けっこんとどけ
6
引っ越しをする時の挨拶は大抵いつも同じ言葉ばかり。
【沢山遊んでくれてありがとうございました。あっちに行っても忘れないでくれると嬉しいです】みたいな。そんなの絶対無理な話だと分かってる。
私が居なくなったその場所は、最初こそ悲しんでくれる人も居るかもしれないけれど、ゆっくりと確実に皆の記憶から私という存在が消えていく。
以前引っ越した場所の子達だって、「お手紙書くね」と言ったっきり、一度も届いた事なんて無かった。
私ってきっとそれくらいの存在なんだといつも打ちのめされる。
担任の先生から私が引っ越しをする事がクラスの皆に告げられた。
「え」と息を飲む子も居れば、悲しんで泣いてくれる子も居たりする。でもそれが今だけだと知ってしまった私は、何とも言えない表情のまま先生の隣で立ち尽くす事しか出来ない。
色紙とか書いてくれたりするんだろうか。花束とかくれたりするんだろうか。
後一年一緒に居られたならば、皆と同じように卒業出来たはずなのに。こんな中途半端な所で居なくなって、次の場所でも馴染めず終わるのが目に見える。
早く大人になりたかった。お父さんの都合で転勤すると言われても、「私はここに居るよ」と言えるくらいの大人に。
「次の引っ越し先ってどこ?」
クラスの女の子達の中で、唯一奈々子だけは泣いたりうろたえたり、それこそ「連絡するからね」と言ったりしなかった。
大した事では無い様子で、グラウンドの雑草を引っこ抜きながらも問うてくる。
「遠い所だよ。田舎だって言ってた」
「ふーん。でも電車でもバスでも行けるでしょ」
「え、それはそうかもしれないけど」
「行くよ私」
「………」
「何でそんな顔するの?引っ越しって言ってもお別れじゃないじゃん」
そうかもしれないけれど、行くよなんて言われたのは生まれて初めてだった。
私と同い年のまだ子供の奈々子がそんな遠くまで来られると思えない、はずなのにーーーーどうしてか奈々子はちゃんと来てくれる気もしてる。
「でもまたそこから別の場所に引っ越すかもしれないよ」
それこそもっと遠くとか、海を挟んだ島もありえるかもしれないし。
「じゃあその引っ越し先もまた教えてよ。繋がらない道は無いんだから、海でも山でもどこでも行くよ」
「何で来てくれるの」
「何で行ったらいけないの?」
むしろ迷惑だった?と言われて慌てて頭を横に振った。
そんな事無いよ、本当に凄く嬉しくて、奈々子と友達で良かったなって本当に思ってる。今まで一生の友達なんてきっと作れないと思っていたけれど、奈々子とだったら大丈夫な気がする。
「手紙書いても良い?」
初めて自分から連絡を取りたいとお願いすると、奈々子は何度か瞬きを繰り返して「当たり前じゃん」と頷いてくれた。
奈々子とはきっとまた会えると思うけれど、それでも大好きな奈々子と離れる事がとても辛い。もうこうやってすぐに話が出来る場所にいられないと思うと尚更に。
奈々子にぎゅっとしがみ付くと、奈々子も同じようにして私を強く抱きしめてくれた。
引っ越しをするとお母さんから告げられた時、悲しさと腹立たしさの中、いつもとは違って諦める気持ちもあったのは、たぶん私が幼い子供では無くなってしまったからだと思う。
駄々をこねて泣いたところでどうにもならないと知っている。
だって私は、まだ自分一人で生きていくだけの力が無いから。
だとして、引っ越した時後悔だけを残して去らないようにと心に決めた事が一つあった。
「ねえ、みっちー」
後何度、こうしてみっちーの背中を見ながら学校に通えるだろうと考える。広くなった背中に背負われるランドセルは、数年使い古した証みたいにちょっとだけ表面に傷がついてる。
留め具がカシャカシャと鳴る音はもう聞き慣れた音だった。
振り返ったみっちーは「どうした?」と歩く速度を緩めて、私の隣に並んでくれた。
そう言えばみっちーも、引っ越しの挨拶をする私を見て泣いたりしていなかったし、手紙を書くねとも未だに言われていない。
引っ越す事についてどう思ってるんだろうと、他の子達とは違って少しだけ気になってしまう。
「あの、部活が無い日にちょっとだけ教室に残って欲しいんだけど」
「良いけど、一緒に帰るだろ」
「一緒には帰りたいけど」
でもいつもの帰り道だと何となく駄目な気がしてしまうから。
こういうのって改まって言わなくちゃいけない事だと思う。
それに、いつかのように私だけこの気持ちを告げて終わるんじゃなく、みっちーの本心をちゃんと聞きたいと思ってる。
「ちょっとだけだから」
魂願するように見つめると、みっちーは「分かった。明日部活無いからその時で良いか?」と頷いてくれる。
明日という期限が決められると、今更思い出したように緊張した。
「うん、ありがとう」
頷く事がやっとで、頭の中でその日みっちーに告げる言葉をひたすらずっと考え続けた。
部活が無い日、約束通りみっちーは教室で私と二人っきりになるまで残ってくれた。奈々子には今日みっちーにちゃんと告白すると告げていて、「頑張れ」と背中を押してもらった。
みっちーは他の子達からの誘いを適当に断ると、自らの椅子に腰かけたまま窓の外が夕焼け色に包まれるまで静かに待っていた。
放課後になって暫く経つと、教室の中には私とみっちーだけしか居なくなる。
廊下も静まり返っていて、先生が見回りに来る前にとみっちーの前の椅子を引いて腰を下ろした。
「みっちーに伝えたい事があるの」
「うん」
この日約束を決めたあの時から、ずっと考えていた告白の言葉。緊張でどこかに飛んでいってしまいそうになる。
「引っ越しちゃう前に、ちゃんと言いたくて……私みっちーの事が好きです」
空気感で告白される事は分かっていたのか、みっちーはそれほど驚いてはいなかった。
私をジッと見つめる瞳と視線が重なって、意を決して「みっちーはどう思ってますか」と問いかけた。
今までだったら聞けなかった事だった。私の気持ちだけ伝えられればと思っていた。でも、どうしても引っ越して会えなくなる前にみっちーの気持ちが知りたかった。
もし友達と思ってると言われても、好きじゃないと言われても、それでもちゃんとみっちーの口から本当の事を教えて欲しい。
みっちーは少しだけ押し黙ると、それから「俺も好きだよ」と引き結んでいた唇を開いて言った。
「みちかを見てたら守らなきゃって思って、みちかの事いつも見てたと思う」
「……うん」
「一緒の部活に入れた時本当は嬉しくて、お前が辞めた時は……」
みっちーは一言一言、本心を零すようにして言葉を繋ぐと「俺も辞めようかと思ってた」と言った。
「何のために走ってんのか良く分かんなくなって、でもみちかが続けてって言った言葉に、ここで辞めるのは違うよなって背中押された感じがした」
今まで知らなかったその本心を聞く度に、素直に嬉しいと思って、同時に凄く泣きたくなった。みっちーがそんな風に思ってくれていたなんて、全然知らなかった。
「大会の時も、みちかが来てるのが見えて頑張ろうって思って。いつもは予選とか手抜いて走ってるけど格好つけて本気で走った」
「………」
「俺もみちかの事、すげえ好きだよ」
だからーーーーーと、みっちーは絞り出すようにして「みちかが引っ越すの寂しい」とそう言った。
あんなに泣けないと思っていたのに、みっちーの寂しいという一言で、呆気なく涙が零れる。一度泣き出すともう簡単には止まりそうになかった。
「私も……っ、寂しい。みっちーと離れたくない」
毎日その背中を見ながら学校に行きたい。帰り道、一緒に並んで帰りたい。みっちーが部活の日はたまにみっちーパパの交番に顔を出して、今日の話を沢山したい。
それからまた、みっちーの走る姿を見に行きたい。
どれももう、叶わない。
「みっちーは……私の事忘れないでいてくれる?」
「忘れるわけねえじゃん。みちかの方が忘れそう」
「忘れるわけないよっ……道は迷って忘れるけど……みっちーの事は大人になっても覚えてるしずっと好きだよ」
それこそ何年、何十年と経ったって。
みっちーは「嘘つけ」とちょっとだけ悲しそうに笑って言った。
嘘なんかじゃない、本当だよ。
「大人になって証明するよ」
「どうやって」
「私が一人で生きていけるようになったら、みっちーに会いに来る。それで、私と結婚してよ」
「……会いに来れる?」
「……頑張る」
「頑張るって」
みっちーは真剣な顔でもう一度私を見ると「みちか、結婚の意味知ってんの」と首を傾げた。
「知ってるよ!みっちーと私が一緒になる事でしょ」
「そうだけど」
ちゃんと意味は分かってる。
一緒になって仲良く暮らしていく事。
「じゃ、じゃあ今ちゃんと約束しようよ」
「約束って何の?」
「結婚のだよ!いつか大人になって再会した時、みっちーと私が結婚するって、そういう約束!」
私は急いで自分の席へと戻ると、ランドセルの中から自由帳を取り出して一枚破った。ペンと紙を握り締めてもう一度みっちーの前へと戻る。
紙の一番上に書く文字が一瞬分からなくて、絞り出した文字は「けっこんとどけ」だった。
「けっこんとどけって何か違うんじゃね」
みっちーが小首を傾げて言った言葉を「良いの」と遮る。
今はこれが私の精一杯な感じがするからそれで良いの。きっと大人になった時笑い話になるけれど、それで懐かしいねってみっちーとその時笑いあえてればそれで良い。
けっこんとどけと書いた文字の下に【柊 みちか】と大きく自分の名前を書いた。
「みっちーも書いてよ」
それで私が大人になった時、これと本当に出さなきゃいけない紙を一緒に持って行こうよ。絶対何年経っても忘れたりなんてしないから。絶対何十年経ってもみっちーの事が好きだよ。
必ずちゃんと会いに来るから。
差し出した紙とペンを見つめるみっちーは、暫く迷った様子で黙っていた。けれど最終的に「今は無理だ」と頭を横に振った。
あまりにショックな一言で固まってしまうと、けっこんとどけの紙を丁寧に二つに折りたたむと私の元へと返された。
「みちかが本当に大人になっても俺の事が好きだったら、その時これを持ってきて」
「……本当に好きなのに」
「分かる。でも、これのせいでみちかが先に進めなくなっても俺は困る」
大人のような言葉を言うから分からない。でもこれは振られたって事になるんだろうか。
「本当にみっちーは私の事が好き?」
「好きだよ」
悲しそうに笑う表情の中言われたその言葉は、本当の気持ちだとどうしてか分かった。
胸が苦しくて、こうして向かい合っている事が今更恥ずかしくなってくる。
「分かった。じゃあ、その時私がこれを持って行ったら絶対結婚してね」
二つ折りの大事な約束を引き寄せて胸へと抱えた。
みっちーは静かに頷くと、「みちかが俺をその時もまだ好きで居てくれたら」と言った。そんなの当たり前に大好きに決まってるのに。
「おーい、暗くなってきてるから帰れよー」
担任の先生が見回りで教室へと顔を出すと、窓の戸締りを一つ一つ確認しながらも言った。
その姿に急かされるままにみっちーと二人で校舎を出た。一緒に帰る帰り道が、今日はいつもの倍特別に思える。
胸に抱えるけっこんとどけを見て、みっちーは「転んだら手が出なくて危ねえから」と言った。でもどうしても今、手放したくなくて「大丈夫」と強く抱え続ける。
「うわっ!」
言ってる傍から躓いて、反射的に抱えていた紙が地面に落ちた。転倒する前にみっちーが横から急いで支えてくれてどこも怪我をしなかった。
「ごめん」
「だから危ないって」
―――――言っただろ、と続くはずだったその言葉は目の前を吹き荒れた風に大切な紙が攫われた事で言葉にならなかった。
ふわりと浮いた約束事は宙に舞い上がって縁石の向こう側へと運ばれていく。
――――――駄目、いかないで。
急いで起き上がって縁石を飛び越えた。
「―――――みちかっ!!」
みっちーの怒鳴り声が聞こえて、地面に落ちた紙を拾い上げた瞬間、煌々と光る二つの目玉が私に向かって凄いスピードで近づいてきた。
眩しさに目が眩んで、背中を乱暴に突き飛ばされた。
地面にお腹と顎を思いっきりぶつけて痛かった。大きなクラクションを鳴らした車が、路肩で停車して私に向かって何か怒鳴ってる。
心臓がばくばくと激しい鼓動をたてていてちゃんと聞こえない。恐る恐る隣を見ると、私を突き飛ばしたらしいみっちーが肩で大きく何度も息をしながらもその場に座り込んでいた。
みっちーの手の平から真っ赤な血が出てる。転んだ拍子に切ったらしく、私も気が付くと自分の服に点々と血の跡がついている事に気が付いた。
運転手の男の人は「急に飛び出してきたら危ないだろ!」と怒鳴りながらも「怪我は無いか」と心配してくれた。
幸い転んだ時の怪我のみで、けれど騒ぎを聞いた人達が集まって来る。遠目から警察官のみっちーパパが驚いたように私達の元へと駆けて来る姿が見えた。
「二人共大きな怪我が無くて良かったよ」
運転手の男の人が、何かあってからでは怖いからと私とみっちーを病院に連れていってくれた。一緒についてきれたみっちーパパと共に診察をうけたけれど、やっぱりそれぞれ軽傷だった。
何度も頭を下げるみっちーパパを見ていたら、今更ながら大変な事をしてしまったと涙が込み上げてくる。
病院を出るとみっちーパパは「お家まで送るね」と言って、パトカーに私とみっちーを乗せてくれた。
事情を聞いたら、お母さんはかんかんになって怒るだろう。どうしよう、どうしよう。両手を強く握り締めていると「みちかの母ちゃんには言わないで」と隣でみっちーか静かに言った。
「俺が飛び出して、みちかが追いかけて来てくれただけだから。みちかの母ちゃんには内緒にして」
「え」
どくりと心臓が跳ねて違うよと言いかけた私の言葉を、隣から繋いだ手の平が塞いできた。
真っ直ぐ前を見つめるみっちーは、何も言うなと訴えかけてくる。
みっちーパパは静かに黙っていたけれど、「分かったよ」と頷いた。
「分かってるだろうけど、今度からは絶対に車道に飛び出したら駄目だよ。あの人が避けてくれたから二人共転んだだけで済んだけど、もっと大きな怪我をしてたかもしれないんだからね」
「うん」
頷いたみっちーは、ごめんなさいと頭を下げる。
私も隣で頭を下げながらも、どうしてまたと悔しさで涙が込み上げてきた。
私はいつもみっちーに庇われてばかりだ。
あの時危ないと分かってて、みっちーは私を追いかけて来てくれた。突き飛ばされた強い力が無ければ、私は車とぶつかっていたかもしれない。
ぼろぼろと泣き出した私を、みっちーパパは怖かったねと慰めてくれる。そうじゃない、怖かったけれど、でもそうじゃないんだよ。私は自分が凄く嫌い。みっちーにいつも迷惑ばかりかけている自分が情けない。
二人は私をアパートの前まで送ると、気を付けて帰るんだよといつものように手を振ってくれた。
アパートの階段を上って部屋の前まで向かったけれど、やっぱりと思って踵を返した。
本当の事を伝えなければと思ったからだ。
急ぎ足で階段を降りると、「充」と厳しい声が聞こえてきた。
それがあの優しいみっちーパパの声だと気づくまで時間がかかる程、冷静にとても怒った声だった。
階段を降りてアパートの正面玄関から顔を覗かせると、まだそこには二人の姿があった。向かい合っている二人は、互いにきちんと顔を合わせていて、やっぱりみっちーパパの表情はとても厳しい顔つきだった。
「何も見ずに車道に飛び出したらどうなるか分かっているだろ。みちかちゃんが大怪我していたら?充はどう責任が取れる?あの運転手の人の人生も狂わせてしまっていたかもしれないんだよ」
「うん」
「何かあってあそこに飛び出したのかもしれないけど、もう絶対にあんな事はしたら駄目だ」
みっちーの頭を優しく撫でると、固い表情はいつもの優しい表情へと変わった後だった。
ぎゅっと握りしめていた拳が微かに震えてる。膝を折ってしゃがみ込んだみっちーパパは「怖かったね」と言って、みっちーを強く抱きしめた。
ぐっと身体を強張らせたみっちーが静かに抱きしめられながらも頷いていた。
違うよと言いかけた言葉も身体も、その場に縫い付けられたまま動けなくなった。
あの時私を追ったみっちーが車に轢かれていたら、私はどう責任を取れるだろう。突然飛び出してきた私達をあの人が轢いてしまったら、あの人の人生まで狂わせてしまう事になる。
みっちーパパが言っていた言葉は全て、私の胸にナイフとなって突き刺さる。
大事にならなくて良かったねーーーーーーじゃない。
自分の膝を拳で強く何度も叩いた。馬鹿、馬鹿、私の馬鹿。アパートの外からはみっちーが涙を堪える声だけが微かに聞こえていた。
翌日みっちーと顔を合わせるのがとても気まずいと思ったけれど、みっちーはいつもの調子で「おはよう」と声をかけてくれた。
昨日の事については何にも言わない。ありがとうと言いたかったけれど、言ってはいけないような気がして口を噤んだ。
私はもう絶対に車道には勝手に飛び出さない。みっちーも運転手の人も巻き込まない。例えそこに、大切なやくそくごとが飛んでしまったとしても、またみっちーの前で丁寧に書き直せばいいんだもん。
悲しいのは飛んで無くなってしまう事じゃない、その約束事すらできなくなる事だ。
いつもいつでも持ち歩きたいと思っていた約束事の紙は、すぐに自由帳の間へと挟んで勉強机の奥底へとしまった。
家の中であんな事になるわけが無いのに、それでも戒めみたいに開く事すらできなくなった。
勉強机の引き出しを引くと、そこにはちゃんと自由帳が存在してる。それだけで良かった。あの紙の存在を感じると、私もみっちーもちゃんと生きていて良かったと実感した。
引っ越しの日はあっという間にやってきて、悲しくて泣く私の前でみっちーはどうしてか何とも言えない表情で立っていた。
何度も頭を下げるみっちーママとみっちーパパが「また会いに来てね」と言ってくれた。涙でぐちゃぐちゃに泣き腫らしながら、「絶対また来るからね」と頷いた。
「手紙書くから」
どんなに離れていても、その時の日まで忘れてないよって証を何度も送るからとみっちーに約束したけれどみっちーはその時「うん」とは言ってくれなかった。
お母さんの手に引かれて車に乗る私を、ただ静かに見つめてた。
ぎゅっと握りしめられた手の平が震えているのは、私と同じ気持ちだったからだと思いたい。みっちーも悲しくて私と離れたくなかったから。
だけれど引っ越した後、すぐにみっちーに手紙を書いたけれど返事は返ってこなかった。
季節が巡る中、何度も日常での出来事や引っ越し先の事、また別の場所に引っ越した事、私の事を忘れないでと伝えたくて送った手紙に一度もみっちーの言葉は返ってこなかった。
成長するにつれて、性格的に気恥ずかしくて送り返せないだけなのかもと思っていた可愛くて愚かな私は消えてしまった。
いつしか手紙を送れなくなって、だけれどみっちーという存在だけが記憶の中に残り続ける。
もう二度と会えないかもしれないと思っても、どうしてもあの頃、道を示してくれた黒いランドセルを背負った男の子の姿が消えなかった。
それは大人になるまでずっと、ずっと。
「そう言えば、あの紙はどこにいったんだっけ」
自由帳の間に挟んでいた紙は、あれから怖くて見れなくなってしまった。
何度もフラッシュバックのように思い出す。近づいてきた二つの目玉。私を追って飛び出してきたみっちーの手から真っ赤な血が流れる光景。それから厳しく叱られて泣いていたあの姿を。
あの頃のみっちーの姿を思い浮かべながらも、通帳や印鑑が入っている棚の引き出しを開いてみる。ここだろうかと思ったけれど、そこにも約束事の紙は見つからなかった。
ふっと自嘲気味に笑いながらも引き出しを閉めた。
会いたいという気持ちは薄れないのに、あれから一度も会っていないみっちーが、今どんな大人になっているかが分からない。顔は変わってしまっただろうか、身長はどれくらい伸びたんだろう。
私はみっちーが成長していく過程を何も知らないまま大人になった。
みっちーと別れてから、あまりにも長い年月が経ってしまっていた。
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