11-2
「謝ろう謝ろうとは思ってたけど、機会逃してるうちにお前が転校したから」
「……それは……私も思ってた。あの時ごめんね」
気まずい空気に包まれて、両手をもじもじと握り合わせると「はあー」と剛ちゃんは長く溜息を吐き出して、整えていた自らの髪を雑にわしわしと片手で乱した。
真後ろの自動扉が開き、会場の方から「剛、二次会出ねえの?」とお誘いがかかる。
それに剛ちゃんは「すぐ戻る!煙草吸ってから」と片手を上げて答えると、もう一度私へと向き直った。
「充に会いに行くのか」
あまりにも真っ直ぐに見つめられて言葉に困った。
けれどそれから「うん」と深く頷いた。
私はちゃんと、色んなことを確かめに行かなければならない。みっちーが何を思っているのか、本当の気持ちは何なのか。
そこで迷惑と言われるのならーーーー悲しいけれどその本心を受け止めなければ。
剛ちゃんは静かに目を伏せると「そっか」と消え入りそうな小さな声音で呟いた。
どうしてそんなに悲しい顔をするのか分からない。剛ちゃんも久しぶりに見た友人の変わり様に少なからずショックを受けているのかもしれない。
分かるよと肩を叩くと、剛ちゃんは「充に…」と独り言でも呟くようにして言った。けれどすぐに「やっぱり何でもねえ」と踵を返してしまう。
「え、みっちーに何?」
「何でもねえよ!」
「絶対何か言おうとしてたのに」
「してねえ。気のせいだろ」
小首を傾げた私を、剛ちゃんは何とも言えない表情で見つめ返しただけだった。
じゃあなと一方的に別れを告げられて、返事すらできない。
聞き間違い、ではなかったはず。確かに剛ちゃんは「充に」と言った。
もう一度呼び止めようとしたけれど、あまりにも頑なな様子で立ち去ってしまったので言葉にならなかった。煙草を吸うと言っていたのに、そのまま真っ直ぐホテルの中へと戻って行った剛ちゃんの背中を静かにその場から見送る事しかできない。
何だったんだろうと小首を傾げながらも、仕方なく私もホテルへと背を向けて歩き始めた。
来た時と同じくタクシーに乗り、間違わずに電車を乗り継ぎ、一度自分の住むマンションへと戻った。部屋の中を引っ掻き回して、ようやく見つけた自由帳を手に持って外へと飛び出した。
あの頃開くことが怖くなったその中身を、数年越しに見なければならない。
大丈夫、仮に風で飛んでも私はもう車道には飛び出さない。みっちーがお父さんに叱られるような馬鹿な事は絶対にしない。
苦い記憶を抱えながら着替えもせずにそのまま目的の駅へとついた。
「こんばんは」
「……こんばんは」
交番の扉を勢いよく開けると、みっちーは丁度警察官の帽子を脱いでいる所だった。裏手に引っ込もうとしている所を見ると、これから休憩かもしくは今日の職務はこれで終わりだったのかもしれない。
驚いた様子で私を見つめるみっちーは「結婚式にでも行ってきたんですか?」と素知らぬ態度をとる。
あの映像の中に登場しておいて、良く言う。
「大事な話があるんですけど、ちょっとお時間良いですか」
「え、やだ。まさか告白?一世一代の告白ですか?俺に?まじ??え、どうしよう緊張する。お姉さんみたいな美人に告白される日がくるなんて。ちょっと待って、髪整えてくるから」
乱れもしていない髪を手櫛で直すみっちーを真顔で見つめながら黙って待つ。
そうしていると、恐る恐る振り返り、入り口で仁王立ちしている私にようやく気付いたらしい。「今すぐ行きます」と帽子を被り直して、交番の外へと連れだって出た。
「あの一応言っておきますけど、まだ職務中な身なので出来れば小声で告白していただけると」
いやあー実際めちゃくちゃ嬉しいんですけどね、照れちゃうなあーと腰に両手を当てながらも「さあどうぞ」と言わんばかりなポーズを取る。
それを無心で見つめながら、部屋から持ってきた大事な自由帳をバックの中から取り出して開いた。
あの頃平仮名でけっこんとどけと書いた紙には私の名前しか書かれていない。みっちーは、大人になった時、私がまだみっちーを好きならこれに名前を書くと言ってくれた。
パラパラと最後まで捲ってから慌てて戻った。何度戻って見直しても、あの大切な紙が見つからない。
おかしい、絶対にこの自由帳に挟んだはず。大切な引き出しの中にしまってあったのだから間違いない。
なのにどれだけ探しても、ひっくり返して振ってみても出てこない。
「あの、何ですか?」
みっちーが怪訝な表情をしてる。
「け、けっこんとどけがない!」
「なに?けっこんとどけ?お姉さん婚姻届けの間違いじゃ」
「ちが、いや…そうだけど!そうじゃなくて!あの頃の約束事だった紙!」
「いやだから何の話ですか?」
さーっと血の気が引いていく。まさか、来る途中に落とした?ううん、絶対にそんなことはないはず。だって部屋の中でバッグに入れて今の今まで出さなかった。
だとしたら部屋の中に落としてきた?どうしてこのタイミングで!
「わ、忘れてきちゃったけど、けっこんとどけの紙を覚えてない?あの時約束した大事な紙!」
「いやいや覚えてませんよ。ていうか覚えてるって何ですか?まだ俺と誰かを間違ってます?一世一代の告白なのかと期待して出て来た俺の気持ちよ!」
「いいえ、あなたがみっちーなのはもう理解しました。いい加減に嘘をつかないで。だって結婚式の映像に出てたでしょ!私には違う学校に通ってたって言ったくせに!」
「え、ほんと?同じ学校だった?まじ?みちかちゃんみたいに可愛い子居たら絶対に忘れないはずなのになあー?何で忘れてんだろ?クラス違ったとか?」
この腹立たしさをどうしたら良いものか。
大事な紙は手元に無いし、みっちーはみっちーでしらを切っているし。
「私が来たのが迷惑だからそんな風に言うの?今頃あの時の約束事を持ってこられたら困るから?だったらそうハッキリ言ってよ!」
「ちょ、泣くのはやめて!女の子の涙は駄目!抱き締めてよしよししたくなっちゃうから!もう泣くなよーってぎゅってしたくなるから!」
「してよ!!」
「無理なこと言わないでください?一応警察官ですからね、絶対駄目なやつなんだわ」
してあげたいのは山々だけどねーと、みっちーはハンカチを取り出して私に向かって差し出してくる。
それを乱暴に受け取った。
「迷惑ならどうしてハッキリ言ってくれないの。白を切るのは卑怯です」
「泣くのもなかなか卑怯ですよ」
「泣きません!中途半端にされるのは嫌だからハッキリ言ってよ」
覚悟はした上でここまで来たのだから。適当にあしらわれる方がずっと悲しい。
みっちーは真っ直ぐ私を見つめると「迷惑です」と本当に清々しくなるほどハッキリ言った。
時が止まって、悲しいくらいの無言に包まれる。
真後ろを数台の車が通り過ぎていき、ようやく止まっていた時が動き出すと「わああああ」と声を上げてその場に泣き崩れた。
みっちーが「話が違うじゃん!!」と慌ててる。
だってやっぱり悲しい。何もそんなにハッキリ言わなくても。いや、ハッキリ言ってとは言いましたけど。もう少しオブラートに包めないの?オブラートって言葉知ってる?
「どうして迷惑なの?彼女がいるんですか、結婚してるんですか?私の事は覚えてるんでしょ?」
「居ませんよ!居ませんし、あなたの事も知りません!何度言わせるんですか!」
「本当に覚えて無いって事?みっちーの記憶の片隅にも残って無いの?彼女が居ないならもう結婚してよ!約束したんだから守ってよ!」
「この人めちゃくちゃなんだけど!……いや誤解しないでくださいね!この子酔っぱらってて!もう困るなあーお姉さん、泥酔するまで飲むなんて危ないですよー」
突然よく分からない事を言い出したかと思えば、通行人の人達が警察官の痴話喧嘩だとひそひそと話ながらも通り過ぎていく。
私の肩に振れると「立って」と強引に立ち上がらせたかと思えば、「へいタクシー!!」と切羽詰まった様子で車道に向かって手を上げた。
目の前で停車したタクシーへと強引に押し込まれて唖然としてしまう。
「とりあえず家に帰って一旦冷静になってください。ここで騒がれると業務の邪魔です」
「本当に私の事覚えてないの。約束事も?同じ学校に通ってて、毎日一緒に登校してたのに?」
「そういう妄想をしてらっしゃるんですよねー。了解しました、俺とお姉さんは毎日あははうふふって登校してたんですよねー。そうだったかもしれない。そんな気がしてきました。じゃあ運転手さんあとはお願いしますねー」
自動で閉まる扉も待たずに無理矢理閉めようとするみっちーの姿に慌てた。
さすがの私もそんな風に追い出されたらそう毎日顔を出しにくくなる。あの頃の事について今日を逃したらもう何も聞き出せないかも。
咄嗟に閉まる前に手を伸ばして、着ている制服を引き寄せた。バランスを崩したみっちーが引き寄せられるまま、私に近づく。
無理矢理口付けると、ふにっと柔らかい唇が触れた。
微かに動揺を孕んだ吐息がすぐそこから聞こえた気がする。
「私と期間限定で良いので付き合ってください」
私を覚えていないと言うのなら、そこで絶対に思い出させる。
知らない分からないで、せっかく再会した縁は切らせない。その期間で思い出せないのならそれはもう、諦めるーーーーたぶん。
もし分かっていてそんな態度を取っているなら、その理由がちゃんと知りたい。
それに性格の事も含めて全部、とにかくみっちーに何があったのかを話して欲しい。
「良いって言わなきゃ騒ぎます」
ここで大声で、よく分からない事を叫んで迷惑をかけます。
大人げない脅しをかける私を、みっちーは呆けた顔で暫く見つめると「運転手さん、さっさと行って下さい」と私を無理矢理引き剥がした。警察官らしい手慣れた引き剥がし方だった。
「ちょっと!!」
運転手さんも私を酔っぱらいだと勘違いしたのか、みっちーに同情するような顔をすると扉を閉めてしまう。慌てて窓を全開に開けた。
「次のお休みはいつ!?」
「あし……おい」
「明日!私も火曜日で定休日なので休みです!あそこの駅で待ってます!お昼に!来るまで待つから!」
運転手さんが前方から「おまわりさんに絡むのやめなさいー」と諭しながらも勝手に走り出してしまう。
その場から私を見送るみっちーは、やれやれと首裏を撫でていた。
握り締めていた自由帳を「もう!」と自らの膝に叩きつける。絶対にこのままで逃がさないからと、逃げ腰だったはずの闘志に火がついた。
帰ったらまず、タイミング悪く落としてきたであろうけっこんとどけを見つけなければ。
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