罠か否か
27
自宅マンションまでの通り道にコンビニがあり、そこでいる物をいくつか購入した。
飲み物やお菓子にノンアルコール。
何を私は浮かれているのかとハっとした時には、みっちーの持っていた買い物カゴが楽しいお泊りグッズで溢れていた。
違うでしょ、もっと気を引き締めないと。
「きょ、今日だけだからね」
「これ新作だって。みちか好きそうじゃね?」
「え、ほんと?」
冷蔵ケースの中にある新作のデザートを指差したみっちーにつられて、どれどれ?と確認しに行く。
彼氏のお泊りに浮かれている彼女そのもので、再び違うでしょ!と心の中で自分を叱咤する。
けれど新作のデザートは美味しそうだったので仕方なく手に取った。カゴに入れようとして目を瞠る。泊まり用にと購入したのか、ボクサーパンツにTシャツが入ってる。
リアルに色々な想像をしてしまい、思いっきり頭を振った。
流されている、完全にこれはみっちーの思惑通り。絶対ちょろい女だと思われてる。
「もう良い?入れたなら会計するぞ」
「う、うん」
レジへと向かったみっちーの後へと続き、財布を隣から取り出すと「良いよ」と片手で押さえつけられる。
「無理矢理押し入った迷惑料って事で」
別にそんなの気にしなくて良いよ、と喉元まで出かかった言葉を無理矢理飲み下して「そうですね!」と言っておく。
思っている事と全く正反対の事を言うのはなかなか難しい。器用では無い私には難易度が高くて困ってしまう。
コンビニ袋を提げて自宅マンションへと帰りつき、すぐにお風呂のお湯をためた。
時間も時間だったので、早く入って寝てしまおう。一緒に居ると流されて気づいた時には良い雰囲気に、なんて事になってしまいそう。
「言っておくけどお風呂は別々だから!寝る場所もべべべべ別々だから!」
「すっげえ噛んでるな」
だってしょうがないでしょ、気を引き締めていても緊張するものはするんだから。
ずっと願っていた事が現実で起きてしまっているんだから。
みっちーはテーブルに買ってきたデザートと飲み物とお菓子を並べながらも「そりゃ別々だろ」と言う。
「一緒とか我慢出来る気しねえわさすがに」
―――――――何を?とは聞かなくても雰囲気だけでさすがに察してしまう。
「あれ、そう言えば前に襲ってよって言ってたっけ?」
テーブルに並べた品々へと視線を留めたまま、みっちーはふと思い出したように言った。
言葉を詰まらせた事で室内が異様な静けさに包まれていく。自動でお湯を入れていた機械がタイミングを計ったように軽快な音楽を鳴らした。
――――――――お風呂が沸きました。
機械的な音が流れて、止まっていた時がようやく動いた。
「お、襲わなくて良いです!襲ったら警察呼ぶから!」
「俺おまわりさんなのでいちいち呼ばなくても大丈夫ですよ」
「犯人がみっちーだったら意味無いよ!」
「犯人とか人聞き悪いわ。同意なしにするわけねえだろ」
「じゃあ同意しない!」
「良いから風呂入って来な」
「全然何にも良くないよ!」
お風呂に入ったら同意しましたという事に必然的になってしまわないだろうか。分からない、何が正解で何がアウトなのか分からない。
うんうんと唸る私を見て、みっちーは「何もしねえから安心しなさい」とペットボトルの蓋を開けて烏龍茶を口へと含む。
「今日は」と最後に付け加えた言葉で、慌てて脱衣場へと逃げ込んだ。
これ以上の会話は絶対に危険。
もしも次、帰り道にみっちーと偶然鉢合わせる事があったとしても、絶対に同じタクシーには乗ったりしない。
みっちーを無理矢理押し込んででも、私は次のタクシーを何時間でもその場で待つ。
今日のように無理矢理一緒に降りられて「タクシーも電車も無いから泊めて」と懇願されても断れるか分からない。
断る!という意思は固いつもりだけれど、実際に言われたらその意思はあっという間にこんにゃくみたいにふにゃふにゃになってしまうのを知っている。
「ど、どうぞ」
お風呂から上がるとテレビが点いていて、みっちーはテーブルに頬杖を突きながらも煌々と灯る画面を眺めていた。
その横顔の格好良さに見惚れてしまいそうになり、心の内で何度目になるか分からない往復ビンタをした。
顔を上げたみっちーは「じゃあお借りします」と腰を上げると、購入した着替えを持って脱衣場へと足を向けた。
私の隣を通り過ぎがてら「待って無くて良いから先に寝な」と言われて「へえっ!?」と変な声を上げてしまう。先に寝なってどういう意味。
「俺はソファー使わせてもらうから。今日仕事だろ?あんまり遅くまで起きてると辛いから早く寝な」
なるほど、そういう意味とホっとしかけた私に一歩距離を詰めてくる。
え、と思っている間に「おやすみ」と頭を優しく撫でられた。
キスをされるのかもと身構えた自分が恥ずかしくなってくる。足元から迫上がってくる熱に侵されて、動けなくなっている私を置いて、みっちーは脱衣場へと消えてしまう。
どくどくと激しく鼓動する心臓を両手で押さえながらも、ふらふらと寝室のベッドへと倒れ込んだ。
頭まで布団を被ると熱気がこもって暑苦しい。そうでなくても眠れそうにないって言うのに。
頭上からエアコンの冷気が落ちてくる。それでも身体中に堪った熱は一向に冷める気配が無い。
身体が敏感になっているのか、布団を被っていても向こう側のシャワーの音を耳朶が拾ってしまう。
目を瞑ったまま、ひつじが一匹ひつじが二匹と入眠呪文を心の中で唱えてみる。ひつじを数えたら眠れるなんて誰が言ったのか、一向に睡魔は訪れない。
こんな事ならアルコールの一本でも買ってくれば良かったかもしれない。
緊張のあまり悪酔いして何かしてしまったらと思うと怖くて、アルコール類は一切購入してこなかった。
酔いに任せて眠った方が、今よりずっと楽に眠れたような気がするのにと今更後悔してももう遅い。
お風呂から上がる音、タオルで身体を拭く音、脱衣場から部屋へと戻って来た音、壁を隔てた向こう側にみっちーが居る気配。
一つ残らず拾ってしまう自分が憎かった。
布団の中で沸騰しそうになりながらも、両手で耳を押さえて目は固く瞑り続ける。
まるで見ざる聞かざる言わざるだ。けれど大した効力はあまり無く、眠れるわけないじゃんと半ば諦めて布団を剥いだ。
ベッドの上で大の字で寝転がりながら、隣の部屋に居るみっちーの気配を感じ取る。
私は一体どうしたら良いんだろう。
自問自答を繰り返しながら、ベッドから下りて隣の部屋に行く事も、ドキドキと鼓動する心臓の音を落ち着かせる事も出来ないまま朝を迎えるしかなかった。
呆然と天井を見上げていると、キッチンから何かを作る音が聞こえてきた。
重い瞼を擦りながらもベッドから下りる。
みっちーの存在に緊張して一睡も出来なかったなんて、絶対に悟られてはならない。全く意識せずに爆睡しましたという顔で爽やかに「おはよう」と挨拶しなければ。
乱れた髪を手櫛で直してから寝室の扉を開けた。
ふわんと香った良い匂いにふらふらしていた頭が一気に覚める。
「あ、悪い。起こした?」
キッチンに立つみっちーの後ろ姿があまりにも眩しすぎて、その破壊力にその場で尻もちをついてしまいそうになる。
毎朝起きて、こんなに素敵な姿を拝めたらーーーーーなんて思ってはいけない。いけないんだからねみちか。
「何してるの?」
「飯作ってる。勝手に冷蔵庫開けちゃったわ」
「それは全然良いんだけど」
キッチンスペースにはまな板と包丁、切り終えた野菜とそれから懐かしいお弁当箱が。
引っ越しする時に自炊もかねて買ったはいいものの、お昼の休憩はお客さんの予約次第で取れない事も多々あって、結局買ったまま一度も使わなかったお弁当箱だった。
焦げ一つ無いふわふわな卵焼きとたこさんウィンナーが既に詰まっていて、誰の?と小首を傾げる。
みっちーはサランラップで小さいおにぎりを作りながら「みちかの」と言う。
「え、でも食べられるか分からないよ」
「大丈夫。食えなかったら処分しちゃって。朝飯の残りだから」
可愛いお弁当の中身が完成していく様子を後ろから呆然と見届ける。おにぎりにはのりで顔まで作ってくれた。
お皿には私達の朝食まで作られている。
どうしてそんな風に良い所ばかり見せてくるの。狡いでしょ。突き放そうとしてるのに、何で突き放せないような事ばかりしてくるの。
だって私……私―――――――――――。
「みちか、時間」
「あ」
「支度してきな。テーブルに飯運んでおくわ」
ほら早くと脱衣場へと促され、言われるままに冷たい水で顔を洗った。ふわふわとしかけている脳を冷えた水で一気に冷やす。
このまま私が帰って来るまで待ってるーーーーーなんて言ってきたらどうしようと身構えていたけれど、みっちーはあっさりと「俺も一緒に出る」と身支度を整えた私と共に外へと出た。
「まさか歩きで帰るの?」
「良い運動になるからな」
早朝散歩気持ちが良いしと両手を頭上に伸ばすみっちーは、「忘れないうちに」と袋に入れたお弁当をどうぞと手渡してくる。
受け取らない、という選択肢は無いので「どうも」とぎこちなく両手で受け取った。
「じゃあ気を付けて。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
爽やかな笑顔と共に手を振るみっちーは、駅へと向かう私とは反対方向でその場から見送ってくれる。
何度振り返ってもその場に立っているので、気恥ずかしくなって早足で駅へと向かった。
ドキドキしないで心臓。これは全部みっちーの思惑通り、計算通りなんだから。
「みちかさん、12時から入っていたお客さんがキャンセルになりました」
12時から入っていたお客さんはどうやら体調がすぐれないらしく、キャンセルの電話をお店へとかけてきた。
電話を受けた夢ちゃんは「私も12時から手が空くんですけど」と言う。
考え込む姿に、新しく作るヘッドスパスペースの事で何か話があるのだろうかと姿勢を正すと。
「たまには一緒にお昼でも食べませんか」
「え」
「お弁当外に買いに行きますか?仕事上二人でお昼取る事滅多にないので。たまには一緒にどうかなと思って」
「あ……お弁当はその……珍しく持ってきてて」
「本当ですか!じゃあ一緒に食べましょう」
いつもだったらお昼休憩に入れる事はほとんど無いけれど、こんな時に限ってぴったりと。まさかこれもみっちーパワーなんだろうか。
次のお客様に備えて、片付けだけを終わらせて二人で休憩スペースへと入った。
テーブルに置いた夢ちゃんのお弁当もまた可愛らしい。小さいお弁当の中に、ぎゅっと沢山の食材が詰まってる。
「夢ちゃんの手作りですか?」
「今日は拓海が作ってくれました」
嬉しそうに微笑む夢ちゃんは「拓海はこういう事もさらっとやっちゃうので、いつも狡いんです」と照れくさそうだ。
「お二人凄く仲が良いから、見ていていつも羨ましいです」
「みちかさんはその後あの方とはどうですか?」
「………」
「あ、ごめんなさい」
押し黙った私を見て、夢ちゃんは申し訳ない事をしてしまったと言わんばかりに頭を下げた。
慌てて私は「違うんです。複雑すぎて」と片手を振る。
一体どこから説明したら良いものか悩んでしまう。一言では今の関係性もこれからの事も話せない。
「どういう状況かと聞かれると、答えに困るんですけど。とりあえずこのお弁当はその方が作ってくれました」
「……みちかさんそれは」
「夢ちゃんやめてください。違うので。そういう関係では無いんです」
「え、良い事じゃないんですか?」
確かに今までの私なら、天まで昇るような気持ちで舞い上がっていた。実際無理矢理押し留めていなければ、ふわふわと舞い上がってしまいそうになる。
私は苦い表情で「複雑なんです……色々と」と言うのが精一杯だった。
夢ちゃんは深くは追及せずに「なるほど」と頷いてくれた。
いただきますと両手を合わせて袋を開けると、お弁当の上には小さいメモが添えられていた。
『泊めてくれてありがとな。仕事頑張れ』という短い文字。
凝視したまま固まる私を見て、夢ちゃんは優しく微笑むと「でも、私は見ていて羨ましいです」と言った。違うんです夢ちゃん。本当に違うんです。
中に詰まっていたおかずもおにぎりも、全て美味しくて困り果てる。
例えば料理がとっても下手で、口に入れた瞬間「んん……」と顔を顰める程の味ならばーーーーーーと考えたけれど、それはそれで許してしまう自分が居そうで、もう駄目と頭を抱えたくなる。
朝食の余りだからと言っていたのに、から揚げもちくわきゅうりも朝食には出されていなかった。
お弁当のためだけに冷蔵庫の余りから作ってくれたのだと思うと、完璧すぎてさらにどうしようとその場で蹲りたくなる。
「……うううううっ」
「どうしたんですか」
「気にしないでください……自己嫌悪やら何やらに陥ってるだけなので」
机に突っ伏して唸る私の耳朶にお店の電話の音が微かに届いた。
立ち上がったのは私の方が早く「夢ちゃんは食べててください!」と急いで戻って電話を取った。
「もしもし、美容室emiです」
『俺』
驚く程短い返答に瞬きを繰り返す。
子機を耳朶から離してからもう一度「あの、もしもし?」と問いかける。返答はやっぱり同じく『だから俺』と返ってくる。
俺俺詐欺かと身構えると『剛』と言葉が続いて息を吐いた。
そんな電話の仕方って無いと思う。
「どうしたの」
『お前の携帯に電話かけたら出なかったから』
「あ、ごめん。仕事中は音が鳴らないようにしてて気づかなかった」
バックの中に押し込んだままだったから、尚更気づけなかったんだろう。
剛ちゃんは暫く押し黙ると、『予約取りてえんだけど』と言った。補強の件だとすぐに気が付いて、パソコンから予約ページを確認する。
補強だけなので30分枠で何とかなるはず。
「最短だと……明日の午後の3時の枠が空いてるけど仕事だよね?」
『無理。土曜は?』
「土曜日は……一番最後の枠で良ければ6時半が空いてる」
『じゃあそれで』
「分かった、予約入れておくね。爪あれから大丈夫?」
何本も割れていたらどうしようと思ったけれど、剛ちゃんは素っ気なく『平気』と言って『じゃあそれで』とあっさり電話を切ってしまった。
そう言えば、剛ちゃんとはあれからまともに会えていない。
ずっと心の内に後悔を抱えていた剛ちゃんの事だから、私にも悪いと思っているのかもしれない。
私もちゃんと、剛ちゃんには謝らなければならない。
「予約のお電話ですか?」
「はい。友人の爪を補強しようと思って、その予約電話をかけてくれたみたいです」
「爪割れちゃうと痛いですもんね」
休憩スペースへと戻ると、夢ちゃんが食べ終えたお弁当に向かって両手を合わせていた。「ご馳走様でした」と頭を下げる姿にほっこりする。
残ったお弁当のおかずを口に押し込みながらも、どれも美味しい事がやっぱり腹立たしくて、その度胸がきゅんとした。
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