期間限定

12

散らかった室内を見て呆然としながらも、カーテンの隙間から明るい陽の光が差しこんできた事にハっとした。




この場から動きたくないと思っても、現実的にそんな事は出来なくて、一方的に告げた約束事を思い出した。




慌てて腰を上げてもう一度室内を見渡す。




どこを探してもあの時の紙は見つからなかった。




自由帳はあるのに、その中身が無い。あれから何度も引っ越しを繰り返すうちに、どこかに置き去りにしてしまったのかもしれない。




見ないようにしていたとは言え、失くしたなんて。自分が信じられなくて腹立たしい。




絶望しながらも、急いで身支度を整えるために脱衣場へと足を向けた。




目的の駅へと向かいながらも、そう言えばお昼なんて、かなり大雑把に告げてしまった事を思い出した。




お昼の12時なのかそれとも12時半になるのか、遅い13時を示すのか、頭を悩ませながらもとりあえず12時着を目指して駅へと降りた。




そもそもあの時連絡先を交換しておけば良かったと後悔したけれど、きっと適当に流して交換してはくれなかっただろう。今日も実際来るかどうか分からない。




去り際「行きませんからね」という顔を向けられたから、たぶん来てはくれないだろう。




分かってはいるけれど、もしもという事を考えると、自分から一方的に告げたくせに本人が行かないなんてありえない。




私の事を覚えて無かったとして、じゃあどうして学校名までわざわざ嘘をついたのか分からない。それって遠回しに私の事を覚えているって事じゃない。




まさか私が二人の結婚式に行くとは思いもよらなかったのか、それともビデオメッセージの事をすっかり忘れていたのか、はたまたバレるのは百も承知で、後々白を切ろうと思っていたのか。みっちーの考えはどれだけ考えても分からなかった。




これはやっぱり、当人の口から直接聞かなければならない。




馴染みの駅へとつくと、柱には【痴漢絶対ダメ!!】というポスターが貼られていた。見慣れた最寄り駅のポスターを横目に、階段を上りかけた背中を「まじで来たんですか」と真後ろから呼び止められた。




慌てて足を止めると通行人の邪魔になり、軽い舌打ちを食らう。




すみませんと慌てて頭を下げてホームまで降りた。




どうやら同じ電車に乗っていたらしく、ホームで困ったように立っているみっちーの姿があった。




お休みだから警察官の制服姿では無いみっちーは貴重すぎて眩しい。黒とオレンジの二色に分かれたマウンテンパーカーにすっきりとしたパンツ姿だった。




シンプルだけれど背の高いみっちーは、それだけで一際目立つ程格好いい。




「……来てくれるとは思わなかった」



「はい?勝手にそっちから無理矢理予定押し付けておいて?待ってたらと思うと行かざるを得ないだろ!女の子に待ちぼうけさせるとか、みっちー一生の不覚ってやつだわ。狡いんですよやり方が」



「だってこうでもしないとちゃんと話してくれないじゃん」



「話って、もう十分話したでしょう。同じ学校に通ってたらしいけどまじで覚えてないんですよ」




―――――――嘘ばっかりと言いかけた言葉は、これ以上何を言っても堂々巡りなのが分かって一旦飲み下した。




みっちーはやれやれと頭を振ってから、私を繁々と眺めると、今更気が付いた様子で「うわ、ワンピース姿可愛いな」と言った。




直球で褒められてドキリとすると、「そんな張り切って来られると、じゃあさようならって言いにくいだろ」と続いた言葉に顔を顰めた。




ここに来てくれたのって、私とのデートのためじゃなく、デートを断るためにわざわざ来たって事?酷い。あんまりだ。




「ここまで来たならもう最後まで付き合ってよ。お休みなんだから良いじゃないですか」



「まあ、可愛い女の子と休みの日にデートするのも悪くはないんですけどね。デートプランとか全く考えてきてないですよ俺」



「そ、それは私に全て任せてくれて良いです。後悔させないつもりで来たから」




期間限定でお付き合いしてと言ったでしょと言えば、みっちーはそれについては聞こえない振りをした。都合の良い耳ですね。




私はバッグから寝ずに考えたデートプランが書いてある紙を取り出した。




「動物園でライオンを見て食べられちゃいそうーって言ってみっちーに可愛いなこいつって思ってもら」



「勝手に読まないで!」



「食べられちゃいそうーって檻にでも入らない限り食べられないでしょう。それともどこぞのユーチューバーみたいに身体張って中まで入るつもりですか?捕まりますよ」




真顔で返されてさらに赤っ恥をかいた。そんな命知らずなみたいなこと絶対にしません。




見ないでと言ったのに、みっちーは私の手からデートプランの紙を奪い取ると、下までざっと目を通してしまう。色々言いたそうな視線を向けられて、慌てて視線を逸らした。




「一つ言わせてもらうとしたら、1日じゃこれ全部回りきれませんよ」



「え、そうなの?」



「同じ場所に動物園も遊園地も水族館も海も山もあるわけじゃないのでね。都会なら何でもあるって勘違いしてます?」




ーーーーー勘違いしてました。




みっちーは「一つに絞ってください」と紙を返してくる。




仕方がないのでいくつか候補を出した中から絞りながらも、そう言えばと顔を上げた。




「自慢じゃないですけど迷子癖があるので、途中で迷子になったら帰り道に困るかも。先に連絡先交換してもらっても良いですか?」



「はあ?ずっる、そういう手口流行ってるの?こわ!すげえ上手に人様の連絡先入手しようとするじゃん?ずっる!良いですけどね可愛いから許しますけどね。用事無い時連絡してきたら無視しますし」




何かある度かけてやろうと思っていた魂胆はどうやらお見通しらしい。




それでもみっちーは連絡先を交換してくれた。




まあ、迷子になられたらこっちとしても困りますしと渋々な様子だったけれど、その優しさは昔とあまり変わって無いように思えた。




「それで、どこに行きたいか決まりました?迷子癖あるなら行き方も分かんねえんでしょ」



「……ペンギンが空を飛ぶ所に」



「………」



「ペンギンって空を飛ぶって知ってましたか」




ふいに過ったいつかの記憶が鮮明に目の前へと広がっていく。




ランドセルを背負ったみっちーに問いかけた、笑えるくらい馬鹿な質問。




過去のみっちーと今現在のみっちーが目の前で重なる中、眉を潜めたすぐ後に「知らなかったわー」とみっちーはそう言った。




泣きたいくらい嬉しい気持ちをどうしたら良いのか分からない。




幼いみっちーもそんな事はありえないと分かっていながら、知らないと嘘をついてくれたのが今なら分かる。




「そう言えばそんな水族館がありましたね。まるっきりデートじゃん」



「デートって言いましたから」



「そうですねー。じゃあ今日は美人なお姉さんとのデートを心から楽しんじゃおうかなー。もう二度と無いかもしれねえし」



「また誘いますので。行きたい場所山ほどあるし」



「もう二度と無いかもしれねえしー!」




もう次はありませんと強調して言うみっちーの言葉を、今度は私が無視してやった。隣から「都合の良いお耳だこと」と呟いたみっちーに、その言葉はそのままお返ししてやりますよと心の内でだけで返答を返しておいた。




幼い頃、ニュースで見た水族館の中で空飛ぶペンギンが映っていた。実際はペンギンが空を飛んでいるわけでは無く、頭上に作られた大水槽をペンギンが優雅に泳いでいるだけ。




晴天と一緒に映るその姿がまるで空を飛んでいるように見えて、幼い私は本当にペンギンが空を飛んでいるのだと勘違いしていた。




一緒に行こうと言ったあの約束まで覚えているかは分からないけれど、その約束は数年越しに果たされた。




上を見上げるとニュースで見たような青空が広がっていて、そこをペンギンたちが飛んでいく。ガラスに覆われた水槽の中を泳ぐペンギンは、この水族館の目玉の一つらしい。




都会ならではなビル群が映り込む水槽は何だか少し不思議に見えた。




足を止めた小さな男の子が「凄いね!」とお母さんの手を引っ張って飛び跳ねてる。




何だか懐かしい光景だなあと思っていると、みっちーもその男の子を微笑ましそうに見つめてる。




「青空とペンギンとビルって何だか妙な組み合わせだよな」




水槽をもう一度仰ぎ見たみっちーは、不思議な光景に首を傾げた。




確かに、ここでしか見られない光景に違いない。




みっちーは静かに私へと視線を向けると、「良かったですね」と微笑んだ。




「空飛ぶペンギン、見たかったんでしょ」




空飛ぶペンギンは見たかったけれど、そこに大事な事を付け加えるとしたらみっちーといつか一緒に見たかったという事。約束は果たされたのに、この虚しい気持ちは何なのか。




本当なら、もう私達の左手薬指にはお揃いの結婚指輪が光っていたかもしれないのに。




「神様って非情」



「え、何で?ペンギンをここに閉じ込めておくから?それ言ったら身も蓋もなくね?まあこいつらも、元々の場所で悠々自適に暮らしてたかったかもしれねえけど。でもここに居たら美味しい飯が時間通りに貰えるし、生きるか死ぬかで海に飛び込む事もしなくて良いし、どっちが良いかなんてペンギンにしか分からな」



「そういう事じゃなくて!」



「あ、そういう事じゃねえの?」




またどうせ、何を言われるか分かっていたからそんなに饒舌に話を遮ったんでしょう。みっちーのやり口は段々私の中で分かってきた。




次、そんな風に塞いできたらその上をいくくらい饒舌に話しを続けてやる。




水族館を見て周り、最後にお土産コーナーに立ち寄ると、みっちーは意外にも私にペンギンのボールペンを買ってくれた。




他に欲しい物無えの?と聞かれたけれど、可愛いなと私が思ったタイミングと一緒に、みっちーも「これお姉さんっぽいな」と言ってくれた言葉が嬉しくて、それが一番欲しい物になった。




「私もみっちーに何か買うよ」



「俺はほら、空飛ぶペンギン可愛いなーって顔してたお姉さんの横顔が最高のプレゼントなので」



「そのお姉さんって他人行儀やめてください。私達付き合ってるんだけど」



「え、いつ俺とお姉さんが付き合ったんです?」



「期間限定で付き合ってって言ったよね。いつまでも逃げられると思わないで。男ならいい加減腹を括ったらどうですか?」



「そんな告白の仕方聞いた事ねえわ」




驚きながらも私の手元からペンを奪い取ると、さっさとレジへと向かってしまう。またはぐらかされた。




せっかく来たのだから、思い出に何か一つくらいみっちーにもと悩んでるうちに会計を済ませたみっちーは「行きますよ」と館内を後にしてしまった。




今までずっと隣を歩いてくれていたのに、振り向きもせずに行ってしまう背中は、遠回しにいらないという拒絶のようで、迷ったけれど急いで色違いのペンギンのペンをレジへと持っていった。




「腹減ったなー。お姉さんは?」



「お腹空いた。みちかですけどね」



「だよなー。みちかちゃん何食べてえ?」



「みちかちゃんじゃなくて、みちかで良いです」



「そんな一気に距離詰めるやり方学んでねえから無理。俺にはハードルが高すぎるわー。っで?何食べてえの?」




問われて最初に浮かんだのは、大人になって再会したみっちーが言っていた美味しいラーメン屋さんだった。




「ラーメン食べたい」



「お、良いね!」



「みっちーが言ってた美味しいラーメン屋さんに行きたい」



「あーあそこねー。めっちゃ美味いからな。俺のおすすめはラーメンなんだけど後輩はつけ麺が美味しいって言ってたところな?」



「そうそう」




そんな話をしていたら、お腹はもうラーメンを受け入れる体勢に入ったらしく、ぐうううっと盛大にお腹が鳴る。




じゃあ戻ってラーメン食いに行きますかーと明るい声音と共に、買ってくれたプレゼントを手渡された。小さな袋に包装されたペンギンのボールペンをバックの中に丁寧に滑り込ませる。




「ありがとう」



「どういたしまして。もう二度とないデートなのでね、お礼です。可愛いお姉さんと二人っきりになれて幸せだったわー」



「あ、そういう事ならいらないです。受け取らないから次もまたデートしてね。ていうか何回言わせるの?期間限定で良いから付き合ってって言ってるじゃん!人の話聞いてる?」



「あ、あそこに宇宙人がいる!すっげ!まじで宇宙人って飛んでるんだあ!すっげえ!初めて見た!大スクープだわ!明日のニュースで謎の飛行物体って取り上げられるに違いねえわ!みちかちゃんも見てみろよ!」




そんな子供騙しある!?逆に驚きながらも、プレゼントをバックから引っ張り出してみっちーのポケットへと押し込んだ。




背を向けて駅へと歩き出すと「待て待て待て」と追いかけて来たみっちーがまるで手品師みたいな華麗な手さばきで、バックの隙間から再びプレゼントのペンを放り込んできた。もう最低。




「この可愛いペンギンペンの気持ち考えてあげろよ。俺なんかが使ってもペンギンペンは不服だわ」




ペンギンペンって何だか言いにくい。




それにみっちーにも同じ物を買ったのに。




「受け取ったからって、次のデートが無いとは限らないから。ていうか絶対またデートに行くからね」



「腹減ったなー。今日は何ラーメン食おうかなー」




お腹を撫でながらもまたそんな事を言うみっちーに腹が立って、バックをフルスイングして背中を思いっきり強打してやった。




買ったお揃いのペンギンペンを渡すタイミングを完全に逃してしまった。




「美味しい!」



「そうだろうそうだろう」



「何でみっちーが自慢げなのかは分かんないけど、本当に凄く美味しい」




電車に乗って、馴染みの駅へとつくとみっちーの案内の元ラーメン屋さんへと辿り着いた。




昼時だから少々混んではいたけれど、数十分並ぶとカウンター席が空いて中へと入る事が出来た。




みっちーは後輩おすすめの煮干しつけ麺を、私はみっちーおすすめの醤油ラーメンを頼んだ。




シンプルな盛り付けは、凝縮された濃厚な醤油スープと合っていて凄く美味しい。




喜ぶ私を横目に、みっちーはまるで父親のような表情で「良かったなー」と笑っていた。




「あの、聞いても良いですか」




ラーメンを食べ終えて外へと出ると、どちらからともなくもう一度駅へと向かった。乗る電車は一緒だったので、ホームへと降りてやってくる電車を待っていた。




雰囲気的にお別れの時間を察して顔を上げると、みっちーは両手を広げて「どうぞいくらでもお聞きください」と演技がかった口調になる。




「その変わり無理矢理な約束事はもう無しにしてくださいね。心優しきみっちーは女の子からの申し出を断れないもので」



「良い事聞いた。次も一方的に約束を取り付ける。来るまで一生待ってるから」



「もうそれはストーカーの域なんだわ。捕まえた方が良いのか迷う所なんだわ。それで?みっちーの何が知りてえの?体重?身長?足のサイズ?好きな食べ物?好きな女性の好み?今なら何でも答えちゃう」



「どこを直せば付き合ってくれますか」



「え」



「髪色ですか、髪の長さですか、服装?みっちーの好みに合わせるから付き合って欲しい。期間限定で……良いから、その間みっちーの好みの女性になります。それでも駄目――――」



「馬鹿じゃねえの」




言いかけた言葉を塞いだみっちーの声は、聞いた事も無いくらい冷たいものだった。




ギクリとして顔を上げると、みっちーは少し怒った顔をしてる。焦っていたからってしつこく何度も言いすぎた。いい加減にしろよ、もう俺に近づくなと言われたらどうしよう。




固唾を飲んで続く言葉を待っていると「そんな男はクソ野郎だ」とみっちーは言った。



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