24-2
みちかと一緒に居た月日よりも、離れている時間の方が長くなっていく。普通なら記憶や気持ちは薄れていくものなんだろうか。
他人事のように思いながらも、むしろ膨らんでいく気持ちと鮮明になっていく記憶をどうすれば良いのか分からない。
みちかが盗撮されていたと知って相談した時、母ちゃんは警察官が居れば「抑止力にはなるね」と言った、警察官だった親父は「許せないな」と苦渋の表情で呻いていた。
ふいに浮かんできたあの頃の記憶が、俺の目の前に真っ直ぐ一本道を作り出す。
その時不思議な事に、なりたい将来というものがハッキリと決まった。
困っている人をヒーローのように助ける親父みたいな警察官になりたい。
もしも迷子になっている女の子が居たら、きちんと目的地まで送り届けてあげられる頼れるおまわりさんになりたい。
それと同じくらい、交番で街の有名人になったら、いつかみちかに会えるんじゃないだろうかという淡い期待も心の奥底に残ってた。
会った所で、みちかが覚えているのかも分からない。
会った所で、あの日の出来事を思い出すと「俺、充だけど」とは何年経っても言いにくい。
大人になってもその答えが出ない事に絶望する。成長すれば、いつかその答えがハッキリするものだと思っていたからだ。
それでも警察官になろうとそう決めた。
心の内の感情は何一つ決まらずにぐちゃぐちゃに混ぜ合わされて酷い色に変色してる。その答えが永遠出なくとも、警察官になりたいという気持ちだけは揺らがずにハッキリ決まった。
口笛を吹きながらも見回りを終えて交番へと戻って来た。
決めていた将来のレールに乗った俺は、真っ直ぐ脱線する事も無く警察官の道へと進みだしていた。
今日も特に異常も無く平和な街並みに安堵しながらも、交番前で自転車を停めると辺りをきょろきょろと見まわしている女性の姿があった。
明らかに迷っているように見える。
街中は多くの店で溢れていて、店の場所が分からないと交番に駆け込む人も多く居る。
「お困りですか?」
声をかけると、頭上の高いビルを見上げていた女性がゆっくりと振り返った。
「……え、あ」
緊張気味にこちらへと顔を向けた姿に心臓が跳ねた。頼りなさげに歩いているその歩き方が、遠い記憶を呼び覚ます。
一瞬たりとも忘れた事は無いみちかの姿と重なった。
「あの……迷子……でして」
気恥ずかしそうに俯いた顔を見て、「迷子」と絞り出すのがやっとな程。
俺の顔をまじまじと見つめるみちかは、俺という存在に気づいた様子は全くなく、美容室に行きたいけれど道が分からず、ついでに大事な携帯も失くして困っていると告げた。
だよな、という安堵と落胆が同時に押し寄せる。
まさかの再会、けれどそれは喜びの再会にならない事を知っていた。
もしかしたら既に結婚しているかもしれない、約束事を覚えていたらそれこそ負担になる。気づいていないのなら黙っていた方が良い。気づかれない方が良い。
街の平穏を守る警察官の一人として、みちかに接しながらも別れるまで気を張っていた。
ちゃらちゃらとした喋り方、適当でアホで煩い俺。ずっと定着していたはずのそれに支障が出てくる。みちかと再会した瞬間、昔の俺が顔を出しかけてる。
違う、お前は出てこなくて良い。
心の内で必死に過去の俺に蓋をしながらもみちかを美容室まで送り届けて、すぐに自転車を駅まで走らせた。
みちかが失くしたという携帯の存在が頭から離れなくなってる。それが全ての答えだと分かっていても、分かりたくない、分かったらいけない。
がむしゃらに自転車を走らせながら、息が酷く切れていた。
携帯は幸いな事に駅の階段に落ちていたらしく、無理を承知で知り合いの携帯だからと受け取らせて貰った。
これを渡して、それで全ての気持ちを消去しよう。
みちかに対するこの気持ちも、みちかの存在も。
「みっちー?」
「…………」
仕事終わりに携帯の件について聞きに来たみちかは、真顔で俺をまじまじと見つめながらもそう言った。
「みっちーだよね。私の事分かる?あの……小学生の時ちょっとだけ一緒で、引っ越した後、手紙書いて渡してたんだけど覚えてない?」
興奮気味に問うてくるその姿に「覚えてる」と口に出しそうになる。
忘れてるわけねえだろ。全部ちゃんと覚えてるよ。あの約束事の紙も俺が持ってる。
そこまで言いかけた言葉の上に、みちかの母ちゃんの言葉が覆いかぶさってきた。
『こんな事して、みちかの心を縛り付けないで。あの子はこれから何度も引っ越しをしなきゃいけないの!ここにはもう二度と帰って来ないんだから。引っ越した先で悲しい思いをさせるつもり?一生会えもしないのに、みちかが先に進めなくなったらどうするの!』
嬉しさのあまり緩みそうになった口元に力を入れる。
みちかが先に進めなくなったらどうするのーーーーーーーあの言葉を思い出した瞬間、ぐりっと鋭利な刃物で心臓を抉られたような痛みが走る。
もしも過去に戻れるなら、俺はあんな約束事は絶対にしない。みちかが変わらず告白してくれたとしても、「ありがとう」とその言葉だけは受け取ってーーーーーー受け取ってから何て言おう。
引っ越し先で良い奴を見つけろよ。俺はみちかの事は友達としか思って無いんだ。きっと俺よりいい奴なんて沢山いるから。
出だしから最後まで、全て嘘で塗り固めたそれらの言葉を思い浮かべてみるけれど、自分が酷く傷つくだけだった。
「あーっと……ごめんなさい人違いかと」
その代わり、今現在の俺の口からは笑える程あっさりと嘘の言葉が簡単に口から零れた。
「……人違い?そんなわけ無い」
「うーん。いやー本当に覚えて無い。お姉さんどこの小学校通ってました?」
「ど、どこの……えっと」
みちかは考え込みながらも同じ小学校名を口にした。
何度も引っ越していたはずなのに、その小学校名が出てきた事に少なからず驚いた。
「俺が通ってた小学校そこじゃないです。やっぱり何かの勘違いですね。あるあるそういう事」
「……嘘だ!」
「お姉さーん、僕これから夜の見回りに行かないといけないんですよー。この手続きだけちゃちゃっとやってもらっちゃってもいいですか?お姉さん引っ越してきたばっかりって言ってたから知らないかもしれないですけど、夜になると駅前辺り治安悪いんで、遅くなりすぎる前に電車乗っちゃった方が良いですよ」
「そんな畳みかけるように言わないで!私だよ、みちかだよ。迷子になるからって、みっちーが一緒に家まで連れて帰ってくれたあのみちか」
「えー何それ?めっちゃ青春じゃん。超良い話ですね」
「そういう反応が欲しいんじゃなくて!」
「まあまあ落ち着いて。あれか、俺がほら格好いいから運命感じちゃった的な?確かに今朝の俺格好良かったもんなー。さらっとお姉さん助けて、落とし物も見つけちゃって、神とか言われちゃうくらい格好良かったもんなー分かる分かる」
あれから作り出した新たな自分という存在は、長い年月をかけてしっかりと自分の身体に馴染んだらしい。
これでもかというくらい饒舌に、嘘の言葉を投げかける。
ふいに押し黙ったみちかは唐突に「頭打った?」とまじまじと俺を見つめて言った。
「頭打って記憶喪失とかなの」
いやいや、まさかそんなと笑う俺を見て「結婚しようって約束したのに」と言う。
一瞬何の言葉も出せずに固まってしまう。肯定しているのと同じ反応で内心では焦っているのに言葉が続かない。
みちかは全部ちゃんと覚えてる。あの時の約束を今も変わらず覚えているまま、俺の前に現れた。
それが嬉しいと思う反面、苦しかった。
やっぱりあんな約束はするんじゃなかった。俺のせいでみちかは今まであった色々な道を断絶してきたに違いなかった。
俺の学校にまでみちかの噂が流れてくる程だ。周りに居た男達が誰も告白しなかったとは思えない。
それらの告白を、当時受けたのかは分からないけれど今こうして目の前に居て、あの日の約束を口にするという事は、今みちかの隣には誰の存在も居ないという事だ。
俺より良い奴が居たかもしれないのに、俺の一言のせいで台無しにした。あんな言葉で縛り付けて、みちかの将来を台無しにした。
罪悪感と後悔で「ごめん」と謝りたかった。
絶望している俺を見て、みちかは「やっぱり頭打ったでしょ」と訝しむように眉根を寄せてる。
当然だよな。みちかはこんな俺は好きじゃない。
慣れ親しんだ自分が出て来てしまった手前、もう後戻りも出来ない。
自分の気持ちと後悔を正直に告げて、結婚しようというのが正しいのか、はたまたこのまま作り上げた俺として接した上「そんなのみっちーじゃない」と、あの頃の約束を断ち切らせる事が最善なのか。
答えが出ないまま、みちかと期間限定で付き合う事になった。
一緒に居れば居る程、好きになる。あの頃蓋をした気持ちが溢れだしていく。
このまま一緒に居たら戻れなくなる。
期間が過ぎたら別れよう。それで、本当に俺という存在をみちかの中から消し去ろう。
心の中ではそう決まっていても、みちかとの思い出が増えていく程離れにくくなっていく。一緒に居たい、正直に全部打ち明けたい。情けないと思われても、全部ちゃんと話したい。
「俺はクソ野郎の卑怯者だ」
顔を覆って呻いた俺の肩に、ふいにぽんっと誰かの手の平が押し付けられた。
ゆっくりと顔を上げると、後輩の輝が案ずるような視線を真上から俺に向けていた。テーブルへと差し出された愛用のマグカップには熱々のほうじ茶が注がれてる。
「あの人の事ですか」
「え」
間抜けな声を上げると、輝は「充さん焦ってますよね」と言う。
「え、俺焦ってる?まじ?隠せてねえ?」
「あの人が気づいてるかは分からないですけど、俺から見ると焦ってる」
「まじか……いや実際焦ってるし、どうしたら良いか分かんねえって感じなんですけどね」
「相談にのりましょうか」
「難しい問題なんだわ。真面目なお前が聞いたら、たぶん寝ずに考えちゃうから言わないでおく」
「充さんのためなので、精一杯考えて良い案を出したいだけです」
「その気持ちだけ受け取っておくわ。いつもありがとな」
マグカップへと口をつけて熱々のほうじ茶を飲んだ。中の茶柱が何ともタイミング悪く立っていた。
それを見ても、「今日良い事ありそうだわー」とはならない。
旅行に行って、距離が近くなって、期限が迫ってきているのに「別れよう」と言えそうにない。そもそもあの時、心を鬼にしてでも断れば良かったのでは、なんて今更後悔する。
結局それも何度過去に戻ったとして、断れずに期間限定ならと情けなくも許可する俺が居るのを知っている。
舞い上がってるのは俺の方で、日々それを表に出さないように必死に取り繕ってる。
「俺はお似合いだと思います」
小さな声で呟いた輝の声に、口に含んだほうじ茶を全て噴き出しそうになった。
「お知り合いなんですよね。充さんは本当に覚えていないんですか?」
やめろ、これ以上俺の傷口を抉らないでくれ。
「さてさて、そろそろ見回りでも行って来ようかなー」
「充さん」
「はい」
真面目な声音で呼び止められて、恐る恐る振り返る。
輝は真っ直ぐ鋭い双眸で俺を捉えたまま、「心は嘘をつけません」と言った。
思わず片手で心臓を押さえる。輝の言葉に応えるように、抑えたそこはどくどくと強く鼓動していた。
剛が自分の後悔を全部口にした事で、その気持ちはとうとう抑えきれなくなっていた。全てを知ったみちかは、困惑と後悔を抱えたまま、俺への申し訳なさを募らせていた。
言わなければ一生知られないままのはずだったーーーーーーーーーのだろうか。
本当の所はもう終わってしまった事だから分からない。けれどいずれ、何らかの形で過去の出来事はみちかにバレていたような気がする。
上手く隠そうとすればするほど、ボロが出る。自分の本当の気持ちが大きく膨れ上がっていく。
もう無理だろ、と剛にも自分の本心にも言われているようだった。
そうだ、もう無理だ。
過去の情けない出来事を聞かれたから、後戻りが出来ないんじゃない。
俺の心の内が、もうこれ以上嘘をつきたくないと叫んでる。
俺はみちかが好きで、あの時狡い約束事を交わした馬鹿な小学生で、でもそれでも狡くたってなんだって、みちかの傍に立って居たい。
俺が警察官になったのは、あの時格好良く見えた親父のようになりたかったからで、それと同じくらいみちかを守るヒーローで居たかったからだ。
心に嘘はつけないと言った輝の言葉は正しかった。
みちかから送られてくる手紙に一度も返事を書かなかった馬鹿な俺、みちかを忘れるために片っ端から可愛い女の子に告白していたどうしようもない俺、大人になって再会した第一声で知らない振りをした最低な俺。
全部過去に戻って殴ってやりたい。
けれどそれが出来ないと知っているからこそ、今度はちゃんと先の未来とこれからの事を見据えていく。
後ろばっかり気にして、本当に大事な事を見ていなかった。
守りたかった女の子が、今一人で悲しい気持ちを抱えてる。しなくても良い後悔に苛まれて悩んでる。
だったら俺がすべき事はたった一つ、全部包みこんであげる事だけだ。
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