い取る。




「こっちは俺が持って行くわ」



「風で飛んでも追いかけないよ。だってまた書いて貰うから」



「そういう事じゃなくて、けっこんとどけの紙はみちかが持っててくれただろ。だからこっちは俺が持って行きてえの。今まで大事にしててくれてありがとな」



「大事に持ってたつもりが、いつの間にかみっちーの手元に渡ってたけどね」




そして、それをみっちーが大事に保管してくれていた。




風で飛んだ紙はビリビリに破かれて、それをみっちーが一枚一枚丁寧にテープで貼り付けて戻してくれた。




いつかの約束事の紙は今、私のマンションの壁に額縁に入れて飾ってある。みっちーはそれを見る度「大袈裟じゃね?」と首を傾げているけれど、私はあれを家宝にすると決めている。




だってあれは私の宝物だから。



「ていうかいつになったら一緒に住んでくれるの?別居婚なんて絶対嫌だよ」



「俺だって嫌ですよ。近々二人で住む場所探しに行かねえとな」




二人の仕事上、会える日が限られているので未だにそれぞれのマンションは残されたままだった。




休みの日にでも引っ越し先を決めて、荷造りをして引っ越して、やらねばならない事は山積みだけれど、全てみっちーとのこれからのためだと思うと全く苦では無かった。




「二人で一緒に寝れるベッドか、二人で一緒に寝れる敷布団を買おうね!それから一緒に座れるソファーか座椅子も欲しいし、キッチンは一緒に並べる広さが欲しいし、それから」



「分かった分かった。全部ちゃんと二人で見に行こうな」



「……」



「何ですか?」



「みっちーってたまに冷たいあしらい方するよね。本当に私の事ちゃんと好き?」



「そんな不安になるくらい俺の愛情って伝わってねえの?だとしたら今後気を付けます。すげえ愛してるよ」




繋いだ手に力を込められて、心臓がどきりと跳ねる。




「みっちー」



「駄目」




しがみ付いてキスを強請りたくなる私に「後でな」と言ったみっちーは、片手に持っている婚姻届けを持ち上げると「先にこれを出しに行かねえと」と笑って言った。




待ちきれないのでと言われているようで、私も「そうだね」と頷いてみっちーの手を掴み直して走り出す。




駆け出した私にみっちーは「ワンピースで走ったら転ぶぞ」と慌てて後ろをついてくる。




不思議とあの頃一緒に陸上部で走っていたグラウンドや、出る事は叶わなかった大会の競技場の景色が見えてくるようだった。




パンプスのヒールが音をたてて地面を蹴る。隣を走るみっちーの革靴も同じように甲高い音をたてて、固いコンクリートを踏みしめた。

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