充の懺悔
24
無理をしていたわけでも、ましてや気を張っていたわけでもなかったはず。
なのにみちかの母ちゃんから叱りつけられて、咄嗟に出てきた軽い調子の言葉も行動も、全て俺を安心させた。
こんなに楽な気持ちは初めてだったからだ。
充、どうする?と聞かれて考えなければいけないことも、充に任せれば良いよと言われて代表として背負わなければいけない事ももうしなくて良いと思った。
皆の前に立つリーダー的存在は、そもそも俺には向いていなかったとようやく痛感した。
全員の意見を聞いて一つに纏める事も、大事な局面で答えを求められる事も気づかぬうちに苦痛になってた。そもそも俺はそんな器じゃない。
明るく適当な事を言ってた方がずっと良い。大勢の中の意見その1くらいの立ち位置が丁度良かったんだ。
こんな煩くアホみたいに喋る俺を、みちかはきっと好きだとはもう言ってくれないはず。
一生会えないかもしれないみちかを、ずっと追い求めなくて良い。俺が残した呪縛の事を考えなくて良い。
もしもいつか戻ってきた時に、いずれ自分の母親が言った一言にみちかが悩んで苦しむことにもならない。
みちかが好きだと言ってくれた俺はもういない。
あなたみたいな人は知らないと言って、離れてくれた方がみちかを深く悲しませないで済むはず。
「充、みちかちゃんから手紙」
郵便ポストに投函されていたはがきや手紙を確認する母ちゃんが、それと一緒に入っていたみちかからの手紙を嬉しそうに俺へと手渡した。
受け取ると、背中を茶化すように軽く叩かれた。
反動で手元から取り落としそうになった手紙を慌てて掴み直す。
引っ越してからずっと、定期的にみちかから手紙が届いていた。
別れ際「手紙書くね」と言っていた言葉を守るように、封筒の中に収められている紙の上には引っ越した先であった些細な出来事がつづられていた。
もう何通目になるか分からない。
嬉しく無いかと言われれば、嬉しいに決まっていて、でも返す言葉はいつだって見つからない。
「ちゃんと返事書いてるの?」
キッチンから顔を覗かせた母ちゃんがにやにやとした表情を隠す事も無く聞いてくる。
「まあ、うん」と適当な嘘をつきながらも封筒を丁寧に開いて中に詰まっていた便せんを取り出した。
手紙の柄も毎度違って、今日は夏を知らせるスイカ柄だった。
みっちーへから始まって、引っ越し先の中学では部活に強制的に入らなければいけないという事が書かれてる。みちかは陸上部に入るらしく、どこかの大会で会えたら良いなと続いていた。
俺はと言えば、友人関係がガラリと変わり、小学校からの仲間とは完全に離れた。部活も強制ではなく、どこにも入る気はさらさら無かった。
例え陸上部に入った所で、もう手足はあの時のようには動かない事を知っている。
傍で応援してくれたみちかはもう居ない。それが俺の原動力だった。
エネルギーが無ければもう走れない。
みちかはどこかの大会に出るんだろうか。その時俺が居なくてガッカリしたりするんだろうか。それとも中学に上がった事で格好いい先輩とかが現れて、俺の事はいずれ忘れていくのかも。
その方が良い、そっちの方がみちかにとってずっと幸せだ。
「はあ」
「何溜息ついてるの。まさか振られちゃった?」
よく分からない事を言っている母ちゃんの言葉をとりあえず聞こえなかった振りをしてやり過ごしながらも、もう一度封筒の中に読み終えた便せんを戻した。
捨てれば良いものを、惨めに全ての手紙を取っていた。
小学生の頃、剛達の間で流行っていた宝物入れという名に称したただの缶入れ。自分の宝物を入れて見せあおうぜと言った剛につられて、友人達はそれぞれの宝物を各々が持つ缶の中に納めて持ち寄った。
けれど俺はその時宝物と言える物が見つからず、一人だけ「良く分かんなかったわ」と言って持ってこなかった。
空っぽのその中が、みちかの手紙を入れるには丁度良いサイズだった。今になってから俺の宝物入れが完成しようとしてる。
誰にも見せる事の無い宝物入れの中に、あの日破られたみちかとの約束事の紙も押し込めてあった。
家に帰ってから一つ一つ、無心で全部テープで貼り付けて元へと戻した。戻してから何やってるんだと正気に戻って、慌ててあの中へと押し込めた。
もう一生、見る事は無いはずの物なのに。
「剛ちゃん、みちかって覚えてる?」
校舎入り口の階段へと足をかけると、そんな声が前方から聞こえてきた。
顔を上げると、剛と友人が連れ立って登校している所で、剛は曖昧に「ああ、そんな奴も居たな」と肩を竦めてる。
声の調子だけで、剛が嘘をついている事はすぐに分かった。みちかの事を全く忘れてない。剛の中にもみちかの存在は今も変わらず鮮明に残ってる。
「で、それが何だよ」
「いや、俺陸上部入ってるんだけど、先輩から他県の陸上部に可愛い子がいるって話聞いたんだよな。その先輩は大会で知り合った友達から写真見せて貰ったらしいんだけど」
「周りくどくて分かんねえ」
「先輩の友達が他県の大会で見た子が可愛いって写真撮っててさ。先輩も見せて貰ったら可愛いからその画像頂戴って言って貰ったらしい」
ちなみに俺もそれ貰ったんだけど、と剛の友人は携帯を取り出して剛へと見せた。
暫く押し黙っていた剛は「みちかじゃん」と小さく呟く。
それからすぐに友人の頭をひっ叩くと「盗撮!」と怒鳴りつけた。
「分かってるよ!ていうか俺が撮ったんじゃねえし!この画像も、見た時にみちかだって思ったからとりあえず貰っただけで」
「先輩達はその画像で何してんだよ」
「え、そこまでは知らないよ。可愛いなーと思って友人さんも遠くから撮っただけなんじゃね?話のネタになるみたいな」
「ふざけんな」
「何キレてんだよー」
どすどすという足音が響き渡りそうな大股で剛が校舎の中へと入っていく。その後ろを友人が慌てて追いかけて行った。
そう言えば陸上部に入ったって言ってたもんな、という冷静な気持ちと盗撮とか犯罪だろという怒りが同時に俺の心の中を埋め尽くす。
殺伐とし始めた内側の本心とは反して、遠く離れた俺に出来る事なんて何も無いという現実に立ち尽くすしかない。
「盗撮って犯罪だよな」
「……え」
家に帰ると、親父は丁度非番だったらしく、母ちゃんの料理を隣で手伝っていた。自分の父親とは言え、傍目から見ても良い父親だと俺は思う。
休みだからと言ってごろごろしている所を見た事が無い。
むしろ休みなのだからと家の事を率先してやる。俺の話も良く聞いてくれて、みちかが居た頃はみちかの話も良く聞いてくれていたらしい。
街中を歩いているだけで「お父さんにこの間助けて貰ったのよ」と声をかけられる事が多々あった。
この近辺で親父は良いおまわりさんとして有名だ。
家に帰ったら全く違いますよ、なんて良くある話だろうけれど親父はそういうのが全く無い。仕事も家事も全部きちんとしてる。
帰宅早々、盗撮という言葉を使ったからか母ちゃんも親父も料理の途中の体勢で硬直していた。暫く時が止まっていたかと思えば、「盗撮されたのか」と親父が厳しい声音で問いかけてきた。
「俺じゃない。人から聞いた話」
何だ充じゃないのか、とホっとした様子にならない所がさすがだなと思える。
親父は厳しい表情のまま「どういう事?」と持っていた包丁を一旦まな板の上へと置いた。
「知り合いが盗撮されてるっぽいんだけど、そういうのって犯罪になるよな」
「盗撮は難しい問題なんだ。スカートの中撮られたとかそういう?」
「じゃない。たぶん」
――――――――たぶん、まだ。
だけれどいずれ、盛り上がり方によってそういう事も起こりうるとは思ってる。今はまだ可愛い女の子が居たという話題で止まってる。
そのうち面白半分も追加されて着替えている姿を撮ったり、最悪な方に発展しかねないとは思ってる。
小学校の頃から女子達は大会の度にユニフォームに着替える場所が少ないとぼやいていたのを聞いている。
ロッカー室はあれど、大人数が入れるような広さでは無く、体操着の下にユニフォームを着てきたと言っていた女子は多かった。
「まだ遠目から顔撮られたくらい」
「くらい、じゃないだろ」
親父は顔を顰めたまま、「そんなの誰がされても嫌な事だ」と言った。
確かにその通りだなと深く頷く。
「でも、そういうのは撮った回数とかによって犯罪になるかならないか微妙なラインなんだ」
「顔なんて撮って何に使うのかと思ったら気持ち悪いじゃない」
「どうやったら警察から注意される?」
捕まらないにしても、「あ、これ悪い事なんだ」って分からせる方法って何がある?
親父は少し考え込むと「警察官が見てたとか、それなら厳重注意にはなるけど声はかけられる」と言った。
「なるほど」
「ただ、警察官の前で堂々とやる人も居ないけどなあ」
「でも抑止力にはなるね」
母ちゃんは人差し指をたてると「警察官の前ではやめておこうってなるじゃない」と言った。
その場限りではあるけれど、確かに抑止力にはなる。
「警察官ね」と呟いて、リビングを後にした。
「充、その子ってもしかして」
親父は言いかけた言葉を最後には無理矢理飲み下したようだった。
振り返った俺の顔を見て、全て察したからだろう。
何も言わずに目を伏せた俺を見て、「許せないな」と俺の気持ちを代弁するようにハッキリとそう言葉にしてくれたのが救いだった。
昔からそういう親で、そういう所に助けられてる。
この場から俺に出来る事は何も無い。画像を持っていた剛の友人に注意したところで意味が無い。じゃあその先輩を探し出すかと考えて、結局は全て塞ぎきるのは無理だろうという結論に至った。
その先輩が画像を消した所で、みちかを盗撮した他県の男の存在が残ってる。口では「あんなの冗談だよ。もうやらねえよ」と言った所で、密かに撮り続けていく可能性だってある。
下手に突いた方がむしろ危険な気がした。
自室の缶の中に押し込んでいた封筒を取り出して、最新の住所を確認する。暫く迷って、結局また元へと戻した。
県をいくつか挟んだその場所は、遠いようで簡単に辿り着ける。けれど行った所で何にもならない。
あの日からずっとそんな繰り返しだった。
学年が上がっても変わらず届いていた手紙は、高校へと入学すると同時に届かなくなった。俺の事を忘れたか、はたまた良い相手が出来たのか。
こうなる事を望んでいたはずなのに、心の内に広がるもやもやとした気持ちは日に日に大きくなっていく一方だった。
単純に忙しくて手紙を出せないだけかも、なんて思っていた気持ちも1年2年と届かなくなってようやく理解した。もうきっとみちかからの手紙は届かない。
むしろ一度も返事を出さなかったのに、これだけ長く出してくれていたのは奇跡に近い。
忘れて貰った方がずっと良い。
俺も、もういい加減みちかの存在を忘れた方が良い。
みちかはみちかで新しい人生を歩んでいく。
そこに俺は存在しない。
俺は俺で新しい人生を歩んでいく。
そこにみちかはーーーーーーーーーーー。
校舎の廊下から呆然と窓の外を眺めていると、背後を丁度通り過ぎた同級生が「他校に可愛い女の子が三人いるって知ってた?その名も三大美女」「そのまんまじゃん」とアホ丸出しの会話でどこかへと歩いていく。
「三大美女」
ぽつりと呟いてから大きく息を吸いこんだ。
可愛い女の子と付き合って、それでもしもみちかを忘れる事が出来たらなんて最低すぎる。
それでもみちかの事を考えると動かずにはいられなくて、玉砕覚悟で三大美女に挑みにいった。
覚悟をしていたとは言え、結果が全敗に終わった事に嘆いたら良いのか安心したら良いのかもう分からなかった。
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