剛の懺悔

22

俺は充の事を良い友人だと思ってて、充はどう思っていたのかは知らないけれど親友だとも思ってた。




これほど俺と気の合う人間も居ないと思っていたからだ。




昔から短気で、良く周りの奴等と言い合いの喧嘩になった。




けれど充とは一度も喧嘩になった事が無い。俺が怒っても、充がいつも一歩引くからだ。俺の意見を聞いて、納得してくれる。納得出来なければ自分の意見を冷静に言う。




いつしか充が一緒に居てくれるようになってから、周りの奴等とも喧嘩をしなくなった。充が上手に仲裁に入ってくれていたのを知っている。




そんな充に対して、俺は密かに感謝の気持ちを募らせるのと同時に劣等感も抱いていた。充にはいつだって敵わなかったからだ。




頭の良さも、運動神経も、周りの奴等は必ず「充は凄いね」と言って褒めはやす。当人である充は何の事?と言いたげに分かっていない。それら全ては才能だ。




充の周りには常に誰かが居て、一人になっている所を見た事が無い。「サッカーしよう」と誘われて、「一緒に遊びに行こうぜ」と声をかけられる。




俺はいつだってついでなのだと気づいてた。




気づいていたけれど、敵わないものはしょうがない。子供ながらにそれだけはきちんと理解してた。




どんなに頑張っても出来ない事は出来ない。超えられないものは超えられない。




俺は充の良き友人で、その立ち位置で良い。充と居れば上手くやっていける。俺の駄目な部分を充が上手にフォローしてくれる。




密かに心の内に隠し続けてきた劣等感は一生表に出て来ることはないと思っていたーーーーーーーーあの日までは。




「転校生を紹介します。入っておいで」




担任の先生が廊下で待っている転校生を教室の中へと招き入れた。




転校生がやってくる事は、少し前から噂になっていて、それが男なのか女なのかという賭け事を密かにしていた。




外れた奴は当たった奴にお菓子(100円しないもの)を一つ買う、というのが条件だった。




ちなみに俺は男に賭けた。




充だけは「俺、どっちでもいいよ」と言って賭けなかった。




おんなーおんなー!おとこーおとこー!それぞれ賭けた性別を手拍子と共に大声で言うと、担任の先生が「うるさいぞー」と軽く𠮟りつけてくる。




仕方なく黙ると、廊下からおずおずと教室の中へと姿を現した女の姿があった。うわ、外した。女子かよ!といつもなら大声で言えたはず。




けれどそいつを見た瞬間、何の言葉も出てこなくなった。




小さくて華奢な身体は見ているだけで頼りなさげだった。肩下まである少し長い髪は、痛み一つ無い艶々とした黒髪だった。




目はぱっちり二重でくりくりとした大きな瞳。可愛い以外の表現が見当たらない程可愛らしい女子だった。




「……柊みちかです」




両手をもじもじと握りしめながらも自己紹介する声はあまりにもか細い。




2年という変な時期に転校してきたから不安なんだ。大きな瞳が教室の中を見渡してまた足元へと落ちた。




1時間目の授業が始まる直前、俺は意を決して立ち上がった。




みちかは隅っこの席で小さくなったまま動かない。遠巻きに全員が気にしているものの、何て声をかけたら良いか分からないのが伝わってくる。




――――よろしくな、仲良くしようぜ、お前どこに住んでるの?、どこから来たの?




みちかへと足を向けながらも緊張で散り散りになっていく言葉をなんとか纏めていく。俺が話しかければ、きっとみちかもクラスの輪に溶け込めるはず。




その時だったーーーーーー「みちか」と親し気に話しかけた声が聞こえたのは。




「あ」




顔を上げたみちかが、心底安心したような表情をした。知らない世界の中で、たった一人縋れる存在を見つけたように。




「みっちー」




みちかへと近づいた充を見て、「みっちー」と呼んだ表情が破顔した。




「一緒のクラスだったの知らなかった。みっちーは知ってた?」



「俺も知らなかった。でも一緒で良かったわ」



「どうして?」




どうして?と聞いた時のみちかの顔が動揺と緊張の色に染まっていく。その瞬間までハッキリと見えた。




「学校の中でも迷いそうだから」



「それは……無いとは言えないけど」




確かにと頷くと、二人は同じような表情で笑っていた。




遠巻きに見ていた奴等が、二人のやり取りを見て近づいていく。「宜しくねみちかちゃん」と女子が話しかけて、「転校って、前はどこに居たんだよ?」と男子が話しかける。




それら全て俺が言おうと思っていた言葉だったのに。




胸の奥がざわついて、笑う充を見た時初めて怒りの感情が湧いた。どうしていつもお前ばっかり。









「あの転校生と接点でもあったのかよ」




昼休み、サッカーに誘われた充と共にグラウンドに向かいながらも何てこと無い様子を装いながら問いかけてみた。




充とみちかは、あの瞬間からお互い知っているような話し方だった。




「家が近所で、朝会ってたから」




充は今朝の出来事をかいつまんで話して聞かせた。朝見慣れない女の子が立っていて、柊みちかだと紹介された事。




一緒に登校していたはずが、後ろを振り返った時には居なくなっていた事。どうやら迷子癖があるらしく危なっかしい子だったという事。




知らない土地で、そんな風に助けられたら充を見る目があんな風に輝いてしまうのも無理はないと思った。あの子にとって、充はヒーローだったに違いない。




でも俺だって、もしも登下校が一緒なら充と同じく迷ったみちかを必ず見つけて、学校まで手を繋いで連れて来た。不安そうにしているみちかを、同じクラスの奴等にちゃんと紹介だってしてやれた。




全てはたまたまで、家が近所では無かったというだけだ。




「ふーん」




手に持っていたサッカーボールを頭上へと投げた。晴天が広がるその下で、胸のざわめきは大きくなっていくばかりだった。




出遅れたスタートダッシュがあまりにも大きなものだったと気が付いたのは、陸上部に入ってから間もなくだった。




みちかは相変わらずみっちーみっちーと煩い。充とみちかの距離はどんどん縮まる一方で、俺とみちかは口を開けば必ずと言って良い程喧嘩になった。




充が居てもそれは同じで、今まで上手に人間関係を築いてこれた事が不思議なくらい、みちかとは上手くいかなかった。何を言っても空回りする。何を言ってもみちかがどんどん離れていく。




その日、隣のクラスのあみが充に告白をする現場に出くわした。あみは可愛いと人気の女子で、遠目から告白の現場を見守りながらどうか上手くいきますようにと必死に願った。




二人が付き合えば俺の中で全て上手くいく。充とあみが付き合えば、今までみちかの隣に立っていた充の立ち位置は俺になる。離れていた距離もきっといつかは縮まるはず。




「告白、どうだったんだよ」




あみからの告白を受けた充は、たった一人で俺達の元へと戻って来て、周りからしつこく問い詰められてもその口を割ろうとはしなかった。




やきもきしながらも放課後の教室で俺と充以外、誰も居なくなったのを見計らってもう一度問い詰めた。黒いランドセルの肩紐に手をかけた充は、「告白でも何でもないだろ」と言った。




冷静な声音に頭が真っ白になっていく。




「あみはまさしが好きなんだから」




真っ直ぐに俺を見つめる瞳が、知らなかったのか?と問いたげだった。




「は……はあ?じゃあ何でお前に告白したんだよ」



「まさしが見てたから」



「どういう意味?全然分かんねえ」




充は少し考え込むと「好きな奴が違う男に告白してたら焦るだろ」と言った。「そういう意味」だと。




分かるような分からないような。




ふと教室の窓の外を見ると、グラウンドの方から遅れて戻ってくるあみとまさしの姿があった。二人はあろう事か仲良さげに手を繋いでいた。




何だあいつ、何だあいつら、ふざけんな。この役立たず。




意味の無い怒りをぶつけたくなりながらも、必死でそれを押し殺していると「俺、帰るわ」と充はいつものように早々に教室を出て行った。




「おう、じゃあな」




片手を上げて見送った後、窓の外をもう一度窺うとあみの姿もまさしの姿も見えなくなっていた。込み上げてくる怒りを堪えながらもランドセルを背負って帰ろうとすると、帰路を歩くみちかの後ろ姿がふと見えた。




一人で歩く後ろ姿は、いつかのように頼りなく見える。




その背中が見えた瞬間、急いで教室を飛び出した。




慌てすぎて、靴箱から取り出したスニーカーがひっくり返って転がった。




両足を適当に突っ込んで、みちかが曲がった方向へと向かって走り出すと充とみちかが並んで帰る後ろ姿が遠くに見えた。



地面に縫い付けられた足が動かなくなる。寄り添うように歩く二人の背中は、いつもそうやって帰っているんだろう事が窺える程近かった。




手こそ繋いではいなかったけれど、それが不思議なくらいお互いの気持ちは見ていて分かった。




みちかは充が好きなんだ。




それと同じくらい、充はみちかが好きなんだ。




二人の間には俺なんかが入れないくらいの深い絆が出来上がっていて、スタートダッシュに遅れた俺は今更もう遠くまで行ってしまった充には追いつけない。




それでも俺なりに上手くやろうとは思ってた。無理でも何でも、もしかしたら何かの拍子に俺にもチャンスが回ってくるかもしれないと信じて疑わなかった。




願えば願う程、いつも空回りして良く無い方向へと転がっていく。








「みちか、陸上部辞めるらしい」




その日学校に行くと、開口一番友人達からそう言われて驚いた。絶対嘘だろと思っていたけれど、昼休みにみちかと奈々子が連れ立って担任の元へと向かった姿を見て愕然とした。




走っている時、みちかはいつも生き生きとしていた。普段は頼りなさげなみちかが、その瞬間だけは楽しそうだった。




走る事が嫌いになったわけじゃないはず。




ふと思い至ったのは、充と連れ立って歩いていたみちかの姿だった。もしかして充と何かがあって、気まずくなったから辞めるーーーーーーとか。




そんなわけないだろと分かっていたけれど、一度浮かんだ疑惑は振れ上がっていく一方だった。




教室へと戻ってきたみちかを見た瞬間「みちか、陸上部辞めるってまじ?」と直球すぎる言葉が口をついて出た。




本当はもっと優しい言い方をしたかったはずなのに。何かあったのか、本当は辞めたく無いんじゃねえの?俺に出来る事は無い?言いたかったそれら全ての言葉は心の内に留まったまま。




「お前もしかして充と別れたから陸上部辞めるの?」




言った傍からまた後悔する。




そんな言葉、今言う必要ねえだろと自分が一番分かってる。




驚愕したように俺を見たみちかの瞳が揺れていた。




「家が近いから送ってくれてただけだよ」




すぐにふっと逸らされた顔を見た瞬間、苛立ちが大きくなっていく。




「だってお前あいつの事好きじゃん」




教室に集まって居た奴等が一斉にざわついて、しまったと思った瞬間には「うるさいな!」とみちかに思いっきり突き飛ばされたあとだった。




背中から床に転がって驚くと、「私は剛ちゃんみたいな奴が嫌い!大嫌い!あっち行け!!!」と瞳に涙をいっぱい溜めて怒鳴られた。




心が抉られて痛みを伴う。どうしていつも俺はこうなんだ。こんな言葉が言いたかったわけじゃない、思っている事と反対の事しかいつも言えない。




俺は、みちかに陸上部を辞めて欲しく無かっただけなのに。




届かないのならせめて、楽しそうに走っているみちかの姿を遠目からでも見て居たかっただけなのに。




「俺だってお前みたいな不細工で面倒くさい奴嫌いだよ!」




起き上がった勢いのままみちかを押すと、華奢な身体があまりにも簡単に吹き飛んだ。机事床に転がったみちかが「……うっ」と微かに呻いた。




その場に蹲っている身体を見た瞬間、ぞっとして、けれど怒りの感情は収まらない。




どうしてだよ、何で辞めるんだよ、何があったんだよ。問い詰めたくなる感情のままみちかに歩み寄ると、奈々子に思いっきり蹴り飛ばされた。




引っくり返った俺を、奈々子は人でも殺せそうな鋭い瞳で睨みつけると「怪我してない?」とみちかに急いで歩み寄った。




一瞬で頭が冷えて、その場から急いで逃げ出した。遠くから担任の怒鳴る声が聞こえてきて、尚更自分のしでかした愚かさに泣きたくなった。




非常階段へと逃げ出すと、「剛」と後ろから控えめに充に声をかけられた。




手摺に両手をかけたまま、込み上げてくる涙を一滴も零さないように奥歯を噛み締めた。




「どうしてあいつ、部活辞めるんだよ」




怒りの矛先を充にぶつけるように、刺々しい問いを投げかけると、頭上から「引っ越しがあるから」と悲しそうな声音が落ちてきた。




「いつか引っ越さなきゃいけねえから、だからこういうのは入ったら駄目なんだって」



「………はあ?意味分かんね……」




その言葉を聞いた瞬間、堪えきれなくて勢いよく振り返った。




数段上に立っていた充の顔を見て、続く言葉が見つからなかった。




充も同じように怒りを堪えて我慢していたからだ。




意味分かんねえよ、全然納得出来ない。本心をあまり表に出さない親友が、珍しく爆発しそうな気持ちを表情に出していた。




「まじで辞めなきゃいけねえの」




充に縋ったところで意味が無いのは分かってる。




敵わないし、みちかの事を思うと腹が立つ、だけれど信用出来る良い友人で、充はいつも上手く何でもフォローしてくれた。




充の返答を待っていたけれど、何の言葉も返ってこなかった。




それが全ての答えなのだと分かった瞬間、愕然とした。




「あいつ、いつか居なくなるの?」




もう一度縋る言葉を投げかけると、充は静かに目を伏せて「そんなの嫌だ」と言った。そんな事はさせないじゃなく、子供らしい嫌だという我儘みたいな情けない言葉だった。




充は俺と同い年で、俺と同じく何の力も無い子供だった。




それを今更思い知った。




俺達の心配を他所に、みちかが引っ越しをするという話は学年が一つ上がっても出なかった。




みちかと充とはクラスが離れて、尚更みちかと話す機会は減っていく。




あんな事があった手前、もう何を話したら良いのかも分からない。謝った所で今更すぎて、謝罪の言葉すら出てこないまま。




互いに避けるような生活を送りながらも、みちかと充の距離がもっとずっと近いものになっていくのを他人事のように眺めていた。




奥底にみちかへの気持ちは残したまま、二人を邪魔する気持ちも劣等感も随分と薄れていた。







「みちかが転校するらしい」




ホームルームを終えた教室に、隣のクラスの奴等が飛び込んで来た。




「ええ、うそ!」



「何で転校?うちの学校に転校してきたじゃん」



「親が色んな場所に移らなきゃいけない仕事してるらしいよ」




ざわめく教室の中、呆然とその話題を聞いていた。




あの頃もしもいつかみちかが転校したらと思うと、怖くて怖くて堪らなかった。けれどそんな恐怖も段々と忘れていくもので、もしもいつかなんて一生訪れないんじゃないかと勝手にそう思っていた。




「充!」




隣の教室に飛び込むと、俺のクラスと同じくみちかの転校の話で持ち切りだった。皆が皆、辛いね悲しいねとみちかが居なくなる事について口先だけの寂しさに浸ってる。




充の腕を掴んで無理矢理非常階段へと連れ出した。




「みちかが転校するって!」



「知ってる」




至って冷静な返答が返ってきて「知ってるじゃねえよ!」と怒鳴りつけてやりたくなる。




「良いのかよ。どっか行っちゃうんだぞ!」



「良いわけねえじゃん」



「良くねえのに何でそんな冷静なんだよ」



「冷静じゃねえし。今も頭の中でぐちゃぐちゃ色んな事考えてる。でも行くなって言ってもみちかを困らせるだけだろ。俺に何か出来る事があるなら何だってしてやりてえけど」




そこで押し黙った充は「今の俺に出来る事なんて、また会おうって笑って言う事くらいだ」と言った。




充はいつも先の事を見てる。目先の事で慌てる俺とは違って、ちゃんと大人みたいに対応してる。




その充が、自分に出来る事なんてと言った言葉が全て正しいんだろう。じたばたした所で、俺達は何の力もないただの子供だ。




それでも充ならば何かしてくれるんじゃないだろうかと勝手に思ってた。




だってお前、みちかの事が好きだろ。




なのにそんなに簡単に諦めて、寂しいならもっと何かしろよ。行って欲しくねえなら、もっと何かしてくれよ。




心の中がひび割れていく感覚に、充に背を向けて立ち去った。




俺がもしも凄く金持ちの家の子供なら、みちかを一緒に家に住まわせてやれた。




俺がもしも大人だったら、みちかを転校なんてさせないようにとにかく色んな事をしてやれたはず。




何日もそうやって考えていたけれど、今俺に出来る事は充の言っていた通り何にもない。

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