変わらぬ姿
25
スマホの画面に映し出されている地図を辿っていくと、車道を挟んだ反対側にある店が目的地のようだった。
顔を上げると木造作りの和食屋っぽい店が佇んでる。
やけにしっかりとした店で頭を傾げる。本当にここか?地図とその店を交互に確認してみても、やっぱり目的地はそこであっているらしかった。
剛から『飯食いに行こうぜ』と連絡が来たーーーーーと言っても、お互いに連絡先を知らなかったのもあり、みちか経由で「剛ちゃんがみっちーとご飯食べに行きたいから連絡寄越せって言ってたよ」と連絡があった。
剛の電話番号だけを一方的に告げると、特に長話もせずにさっさと電話を切られた。なかなかに冷たい彼女だ。
みっちーみっちーと追いかけてくれていたみちかは、剛からの昔話の後から明らかに態度が変わった。遠回しに離れたいアピールをしてくる姿を、敢えて無視してる。
今まで散々追いかけさせたんだ。次は俺が追いかける番。
俺から逃げたがっているみちかを必死に隣に繋ぎ止めてる。
もしもあの時、剛があの話を口にしなければ俺はどうしていたんだろう。
ずっと迷いながらもみちかの隣に立っていた。知られる前に離れた方が良い。このまま上手くいったとしても、いずれ結婚する時、両親に挨拶に行く時に知られる事になるかもしれない。
どの面下げてと俺が詰られるのは構わない。けれどそんな姿を見て、みちかが自分自身を責めるのは容易に想像出来た。
何も言わなくても、全部私のせいと塞ぎこむのが目に見えた。
だからこそ、そうなる前に、そうならないように離れるべきだとみちかの好みでは無いだろう俺がいつの間にか出来上がっていた。けれどそれも、結局みちかを傷つける事になった。
違うと言っても、気にしてないと言っても、みちかは全く納得していなくて、毎日毎日自分を責めてる。表情にも口にも出さなくてもそれが分かった。
「道に迷ってんのかと思ったわ」
みちかの事を考えながらも、剛から一方的に告げられた待ち合わせの店へと足を向けると、店内もやけに洒落ていた。
飯と言うから、てっきり居酒屋かラーメン屋か、その辺を想像していたけれど180度違う店内の様子に唖然とする。
取引先とでも行くようなしっかりとした店の作りに一瞬気圧される程。
カウンター以外は個室席らしく、「いらっしゃいませ」とやってきた店員も割烹着姿だった。
剛の苗字を告げると入り口からすぐの部屋へと通された。
襖を開けた向こうには、もう剛が待っていた。
仕事終わりそのまま来たのか、服装はスーツ姿のまま、上着だけを脱いだ格好でワイシャツの袖を軽く捲ってる。
「悪い、そんなに待たせたか?」
腕時計を確認すると、約束の時間までまだ5分程時間があった。剛は一体何時からここで待っていたのか。
「今日も暑いな。仕事お疲れ」
「そんな話はどうでも良いんだよ。お前のビールも勝手に頼んであるから」
「ええ?俺非番でも飲まねえようにしてるんですけどね」
「と思ってノンアルコールビールにしといたわ。みちかに言われたからな」
俺にはそんな話、何もしてくれてねえけど。
知らない場所でそうやって俺の情報を剛に与えているみちかの事を、愛しく思うななんて無理な話。
風船のように膨らんで、最終的にはパチンと音をたてて感情が弾けそうだ。弾けた後は、どうなるか分からない。
「まじで……今更だけど悪かったな」
「話ってそれ?あの時も言ったけど、怒ってる事があるとすればその話を墓場まで持って行かなかった事だけだって」
「墓場まで持って言ったら、俺は地獄行きになるだろ」
「罪重すぎるだろ。そんなわけねえじゃん」
「……みちかは?」
あれからどうなった?と視線だけで問われて、肩を竦めた。
「自分の事責めてる。そんで俺から離れようとしてる。こうなる事までちゃんと予想して言ったのか?」
あの時の事は全くもって怒ってない。剛の気持ちを考えると、致し方ないとすら思える。
けれどみちかを苦しめた事については納得がいかなかった。
みちかの性格を理解しているなら、言った後、後悔して自分を責めるのは分かっていたはず。
注文していたビールとノンアルコールを持って、店員が一度部屋の中へと入って来た。沈黙が漂う室内に、それぞれの前へとグラスを置くとすぐに部屋の外へと出て行った。
「予想して言った。でないとお前ら一生前に進めねえだろ」
「むしろ後退した気がしますけど」
「この事実知ってなきゃ、どんなに前進してたとしても振り出しに戻るだろ」
そうーーーーーーーーーかもしれねえけど。
「お前の両片思い歴何年だよ。そのくらいの困難なら乗り越えられるだろ。もう全部知られて怖いもん無しなんだから、後は自分で何とかしろ」
「まあ、何とかしますけど」
このままで終わらせるつもりは毛頭無い。
身を引く気はさらさらなくなった。剛の言う通り、知られてしまったのならもう後戻りをする必要は無い。
俺が仮に身を引くなんて選択を取れば、みちかは一生一人で後悔を抱えて生きていく事になる。
一生独り身で終わるーーーーーなんて可能性もある。
だからこそ、というわけでは無いけれどハッキリ言って吹っ切れた。
過去の出来事を言った後、みちかから詰られる可能性も、縁を切られる可能性も剛はたぶん考えていたはずだ。
それでも俺達のために正直に包み隠す事無く全部口に出してくれた。
その気持ちが分かっていて、いつまでもうだうだしているのは剛の勇気を踏みにじる行為になる。
届いたグラスに目を止めて、それから真っ直ぐ剛を見た。
剛はもう、俺から何を言われるのか分かっている表情に見えた。
「俺、みちかが好きだ」
「今更何言ってんだ」
剛はビールに口を付けながらも「100年前から知ってる」と言った。
俺は一体何歳ですか、と突っ込むとつまみの枝豆の皮を剥きながら「俺に気とか使ったら空瓶でぶん殴る」と言う。
本当にやりかねないので、分かったと深く頷く。
剛はたぶん、みちかの事を今でも好きだ。
その気持ちをみちかに伝えなくて良いのか、なんて野暮な話だ。
剛は自分の中で、言わないと決めてあの話を口にしたんだろう。
悪いでも、ありがとうでも相応しくない。今の剛にかけられる言葉を、俺は何一つ持ち合わせてない。
「つうか、お前その喋り方きもいんだよ。いい加減やめろ」
「いや、そう言われてもこっちの方が気楽だしな。お前はこっちの喋り方は俺じゃねえって言ってたけど、俺の中でどっちも自分って感じなんだよな」
「二重人格かよ」
「ってわけでも無いんだけど。上手に使い分けてるんだわ」
「あっそ。つうかお前さ、高校の頃何してた」
飲み干したグラスの表面には水滴だけが残ってる。
剛はそれを指先で辿りながらも、消え入りそうな声で呟いた。
剛とは高校が違ってから、ほとんど連絡を取らなくなった。剛的には気まずさもあって、俺から離れて行ったのが分かる。
俺としては入った高校があぶねえ場所で、他との繋がりを絶ち切らざるを得なかっただけで。
「えー?みっちー武勇伝聞きてえの?仕方ねえなー」
「あ、やっぱ良いわ。聞かなくて良い」
「いやいや、聞きたいだろ。遠慮すんなって。俺が最高に格好いい話が良いよな?えーどれだろ。他校の奴等に絡まれてた後輩を颯爽と助けに行った話?はたまたうちのリーダーにいちゃもんつけてきた奴に、先手必勝回し蹴り食らわせて大乱闘になった話?それとも」
俺の言葉を塞ぐように剛が強く呼び鈴を鳴らした。店員がすぐに部屋へとやって来て、勝手に追加でつまみと飲み物を何品か注文する。
店員が再び廊下へと去ると、テーブルに頬杖を突きながらも「で?」とつまらなそうに問いかけられる。
面倒そうではあるものの、長話を察して追加で酒とつまみを注文する。仕事場での付き合いで剛が上手くやっているのがそれだけで分かった。
「もう面倒くせえから最初から最後まで全部話せば?」
「それ朝になるけど良い?」
「駄目に決まってんだろ」
簡潔に纏めて話せる話でもねえからなー。困ったわ、と腕を組む俺を見つめる剛の瞳はほんの少しだけ眩しそうに細められていた。まるで、俺も一緒に行きたかったと言いたげに。
お前がもしも同じ高校に入ってたら、どんな感じだっただろうな。何だかんだ俺思いの剛の事だから、他校の奴等と喧嘩して俺はその度ひやひやさせられていた気がするけれど。
「俺も話すから、剛も高校の頃どんな感じだったか言えよ」
「朝になるけど良い?」
「良いよ」
「ここの店、閉店11時30分だから」
「じゃあ終わらなかったら外に持ち越しだな」
廊下の向こうから注文した料理や飲み物を運んでくる店員の足音がする。剛は「だる」と言いながらも、何だか楽しそうに見えた。
「俺今度、みちかの店に行こうと思ってる」
閉店ギリギリまで店に居座ってから外へと出た。扉を潜ると、剛は思い出したようにそう言って携帯のスケジュールを確認する。
「元々、爪の補強だっけ?何かそういうのしてもらう予定だったんだわ。ついでに悪かったなって謝るつもり」
「みちかは剛の事責めねえと思うけどな」
「だとしても、俺がスッキリしねえんだよ」
「そっか」
店の外へと出てから、互いにこの後どうすると向かい合う。話は尽きる事はなく、まだ梯子すると言われれば「了解」とついていける。
けれど剛は「帰ろうぜ」と言って駅へと向かって歩き出した。
「ええ?朝まで語り合う予定だったんじゃねえの?俺の中でこの後コンビニ行ってつまみとノンアルコール買う所まで想像してたんですけどね」
「お互い明日仕事だろ。もうそんな俺達若くねえから、無理すると後にくるぞ」
「じいちゃんみたいな事言うのやめねえ?それに俺明日も休みだけど」
「はあ?連休かよ警察のくせに」
「警察でも二日休みくらい取らせて頂きますよ」
「また連絡して呼び出して良い?」
「許可取る必要あります?良いに決まってんだろ」
みっちー武勇伝は尽きる事なく残ってる。むしろ付き合って貰わねえと困るくらい。
剛は照れくさそうに「気が向いたら呼ぶわ」と言って歩き出す。昔からそういう所が何一つ変わらない。
「店に行ったら、みちかに俺から言おうか。気にせずさっさとお前と結婚しろって」
「いや良いよ。俺も徐々に徐々にいこうと思ってる」
「まごまごしてたらあいつ、違う奴と付き合いそうじゃね?」
「どうだろうな」
けれどみちかの性格的に、俺から離れたいがために誰かを利用する考えにはならなそうだ。俺に一方的に別れを告げるならあるかもしれないけれど。
それを思えば、高校の頃三大美女と称した可愛い女の子に、片っ端から告白した俺はくそと言える。あの頃の俺はどうかしてた。
「そう言えばさっき奈々子に連絡入れたんだわ」
「奈々子?」
奈々子の店に被害を加えた犯人は他にも、他店の女性に手を出していたり、誘いを断られたからと腹いせに奈々子の店にしたような嫌がらせをしていたり。
周りに情報を集めると、埋まっていた被害が顔を出した。
それだけの事をしていても、外に出て来るのは一瞬だ。
あの近辺の見回りは未だに強化しているけれど、まさかまた何かしらの危害を加えられたのかと顔を顰めると「みちかがこれから帰るってさ」と見当違いの事を言われて唖然とした。
丁度通りがかった飲み屋街の道へと視線が滑る。
みちかが大通りのこちらへと歩いて来る姿が見えた。たぶん奈々子と剛でタイミングを計っていたに違いない。
「俺、帰るわ。お前は行く所あるだろ」
さっさと行けよと片手を振られる。
みちかは足元を見つめながらも考え込んだ様子でこちらへと歩いてくる。俺の姿にはまだ気づいておらず、気づけばきっと全速力で逃げ出すのが目に見えた。
悪いな、でもありがとうでも無い言葉。
「剛」
歩きだした剛の背中を呼び止める。
振り返った剛は「良いから行けよ」と言いたげに顔を顰めていて、ふいに浮かんできたその言葉が口をついて出た。
「俺、頑張るわ」
手を上げると、剛が静かに瞬きを繰り返し、それから微かに笑った。アホだなと言いたげに。
「お前らの結婚式、俺スピーチしてやるよ」
「それはこえーかも」
「ある事無い事めっちゃ喋る」
「うん、絶対頼まないわ」
一世一代の晴れ舞台で大恥かくやつだろ?勘弁して?
「嘘だよ」と剛は最後に手を振って「知らねえかもしれねえけど、俺こういうの結構うまいんだぜ」と言って笑った。
「お前が作ったスピーチの紙、一旦俺に見せてくれるなら頼もうかな」
「それじゃサプライズできねえじゃん」
「サプライズはいらねえんだわ。普通にして?変に驚かそうとしないで?」
剛は分かっているのかいないのか、「任せておけ」と不安にしかならないグーサインを俺へと向けて、踵を返して駅へと向かって歩き出した。
その背中を見送ってから、飲み屋街からこちらへと歩いて来るみちかへと向き合う。
まだ俺の存在には気づいておらず、下ばかり向いて歩いて来る。
視線が足元に落ちていたから、駅とは反対方向へと向かって歩き出した。店に忘れ物をしてきた感じでも無い。
単純に間違えただけだろう。
昔から方向音痴で迷子癖があって危なっかしい子だった。
初めて会った時も後ろを振り返ったら居なくなっていた。顔を上げていれば、きっと迷子にはならなかったはず。あの頃もこうして下ばかり向いて歩いていたに違いなかった。
それを思って微かに笑いながらもみちかの背中を追ってゆったりと歩き出す。
腕時計の時刻を確認すると、最終電車まで残り数本分の時間しか残って無い。みちか、と声をかけようとして結局止めた。
まあ良いか、と時刻を確認していた片腕をゆっくりと下ろして、どこまで行くのか分からない背中を少し後ろからついていく。
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