悲しき現実

一人での帰り道は、時折迷ってはみっちーパパに助けてもらった。




みっちーパパは私が何度訪ねても、嫌な顔をせずいつもの場所まで送ってくれた。それから一緒に並んで歩く帰り道、みっちーの話を沢山してくれて、私の話も沢山聞いてくれた。




お母さんが学校の話をあまり聞いてくれない分、私はみっちーパパに沢山話した。




今日ね、みっちーが算数100点取って格好良かったんだよ。今日はね、みっちーが陸上部のリレーの選手に選ばれたって先生が言ってたの。大会って見に行けたりするのかなあ。今日はみっちーがね。




みっちーパパはその度に「そっかそっか凄いなあ」と嬉しそうに頷いてくれた。




部活が無い日は変わらず、みっちーが一緒に帰ってくれた。




陸上部での話を聞きたいと私が言えば、みっちーは沢山話してくれた。みっちーはまた背が伸びて、女の子から沢山告白されるようになった。




でも全部断ったと奈々子から聞いてホっとしてる。2年生の頃は、みっちーに好き好きと沢山言えたのに、3年生から4年生になったら、それがちょっとだけ恥ずかしくなってなかなか好きだと言えなくなってしまった。




でも大好きな気持ちは全然変わらなくて、時折みっちーはどう思ってるのかなと気になってしまう。聞きたいと思っても、タイミングがいつも掴めなくて聞けないまま。




5年生になる頃にはようやくみっちーの地図を広げなくても、ちゃんと家まで一人で帰れるようになった。




「みちかが最近顔見せてくれないって悲しがってた」



「え、みっちーパパが?」



「たぶんもう道に迷わなくなったんだと思うって言っておいたけどな」



「じゃあ私、今度またみっちーパパに会いに行くね」



「別にそんな気使わなくて良いよ」



「私がみっちーパパに会いたいだけ」




道に迷わなくてもみっちーパパに会いに行って、またみっちーの話を沢山聞かせてもらおう。私も学校でのみっちーの話を沢山してあげなくちゃ。




「そう言えばペンギンって空飛ぶって知ってた?」




私はふと、今朝のニュースでやっていた話題を思い出した。




もっと街中の方にあるビルの中に水族館があって、そこではペンギンが空を飛ぶらしい。大きなビルをバックに晴天をスイスイと泳ぐペンギンの姿が凄く可愛らしかった。




みっちーは暫く押し黙ると「知らなかったわ」と言う。




やっぱり!私もペンギンが空を飛ぶなんて知らなかった。




「凄いよね!お母さんに連れてってって言ったら入場料高いからダメって言われたの」




お母さんはいつも大人の事情ばかり押し付けてくる。




みっちーは「そっか」と静かに頷くと、「じゃあいつか行こう」と言った。




言われた言葉の意味が分からなくて目を瞬くと、みっちーは真っ直ぐ前を向いたまま「空飛ぶペンギン見たいんだろ」と言う。その耳はいつかのように真っ赤だった。




「うん、見たい!一緒に行こう!約束だよ」




飛びついた私をみっちーは「あぶね」と慌てて受け止めてくれる。そんなところも大好きだった。




みっちーは入場料が高いから駄目なんて言わない、いつも私の嬉しい事ばかりしてくれる。




喜ぶ私を見て、みっちーは肩を竦めるとふと思い出したように、ランドセルの肩紐をぎゅっと握りしめた。それから「剛とはどう?」と問うてきた。




剛ちゃんの名前を聞くといつもギクリとしてしまう。




剛ちゃんとは、あの日以来まともに会話が出来ないまま学年が上がってしまってクラスも離れた。




クラスが離れると尚更気まずくて、互いに避けるような生活をしてる。




廊下ですれ違うと、いつも私は窓の外を見てる。きっと剛ちゃんも同じだろう。




押し黙った私を見て、みっちーは察した様子で「そっか」と静かに頷いた。あの時意地を張って謝らなかったから、今更ごめんなんてもっと言いにくい。だってあの時は剛ちゃんが悪かったじゃん。




「剛もたぶん同じ気持ちだと思うけどな」



「同じ気持ちって?」



「みちかが今思ってるのと同じ気持ち」




それって私が剛ちゃんの方が絶対悪かったって思ってるのと同じく、剛ちゃんも私の方が悪かったって思ってるって事?絶対そんな事無い。あれは剛ちゃんの方が悪かった。私も勿論悪かったけれど。




顔を顰めると、みっちーは心の内を察したのかおかしそうに笑った。




「ごめん、そういう意味じゃないわ。謝りたいけど今更何て言って良いか分かんないって事」




―――――あ、そっち。




何だか自分の恥ずかしい部分を知られた気がして、顔が熱い。




「剛も言いすぎたと思う。後、女を突き飛ばすのは絶対駄目だ」



「……別にこのまま仲直りしなくても良いよ。剛ちゃんの事嫌いだし」



「あいつから少し話聞いたけど……でも…剛の気持ちも少し分かる。駄目な事は駄目だけどな」



「え!!」




思ったよりも大きな声が出て自分でもびっくりしたけれど、みっちーもかなり驚いた顔をしていて慌てたように「そういう意味じゃない」と手を振る。




「みちかの気持ちを大声で言ったのは……普通に良くねえし、それは駄目に決まってる」




良かった、いくら大好きなみっちーでも剛ちゃんのしたことを分かるよと言われるのは辛かったから。




でもだとしたら、何が分かるってことなんだろう。




みっちーを見つめ返すと言葉に困った様子で押し黙ってしまう。




「……剛は確かに口は悪いし、あの時の事は悪かった。でも嫌な奴ではねえんだよ」



「私は嫌い。女の子大好きって騒いでるのも好きじゃない」



「それはー……」



「ずっと喋ってなくちゃ駄目なのかな?ってくらい喋ってるのも煩くて嫌。全部苦手」




みっちーは絶対そんな事言わないのに、といつも剛ちゃんと比べてしまう。その度やっぱりみっちーって素敵だなって気持ちが強くなる。




みっちーは隣で困った顔をすると、「………気づかねえ?」と小首を傾げた。




何か言いたげな表情にその言葉の意味を探ってみるけれど、ピンとこない。




「何が?」



「いや……何でもねえわ」



「え、何それ。どういう意味?」



「まじで何でもねえ、忘れて。確かに煩い時はあるけど、あいつが居ると明るくなるから」



「それはみっちーだって同じだよ」



「俺と剛だとまた違うだろ。ムードメーカーって言うのかな。剛ってたぶんそんな感じ」




だとして、ああいう騒がしさは私は苦手。




顔を顰めた私を見て、みっちーは口を閉じるとそれ以上は何も言わなかった。




「そう言えば、今度ある陸上部の大会だけど母ちゃんがみちかも一緒に来ない?って言ってた」



「えっ!!良いの?」



「みちかの母ちゃんに許可取ってからになるけど、うちは全然良いよ」




剛ちゃんに対するもやもやとした気持ちは、みっちーからの嬉しすぎる誘いで全て吹き飛んで消え去った。




一度で良いから大会でみっちーが走る姿を見てみたいと思ってた。でも私はもう陸上部では無くて、大会は学校でやるわけじゃないから行きたいと思ってもいつもそれが叶わなかった。




「でもお母さん……良いって言うかな……」




嬉しくて「絶対行く!」と言いたいけれど、お母さんにこの話をした時に「良いわよ。行っておいで」と言ってくれる気がしない。




「また陸上部に戻るつもりじゃないわよね」とか、「行く必要なんてあるの?」とか、嫌な事を言う姿しか想像できない。




「母ちゃんからも言ってくれるって言ってた。あと、最終手段は奈々子だろ」



「奈々子?」



「奈々子が行くからって言えば、みちかの母ちゃんも良いよって言ってくれる気がする」



「……そうかもしれない」




私のお願いだけだと弱いけれど、奈々子が行くから私も良いよねと言えばお母さんはもしかしたら渋々了承してくれるかも。




「明日学校に行ったら奈々子にお願いしてみる!」



「うん」




少しの希望が見えて、早く明日になれば良いのにとスキップ交じりに家へと帰った。





翌日、おはようの挨拶もそこそこに奈々子に昨日の出来事を話して聞かせた。頼みの綱が奈々子だと言う事も含めて、両手でお願いポーズを取りながらも懇願すると、意外にも奈々子は頷いてくれた。




「えーめんどくさいけど良いよ」



「ほんと?奈々子大好き!」




奈々子は机の上に色が少し違うピンクのマニキュアをいくつか並べながらも、「みちかはどの色が好き?」と聞いてくる。




5年生になってから奈々子はひっそりとお化粧をする日が多くなった。また一段と他の女の子達より大人になったように思う。




「私はこの色が好き」




本当は学校にマニキュアを塗ってきたら駄目だけれど、淡い色のそれらはまだ一度も先生に塗っている事をバレてなかった。






薄桃色のマニキュアを手に取ると、奈々子は決まって「じゃあこれにする」と言って両手を私に突き出してくる。




奈々子の綺麗な爪を塗るのはいつからか私の役目になった。意外とこういう細かい作業が嫌いじゃない事も、塗り始めてから知った。




肌色に近い爪の色が、ゆっくりと色づいていくのは見ていて綺麗で好きだった。




それを丁寧にはみ出さないように塗る所まで含めて。




「みちがいつも綺麗にマニキュア塗ってくれるからお礼だね」



「じゃあ今日はもっと上手に塗るね!」



「いつも上手だよ。将来はネイルのお姉さんになってよ」



「ネイルのお姉さんかあー」



「そしたら私の専属になってもらうから」



「奈々子はモデルさんになったら良いよ」




この間だって中学生の男の子が校門で奈々子が帰るのを待っていて、「好きです」と大声で告白していた。




奈々子が言った言葉はいつも通り「年上に興味ないから」という大人びた辛辣な言葉だった。




言ってみたい言葉辞典に「年上に興味ないから(髪をかきあげる)」が私の中で追加された瞬間だった。




きっと大人になった奈々子はもっと綺麗なんだと思う。雑誌とかテレビとか、そういうのだってきっと出れるくらいの。




「そんなの面倒くさいからやだよ」




奈々子は塗り終わった爪に息を吹きかけながらも、「今日の帰りにみちの家に行こう」と言った。




きょとんとする私を見て、呆れたように肩を竦めながら「みちのお母さんにお願いしないとでしょ」と言うものだから嬉しくなって飛びついてしまった。




「学校で陸上部の大会があって、どうしてもみちと見に行きたいんです」




奈々子はモデルになれば良いと思っていたけれど、学校終わり私の家まで着いてきてくれた姿を見ていたら、やっぱり女優さんの方が向いてるかもしれないと思ってしまった。




チャイムの音を聞いてアパートの廊下へと出てきたお母さんに向かって、奈々子は見た事もないようなうるうるとした瞳で懇願するようにお母さんに言った。




いつも厳しいお母さんが、奈々子の可愛いおねだりを見て言葉に詰まってる姿に心の中でガッツポーズをする。良いぞ良いぞ奈々子、いけいけ奈々子。




「でも大会の場所までどうやって行くの?電車とか、まだ危ないでしょう?」



「みっちーのお母さんが連れて行ってくれるって言ってたので、乗せて貰おうと思って」



「充くんのお母さんが?」



「はい。でも私一人じゃ寂しいなと思って、みちも一緒に来てくれない?ってお願いしたんです。クラスの子達は皆、一度は陸上部の応援に行ってるから羨ましくなっちゃって……」



「そうなの……」




お母さんは静かに私を見ると、何か企んでるんじゃないでしょうねと一瞬だけ鋭い視線を向けてきた。




慌てて純粋に行きたいだけだよと伝わるように、奈々子と一緒に両手で祈るようなポーズを取ってみる。




暫くそうしていると、お母さんは諦めたように長い溜息を吐き出して「充くんのお母さんと話してからね」と言ってくれた。




やったーと声を上げたい気持ちを何とか押し殺せたのは、奈々子が「嬉しい、ありがとうございます」と演技がかった笑顔をお母さんに向けている姿が視線に留まったから。




私も一緒になって「嬉しい。ありがとうお母さん」と何度もお礼を言った。





大会の日、約束通り奈々子はアパートまで迎えに来てくれてこの日も変わらず見送るお母さんに「ありがとうございます。行ってきます」と愛想の良い挨拶をしてくれた。




奈々子と一緒にみっちーの家へと行くと、みっちーママが「みちかちゃーん奈々子ちゃーん」と手招きしてくれる。




みっちーママは居るけれど、みっちーの姿がどこにも無い。辺りをきょろきょろしていると、みっちーママが「充は学校のバスで先に会場に行ってるよ」と教えてくれた。




「みちは本当にいつもみっちーだね」




呆れたように奈々子に言われて、その通りだなとちょっとだけ恥ずかしくなってしまう。




「会場はそんなに遠く無いからすぐに着くよ。シートベルトちゃんと締めてねー」




みっちーママの運転する車に乗せてもらい、陸上部の大会がある会場までは数十分でたどり着いた。




「うわあー……」




初めて見る陸上競技場の応援席には色とりどりのテントが並んでいて、それぞれの学校名が記載されてる。




土とは全く違う赤色の陸上トラックの中では、大会に出る子達が念入りにストレッチや走り込みをしている姿が見えた。私が来たくても来られなかった場所。




「学校のテントの中から応援して良いって言ってたから」




みっちーママは「えーっと」と、応援席の中を見渡すと「あっちだね」と中央にある青色のテントを指差した。




テントの中には担任でもあり陸上部の顧問でもある先生の姿と、数人の生徒の姿があった。あーちゃんが「奈々子ちゃんとみちかちゃん」と手を振ってくれる。あーちゃんが着ているユニフォームは真っ黒で凄く格好いい。




「男の子達はこれから100メートル走るんだよ」




あーちゃんは私と奈々子の元までやってくると、座りなよと青い椅子の上へと慣れた様子で腰を下ろした。




奈々子は大して興味も無さそうに椅子へと腰かけると、リュックの中からポッキーの箱を取り出して口に含んでる。




「みっちーは確か2組だったかな」



「え、あ……何で」



「え?だってみっちーの事見に来たんでしょ?」




そうだけど、そんなハッキリと言われるとこの場に居る全員にバレている気がして、被っていた帽子で顔を隠したくなった。




会場全体に響き渡るようなピストルの音が鼓膜を揺さぶる。




懐かしいその音と共に、目の前を走り抜けていく1組目の男の子達を見ていると、私も自然とあの頃のように走りたくなった。




きっともうあーちゃんには敵わないと思うと悔しくて悲しくなる。




2組目の子達がスタート位置へと着いた。みっちーは丁度真ん中辺りで、準備運動をしていると、ふいにその顔がこちらへと向いた。




一瞬視線が絡んだ気がして心臓が跳ねる。




みっちーママが大きく手を振った姿に、みっちーが頷き返すと騒がしかった会場がスタートの合図を待って静まり返る。




「予選だからきっとみっちーは手を抜いて走るよ」



「え、そうなの?」




あーちゃんが「だって予選だもん。いつもそうだよ」と両膝に肘を置いて、つまらなそうに言った。




そっか、みっちーは元々足が速いから手を抜いてもきっと次に進めちゃうんだ。あんまり頑張りすぎない方が体力も温存出来るもんね。




納得しながら「そっか」と頷くと、奈々子がポッキーをパキンと口と指で二つに割ると。




「それはどうかな」と静かに言った。




スタートを知らせる乾いた音が鳴る。パーンと鳴った破裂音の後、誰よりも早くみっちーが走り出した。




綺麗な走り方は相変わらずで、でも身長が伸びた分手足が長くてスラリとして見えた。




手抜きなんて信じられない程の速さで目の前を駆け抜けていったみっちーは、2位をかなり突き放して1番最初にゴールしていた。




ゴールタイムにわっと会場が湧いて、興奮した気持ちのままこの場から何度も大きく拍手を送った。




身体が痺れるような感覚で、どうしてか少し泣きそうだった。感動するってたぶんこういう気持ち。




みっちーが走る所を全て見ていたかったけれど、お母さんから遅くならないうちに帰りなさいと言われているのもあって、準決勝までを見て奈々子とみっちーママと一緒に会場を後にした。





準決勝でもみっちーは1位だった。




テントの中で先生が「充は決勝でもきっと1位だな!」と興奮気味に話していて、その姿を最後まで見たかったなと思いながら車に乗って家まで帰った。




明日、決勝はどうだったのかみっちーにちゃんと聞かないと。それから凄く格好良かったよってちゃんと言おう。




普段言いたい気持ちは気恥ずかしさが勝って言えない事が増えたけれど、今日の気持ちはちゃんと言葉にして伝えたかった。




「ただいまー!」




みっちーが走り出す瞬間を、目の前を駆け抜けていくあの姿を、ゴールに辿り着いて一番最初に私を見ていたあの瞳を何度も思い出した。




アパートへと帰って靴を脱ぎ揃えていると、お母さんが「楽しかった?」と珍しく今日の事について聞いてきた。




驚いたけれど、すぐにでも話したかったから嬉しさで振り返ると、お母さんの顔が視線に留まる。それを見た瞬間、言いたい気持ちは一瞬で萎んでしまった。




その顔は嫌いな顔だったから。




忘れていても一瞬で思い出す、お母さんがあの嫌な言葉を言う時に見せる顔。




心臓が鷲掴みにされたように苦しくて息が出来ない。




楽しかった?と聞いたくせに、お母さんはやっぱり私の話なんてどうでも良いように「みちかあのね」と自分の話を先に口にした。




玄関に脱ぎ揃えた靴をまた履いて、どこへともなく走り出したかった。そんな話は聞きたく無いと思っても、逃げた所で逃げられない事も知っている。




だって私はいつも無力で、泣いて喚く事しか出来ない子供だから。




「お父さんの転勤が決まったの」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る