負け戦

26

仕事終わり、携帯にはみっちーからの連絡が一通だけ届いていた。




内容は剛ちゃんとこれからご飯を食べて来るというもので、「連絡先教えてくれてありがとな」と書いてあった。二人が気まずくならず、ちゃんと仲直り出来れば良いなと願ってる。




大丈夫だったか心配になるけれど、だからと言って今まで通り「どうだった?」とは聞きずらかった。




みっちーから離れなければと思うのに、みっちーは私が離れようとすればするほどぴったりと後ろをついてくる。




全然離れてくれなくて困り果ててる。




「私、充ちゃん」と幻聴すら聞こえてきそう。ホラーなのに笑えてしまうからそれも困る。



「奈々子経由で二人がどうなったか教えてくれない?」




カウンター席の端っこに座りながらも、奈々子の手が空いたタイミングで声をかけた。




金曜日の仕事終わりで、お店の中は私が入ると満席だった。カップルや一人飲みのお客さんで溢れかえる店内は、各々好きな会話で盛り上がってる。




時折奈々子にお客さんが声をかけて、適当とも思える返事を貰ってる。




「自分で聞きなよ。みっちーの連絡先知ってるでしょ」




ついでに言うと剛ちゃんの連絡先も知っています。




けれどどちらにも聞きにくい状況すぎて困ってる。そわそわと落ち着かない気持ちを味わいながら、携帯の画面をただただ見下ろしてる。




私から返事を返していないから、みっちーからの返事も当たり前に返ってきていない。




「だって……どの面下げてって感じじゃん」



「まだそんな事言ってるの?みちは悪く無いって何回も言った」




奈々子は何度も私は悪く無いと言ってくれた。そうだろうかと考えて、でもやっぱり私が悪いという結論に至る。




グラスの中身が無い事を確認すると、奈々子がいつものようにおかわりを出してくれる。




空いたグラスと交換で新しい物を受け取って口をつけた。ちびちびと喉を潤しながらも考え込む。




あれからずっと私の中で色んな感情がバチバチと弾けて膨らんで、どうしようも無くなってる。




毎日どんな顔でみっちーと向き合えば良いのかと考えて、みっちーから届いたLINEの文字に何て返事を返したら良いものかと頭を悩ませる。




かかってきた電話には飛び上がる程驚くようになった。




私が素っ気ない態度を取っても、みっちーは全く気にする様子も無く電話をかけてくる。休みが合うならデートに行こうとも言う。




でもそれらを私は不慣れながら必死に交わしてる。




今までずっとみっちーに体当たりをして生きてきた。返ってくる愛情を交わす術なんて分かるわけが無い。




時折まともに食らって引っくり返りそうな程のダメージを受けてる。




私のHPゲージの残りはほぼ0に近い瀕死状態だ。




「悪いんだけど、それ飲んだら帰ってくれる?」




奈々子は忙しそうに注文を受けたカクテルを作りながらも私に言った。




まだここに居たいと縋りつきたいけれど、どう見ても忙しそうだ。




それに帰ってくれる?なんて私に言うのは珍しい。もしかしたら彼がこの後来るのかもしれないと思うと、奈々子に縋りつきたい気持ちをぐっと堪えるしか無かった。




「また来ても良い?」



「良いに決まってるでしょ。連日来ておいて今更何言ってるの?」




テーブル席へと作ったカクテルを届けに行くと、戻りがてら私の頭をぽんぽんと軽く撫でてくれる。




ついでにテーブルの上にチョコレートを二つ程置いてくれた。どう見てもお店で出している物では無く、きっと彼が奈々子に買ってきた物だろうと分かる。




有難く口に含むと、甘いチョコレートが荒んだ心を少しだけ癒してくれた。




お会計を済ませて席を立つと、奈々子は「ごめんね。また来て」とやっぱり忙しそうにカウンター裏から手を振ると、お客さんの相手へと戻っていく。




奈々子と別れると、悶々とした答えの出ない悩みがまた大きく膨らんでいく。一生かかっても解決しない問いだ。




私はこれからどうすれば良いの?




みっちーからの嬉しすぎる誘いがあると、正直な私は舞い上がる程嬉しくなる。けれど冷静な私が顔を出すと、今までみっちーを苦しめてたのは誰?と問いかけてくる。




慌てて身を引くと、正直な私がそれで良いの?と問いかけてくる。




あわあわしながらもどちらにも行けず、ずっとあれから立ち尽くしたまま。




精神的にも限界がきてる。離れようと決断して冷たい態度をとる度、泣きたくなるほど苦しくなった。




ゆっくりと落ちていく視線が足元を映した。歩く度に流れるコンクリートの地面を辿っていく。




灰色の道をふらふらと辿りながらも、途中からタイル道へと変わり、街中へと出た事が分かった。カラフルなタイル道を一歩一歩踏みしめながらも帰る。




まだみっちーから届いているLINEを返していない。既読をつけてしまったのは失敗した。内容が気になっても見なければ良かったのに。




まさか私がみっちーに既読無視をする日がくるとは思わなかった。




「はあ……」




長い溜息が自然と零れて、重たすぎる頭を持ち上げる。




顔を上げた先に広がる景色が、想像とは全く違うもので驚いて足が止まった。




――――――――え、ここどこ。




前方には駅が見えるはずが、駅のえの字も見えてこない。街中を彩る多くのお店もいつの間にか消え去っていた。




「え」




左右をとりあえず確認してみる、どこですかという言葉しか出てこない。ずっと足元のタイル道を辿っていたはずなのに、私は一体どこに飛ばされてしまったのか。




慌てて足元を確認すると、タイルの道とコンクリートの道の境目に立っていた。




と言う事はーーーーーーーーーーーどういう事。




緊張で早く鼓動する心臓を片手で押さえながらも、ゆっくりと振り返る。振り返った先に駅が見えれば何てことは無い。曲がる場所を間違えただけだ。





「……ぎっ」




身体事後ろへと振り返った先に、駅の姿は見えなかった。




変わりにみっちーが立っていたので情けない悲鳴が口から洩れる。




夏の蝉の一声、そう言えばいつかのみっちーもこんな声を上げていた。人って驚くと、変な声が出るらしい。




「な……何してるのっ」




何てこと無い様子で立っているみっちーに、あまりにもびっくりしすぎて声がひっくり返った。




ていうか、剛ちゃんとご飯はどうしたの。もしかしてまた喧嘩別れをしてしまったとか。




聞けないと思っていた言葉が一気に溢れ出てくる。勢いのまま捲し立てるように問いかけてしまいそうになり、一旦落ち着くために息を大きく吐いた。




「何で私の後ろに立ってるの!」




とりあえず、聞きたい事はそこから始まる。




「いや、どこまで行くのかなーってついてきてみた」



「どこまでって」



「駅と反対方向に歩きだしたのが見えたからな」




どこから私に気づいていたのかは知らないけれど、反対方向に歩き出した時点で声をかけて欲しかった。




「ここどこ!?」



「大通りのタイル道ってさ、一番奥の方まで行くとそこからちょっと逸れる所まで続いてるんだよな。大通りってどこまで続いてんだろってタイル辿って来たらここまで来た事あるわ。だから一番端っこって事だな」




呑気な事を言うみっちーに怒って良いのか呆れたら良いのか分からない。




それって駅から大分遠くまで歩いて来てしまったという事ですね?




「戻る!」




ぐるりと踵を返して歩き出した私の後を、みっちーも当たり前な様子でついてくる。ついて来ないで!と言った所で、「俺も電車乗るからな」と言われるだろう事が分かって、ついてくる事については敢えて何も言わないでおいた。




その代わりに「剛ちゃんはどうしたの」と小さい声で呟いてみる。




「さっきまで一緒に飯食ってたよ。また飲みに行こうって約束して、途中で別れた」



「そ……それって」



「大丈夫。喧嘩別れしてねえよ」




みっちーは全て察した様子でそう言った。




私が心配していた事も、心配していても連絡を取れなかった事も分かっていると言いたげに。




二人が仲直り出来たのなら、素直に良かったなと思うのに態度にも表情にも出せない。そうですかと素っ気なく言うのも憚られて押し黙ると「みちか」とやや後ろから声がかかった。




「なに」




少々刺々しい声が出たのは、どう接して良いのか分からなかったからだ。




自分でも分かる程、冷たい態度にみっちーは特に臆する事なく「どうする?」と問いかけてきた。




「どうするって何が」



「電車、もう間に合わねえと思うんだけど」



「………」




腕時計を確認してみる。




奈々子のお店で遅い時間まで飲んでいたから、そもそも最終電車はその時点でギリギリだった。それが道を間違えて反対方向の端まで来てしまったのだから、間に合うはずも無い。




しまった、と思ってから気が付いた事がある。




もしかして私が反対方向に歩き出したと分かっていながら、気が付くまで声をかけなかったのってーーーーーーー。




「電車間に合わないの分かってて敢えて声かけなかったの!?」




何でそんな事と問い詰めようとして、あまりにも真面目な表情を向けられてギクリとした。




慌てて冷静さを保ちながら「間に合わないならもう良いです」と言う。




「大人なのでタクシーで帰ります」




いけない、このままではみっちーの思惑通りになってしまう。




「今日金曜だし、タクシー捕まるかも怪しいところだろ?捕まるなら一台で乗って帰った方が良いと思うんだわ。他の方も利用したい人いるだろうし。俺とみちかで一台使うっていうのはどうですか?」



「………」



「駄目?」




駄目?なんて狡い聞き方は酷いと思う。




そんなの答えはたった一つしかないのに。




完全にこれはみっちーの術中にはまってる。分かっているのに抜け出せない。逃げ道が全く無い。




歩いて帰ろうにもこの時間帯、一駅分歩いて帰る勇気も体力も残って無い。




肺いっぱいに酸素を取り込んで、「良いですよ」と何も感じていませんという態度で頷いた。




良いですよ、全然大丈夫。別にタクシーで途中まで一緒に帰るだけですし、何の問題もありませんよ。




肩から下がったバックの紐をかけ直して、「早く帰りましょう」と足早に駅前へと向かって歩き出した。




その後ろをみっちーが普通の足取りでついてくる。




まるで今の私達みたいで、私は必死に早歩きで追いつかれないように歩き続けた。



全く捕まらなかったらどうしようと思っていたけれど、駅前のロータリーに一台だけ停まっていたタクシーにギリギリ乗る事が出来た。




いつかの時、みっちーがおすすめしてくれたタクシー会社さんだったのが幸か不幸か分からない。




「どちらまでですか?」




自宅マンションのルートを告げるのが難しく、駅から近いしと次の駅名を口にする。運転手さんは「分かりました」と頷くと、すぐに車を走らせてくれた。




どうやらベテランさんのようで、大通りの道では無くスイスイと小道を選んで走っていく。これならあっという間に次の駅へと着きそうで安心した。




二人っきりでは無いとは言え、タクシーの中で何を話したら良いのか分からなくて困っていたから。




真ん中に少しのスペースを開けて、お互いに窓際に座って黙っていた。




流れる景色を見つめていると、みっちーが「遅い時間まで大変ですね。いつもお疲れ様です」と運転手さんに労いの言葉をかけている。おまわりさんらしい、優しい気遣いだった。




きゅんとときめきかけた心臓を、無理矢理きゅ、の所で止めておく。




隣に居るみっちーの気配を感じてしまうと、嫌でも意識してしまうのでバックの中からスケジュール帳を取り出して仕事の予定を確認する。




工事はこの日なのでお店はお休み。フルフラット台がこの日に届く。新しいネイルがこの日に入荷―――――――。




「お客さん」



「はいっ!」



「この辺で大丈夫ですか?」




ひたすら仕事の事を考えている間に、どうやら目的の駅へとついたらしい。




信号も無く、混んでもいない道を通ってくれたのでつくのはあっという間だった。




この人の顔を覚えておかなければ。今後タクシーを使う時はこの人のタクシーに是非乗らせて頂きたい。




「ありがとうございます。えっと、この後もう一駅向こうまで送っていただきたいので……じゃあとりあえず私のお金はみっちーに渡しておくね」




料金バーに提示されているお金を財布から出そうとすると「ありがとうございました」とそれを押し退けて、スマートにお金をお支払いしたみっちーが私を外へと押し出した。




「え」と思っている間にみっちーまで外へと降りてきてしまう。




「遅くまでご苦労様です。気を付けてお仕事してください」




愛想良く手を振ったみっちーの事は顔で認識していたのか、タクシー運転手さんはペコリと頭を下げてすぐに駅のロータリーをぐるりと回って、また小道へと曲がっていった。




「へ?」




間抜けな一声が口から洩れる。




何でお金払っちゃったの、何で一緒に下りて来ちゃったの、何で……待って、最初からそのつもりだった?




「みっ」




怒鳴りつけたくなって顔を勢いよく上げると、「だってこの駅名しか言って無かったじゃん?」と涼しい表情で言われる。




「ここに辿り着いてからもう一駅向こうまでって、申し訳ねえし」



「だ……っ、うっ……あ」




もう言葉にすらならない。




頭を抱えて、してやられたとその場にしゃがみ込むしかない。




目の前でみっちーが同じようにしゃがみ込んだのが見えた。目線を合わせられて息が詰まる。




間近にあるみっちーの顔は、あまりにも真面目な表情で怒りの感情が一瞬で引っ込んでしまう。私ってどうしてこうなんだろう。




「電車もう来ねえしな。この辺タクシーもあんまり停まってねえし。電話しても今の時間帯じゃ捕まらなそうだし」




降りなければ良かったと思う、降りなければ良かったと思う、降りなければ!!!




「みちか」



「………」



「泊めてくんね?」




お願い、と言うように真っ直ぐに見つめられて硬直してしまう。




嫌!と言ったらみっちーは「分かった」と言って歩いて帰るのかもしれない。一駅向こうまで、みっちーの足でどれくらいかかるだろうと考える。




時間はもう日を跨いでしまった。





「明日……仕事……だし」



「みちかは仕事だな。俺は今日の朝仕事終わってるから明日もう一日休み」




休みなのだとしたらやっぱり歩いてーーーーーーーなんて絶対無理。




駅前にしゃがみ込んでいる私達二人は、明らかに異様すぎる。けれど時間帯も時間帯で、通りがかる人も居なかった。




もう!!と叫び出したい気持ちを何とか抑えて、「嫌だけど良いですよ」と冷めた返答を仕方なく返す。




「すっごく迷惑だけど!!」



「だよな、ごめんな」




みっちーは私と目線を合わせたまま、「ありがとう、助かるわ」と嬉しそうに破顔してみせる。




バックで殴打してやりたかった怒りが一瞬で降下してしまい、それじゃ駄目でしょと自分の事を心の内で思いっきり殴打してやった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る