叶わない小さな願い

「隣のクラスのあーちゃんとまあくんって分かる?」




昼休みを知らせるチャイムが鳴り、それぞれがグラウンドや廊下に駆けて行く中で、奈々子を外へと誘って昨日のみっちーとの出来事を話そうと思っていた。




出来れば人に聞かれない所が良いから、グラウンドの隅っこか体育館の隅っこか、人があまり来ない校舎のどこかにしようと思っていた矢先、ふいに私の元にやってきた奈々子にそう言われた。




あーちゃんとまあくんと言われると、昨日の出来事を鮮明に思い出した。その二人についても話そうと思っていたから、奈々子からの意外な言葉に目を丸く見開いてしまう。




「うん、知ってるよ。陸上部一緒だから」



「あの二人付き合ったんだって」



「……え!!」




私の大声に奈々子が「うるさいよ」と両手で両耳を塞いだ。




だってあーちゃんとまあくんって、あのあーちゃんとまあくん??




「な、何で!」




だって昨日はみっちーに告白してたのに。まあくんはあーちゃんの事が好きだって言ってたけど、あーちゃんはみっちーが好きだって言ってて。




―――――え、え?




「詳しく知らないけど、昨日まあくんがあーちゃんに告白したんだって」




じゃあ、皆が帰ったあの後に、桜の木の下に残っていたあーちゃんの元に行ったんだろうか。そこで自分の気持ちを伝えて付き合うって事にーーーーーええ?




良く分からない。まあくんの事を思うと良かったなと思えるのに、みっちーが好きだと言ったり、まあくんと付き合ったりするあーちゃんの気持ちの変わりようには正直ついていけない。




奈々子と共に校舎玄関へとやってきて、自分のスニーカーを靴箱から取り出した。




未だに納得がいかない気持ちを引きずっていると、奈々子が「何かあったの?」と心配そうに私の顔を覗き込んできた。




どこから話したら良いものか。




私は奈々子の腕を掴んで、人の居ないグラウンドの隅へと移動しながらも昨日あった出来事を話してみた。




あーちゃんがみっちーに告白すると言ってた事、私が勝負に勝ったのにズルをしてみっちーに告白した事、たぶん上手くはいかなかった事、それからみっちーが好きとは違うと言っていた気持ちの事、勢いのままみっちーにちゅうをしてしまった事まで。




奈々子は花壇に咲く花を見下ろしながら、最後まで黙って聞いていたけれど、話し終わるとついっと顔を上げて静かに頷いた。




「どこから突っ込めば良いか分かんない」




どうやら情報が多すぎたみたい。




「えっと、一番分かんない事はあーちゃんの事だよ。昨日はみっちーに好きって言ってたのに今日になったらまあくんと付き合ってるって変!」



「それはたぶんみっちーの事をだしに使ったんだよ」



「え、なにどういう意味?もっと簡単に言ってよ」




どうやら奈々子もあーちゃんの本心を分かっているらしい。私だけ未だに全く分からない。




「あーちゃんは前からまあくんの事が好きだったって事。女の子の間では結構有名な話だよ。まあくんって物静かで優しいから女の子の間では結構人気なんだよ。それを態度に出すと、あーちゃんが凄く怒る」



「え、そうなの!」



「みちはみっちーの事しか頭に無いから」




確かに、私の見えてる世界はほぼみっちーで埋め尽くされているけど。




奈々子は溜息を吐くと、「だからきっと、みっちーに告白してる所を見せてまあくんの背中を無理矢理押したんじゃない?」と言う。




「えっとえっと、みっちーに告白して早く私の事好きだって言わないと、他の男の子と付き合っちゃうよって見せたかったって事?」



「たぶんそうじゃない?」



「も、もしみっちーが良いよってOKしてたらどうするの!!」



「そんなの知らないよ。ちょっとだけ付き合ってみるか、やっぱり嘘だから今の無しねって言うのか」



「ひどい!みっちーをだしに使った!!」



「覚えたての言葉使いたい子供みたい」




奈々子はみちは可愛いねと私の頭を両手で優しく撫でた。まるでお母さんが良い子良い子と我が子を褒めるみたいに。



「じゃあまあくんは、あーちゃんの……」



「思惑通り?」



「そう!たぶんそう。そんな感じで告白してOK貰えたんだね」




これって良かったあーって喜んで良いものか。




何だかこう、素直に祝福出来ないこの気持ちってなんだろう。




「最初からあーちゃんが告白してあげたら良かったのに」



「女心ってやつなんじゃない?」




それってどういう意味?と聞きたかったけど、私が質問するよりも先に「で」と奈々子が私の顔をまじまじと見つめてきたから言葉に詰まった。




「みっちーにちゅうしたってなに?」



「あ、それは」



「好きって告白したってこと?」



「したよ!た、たぶん」




好きって告白―――――――したんだよね私。




だって私の好きは違うくないよって言ったもん。あれは絶対告白だよ。それを証明するためのちゅうだったわけで。




でも待って、みっちーはあーちゃんの気持ちを知っていたからこそ、あの好きは違ったからって言ったんだよね。




だとしたら私が勝手に勘違いして、慌てていただけでーーーーーいいや、もう過ぎた事だから考えないようにしよう。




奈々子は「ふーん」と頷くと、足元の雑草を根っこ事引き抜いてポイっと放った。手持無沙汰そうにまたもう一本引き抜いてポイっと投げる。




「それでみっちーは何だって?」



「え?」



「みっちーは何て言ってたの?」




みっちーは何て言ってたのって。




そう言えばみっちーは何て言ってたっけ。びっくりしていたような気がする。顔が真っ赤になっていた。




手を繋いでその後帰ったけど、強く握りしめているのは私だけでみっちーはちょっとだけしか手に力を込めてはくれなかったな。




家が近づいてきて、昨日は初めて「バイバイ」と手を振った。いつもはみっちーが前を帰ってくれて、私がアパートに辿り着くのを見届けるとさっさと家の中へと入ってしまっていたから。




もうその違いだけで嬉しくてドキドキしていたから大事な事を今の今まで忘れていた。




………そう言えば、返事は何も言われてないや。




頭を抱えたくなった時、チャイムが学校中に響き渡ってお昼休みが終了する合図がした。




奈々子は呆れたように長い溜息を吐くと、答えを聞いていないのに「みちらしいね」と肩を竦めて笑っていた。




奈々子と別れた帰り道、隣をひょいっと追い越して行きかけたみっちーが数歩先で足を止めて振り返った。




待ってと声をかけようと思っていたから、心の中を読まれたのかと思ってドキリとしたけれど。




「俯いて帰ってたら道に迷うだろ」




どうやら背中越しに見ていた私が、下ばかり向いて歩いていたから心配してくれたみたいだった。嬉しい、大好き。




隣に並んでくれたみっちーと何となく一緒に帰りながらも、もっとくっつきたいなと思ってしまう。ちゅうした事を思い出すとさらにドキドキした。




みっちーに聞きたいなと思っていたから、声をかけてくれた事も心配してくれた事も、何だか運命みたいだななんて思えてしまう。




あーちゃんとまあくんはさっそく手を繋いで帰っていく姿を、校舎玄関で目撃した。私とみっちーもあんな風に手を繋いで帰るようになるのかな。




「あのねみっちー。昨日私が言った事だけど、その好きって言った話ね」




みっちーは「……ああ」と何だか気の無い返事を返してきて心配になる。




「そう言えばみっちーから何にも言われて無かったなと思って」




そわそわしながらも、やっぱり返事がちゃんと返ってこない事が心配になって顔を上げた。みっちーの横顔が見えて、あの時と同じように恥ずかしそうに赤くなっているのが視線に留まる。




みっちーはしばらく口をもごもごとしながら「俺は…」と言葉を詰まらせてはまた押し黙り、ふいに私の視線に気が付いてこっちを見ると。




「見てんじゃねえ」と指先で私の額をちょっとだけ強く突いてきた。




荒っぽいみっちーを見たのは初めてだったけど、それが無性に嬉しかった。たぶんこういうのを奈々子の言葉を借りて言うと、余裕が無いって言うんだと思う。




もうその全てが私の事を好きだって言ってくれているような気がしちゃう。




でもどうしても言葉にしてほしくて、「みっちーは私の事好き?」と小さい声で聞いてみた。




みっちーがランドセルの肩紐を両手でぎゅっと握りしめる音がする。歩く度に留め具がカシャンカシャンと跳ねるように鳴った。




「―――――あ」



「あ?」




―――――好きだよ、と返ってくると思っていたのに第一声から全く違う一文字で驚いてしまう。




あ、ってもしかして大人が使うあっちの言葉だろうか。ドラマで見た事がある「愛してるよ」って男の人が女の人に囁いてるのを。




愛してるってどういう意味?とお父さんに聞いたら、困ったような顔で好きのもっと上の言葉だよって教えてくれた。




顔が一気に熱くなって、隣のみっちーをもう一度見やると、真っ直ぐ視線を留めたまま黙っていた。




「みちかおかえり」




その先から、お母さんのちょっとだけ怒ったような声が聞こえてハっとした。




みっちーの家の前には、私のお母さんとみっちーのお母さんが揃っていて、私達を見ていた。みっちーのお母さんはどうしてか申し訳なさそうな顔をしていて、「みちかちゃん充、おかえり」と言って手招きしてる。




けれどお母さんは目をキっと吊り上げて私を鋭く睨んだまま離さない。




ぶわっと嫌な予感がして、みっちーの後ろに慌てて隠れた。




「みちか、ちょっと来なさい」



「みちかちゃんママ、そんなに怒らないであげてください」




凄く怒っているお母さんをみっちーのお母さんが優しく宥めると、もう一度「こっちにおいで」と手招きした。みっちーが肩越しに私を振り返ると、私の手をきゅっと繋いで引っ張ってくれる。




凄く不安な気持ちだったのに、どうしてかみっちーが手を繋いでくれるとその不安が和らいだ。

二人のお母さんの元へと向かうと、みっちーのお母さんが優しく私の頭を撫でててくれる。




でもちょっとだけ困った顔もしていて、その原因は私ももう気づいてる。たぶんバレてしまった、陸上部に入っている事が。




「どうして部活に入ってる事お母さんに内緒にしてたの」




お母さんはいつものように𠮟りつけてくる。




私はまたみっちーのランドセルにしがみ付くようにして身体を寄せた。




「充くんの後ろに隠れないの!そういう事はしたら駄目って言ったでしょ。いつ引っ越しするかも分からないのに。大会もあるんだって?どうするの、リレーの選手とかに選ばれたら!途中でみちかが居なくなったら迷惑がかかるでしょ。どうしてそういう事まで考えないの」




始まった、また引っ越した後の話ばかり。




だからそんなの大人の事情で、私は何にも関係ないのに。




「靴だってちゃんとしたもの買わないと駄目だって言われてるんじゃないの?大体、奈々子ちゃんと遊んで帰ってきたから遅くなったなんて、そんな嘘ついて!」



「みちかちゃんママ、そんなに怒らないであげてください。みちかちゃんとっても足が速くて、先生も凄く褒めていたって充が言ってましたよ。学年の女の子の中で1番早いんですって」




みっちーのお母さんが「凄い事ですよ」と褒めてくれるけれど、お母さんはそんな事関係無いとばかりに「駄目だからね」と言ってくる。




「明日にでも先生に言って部活は辞めさせてもらいなさい」




またそうやって、私から何でも奪っていく。




またそうやって、お母さんの駄目って気持ちを押し付けてくる。




あれも駄目、これも駄目、いつ引っ越すか分からないからって。




「お母さんは自分が出来ない事を、私がしてるのが嫌なだけでしょ!」




自分にお友達が出来ないから、だから私が沢山お友達を作るとすぐ怒る。引っ越して寂しい思いをするのはみちかでしょと言うけれど、あんなものは違う。お母さんはただ嫌なだけ。私ばっかり楽しい事をしているのが。




部活もきっと一緒でしょ。私がまた楽しい事を見つけたのが嫌なんでしょ。




お母さんが肩を震わせて凄く怒ってる。言葉も出ないくらいに口をぎゅっと引き結ぶと、「帰るよ」と私の腕を引っ張った。




帰った先で、また永遠こんな事ばかり言われるのが分かってみっちーのランドセルにぎゅっとしがみ付くと、みっちーまで引きずられそうになってしまう。




「充くんから離れなさい!」



「嫌だよ!お母さんまた家帰ったら怒るもん!」




私が辞めるって言うまでずっと駄目だからって言うんでしょ。




「俺が無理矢理誘ったんだ」




私にぐいぐいと引っ張られてバランスを崩しながらも、みっちーがふいにそんな事を言った。




え、とお母さんと一緒に驚いた声を上げると、それでもみっちーは「俺が無理矢理みちかに陸上部入ろうって言いました」と真っ直ぐにお母さんの事を見つめながらも言った。




「充本当なの?」



「本当。みちか、足がはえーから陸上部入るの良いんじゃねえかなって思って。でもみちかは最初入りたく無いって言ったんだけど、俺が絶対入った方が良いよってしつこく言ったから」



「え、え」



「一回試しで良いじゃんって連れてって、そしたら先生も足が速いみちか見て陸上部向いてるよって言ってて、だからこのまま入ろうって誘った」




うそ、うそだよそんなの。違うもん。私がみっちーと同じ部活に入りたかっただけで、そんな無理矢理言われた事なんて一度も無いよ。




「みちかちゃんのママ、ごめんなさい。うちの充が無理に誘っちゃったみたいで」




みっちーのお母さんが「無理矢理誘ったりしたら駄目なんだよ」とみっちーの肩をそっと撫でて、「ごめんなさいしなさい」と言う。




何で、ごめんなさいってみっちーが謝るの。




何にも悪い事してないのに。




「ーーーちが」




それは全部違うよと言おうとしたら、みっちーが静かに一度だけ頭を横に振った。言わなくて良い、黙ってろってジっと私を見てから、お母さんに向かって「ごめんなさい」と頭を下げた。




お母さんは少しだけ怒っていた気持ちを静めると、みっちーの前にしゃがみ込んで「充くんあのね」と頭をそっと撫でた。




みっちーのお母さんが私の頭を撫でてくれるような、優しい撫で方では無いのは見ていて分かった。




大人の事情を押し付ける時の頭の撫で方。駄目なのよと私の行く先を塞ぐ時、いつもするお母さんのやり方。




「みちかはいつ引っ越すか分からないから、誘ってくれたのは嬉しいけどお別れする時に寂しくなっちゃうからね」




だからごめんね、と言ったその言葉は明日には辞めさせるからねという言葉の意味が隠されてる。




呆然としている私を見て、みっちーは「どうしても駄目ですか?」とお母さんに言った。




「引っ越すまででも。たぶんみちかが辞めたら先生も悲しいと思う。みちかと足速いの競争してる女子も居るし」



「うーん、でもね」



「あと、俺も寂しいから」




でもね、でもねと言葉を選んでるお母さんをジっと見つめるみっちーは最後に「お願いします」と頭を下げた。




嬉しいと悲しいの気持ちでぐちゃぐちゃになるのは何だろう。みっちーにごめんなさいと謝らせた事、みっちーにお願いしますと頭を下げさせた事、それがとても辛かった。




でも俺も寂しいからと言ってくれた事は凄く嬉しい、なのに凄く泣きたくなる。




気持ちがぐちゃぐちゃになって、お母さんを「大嫌い」と罵って叩きたくなる。




それからとても恥ずかしかった。大好きなみっちーにこんな所を見られてしまった事が。




瞳に堪った涙がぼろっと零れて、みっちーがちょっとだけ驚いたように私を見た。




私が泣いている事に気が付いて、お母さんが「何も泣く事ないでしょう」なんてまた凄く嫌な事を言う。




もう何に涙が出ているのかは分からないけれど、とにかく涙が止まらなくて、その場に蹲るようにしてわんわん泣いた。




「赤ちゃんみたいに泣かないの」とお母さんはまた私を叱ったけれど、みっちーが走ってきて私の前にしゃがみ込むと、静かに顔を覗き込んでから綺麗なハンカチを差し出してくれた。




きっとみっちーのお母さんが渡してあげてって言ったに違いなかった。




もう帰るよ、と話がまとまらないまま、お母さんは私の手を繋いで歩き出した。




みっちーのお母さんはその場から「またねみちかちゃん」と手を振ってくれて、みっちーは心配そうに私を見ていた。




大好きなみっちーとただただ一緒に居たいだけで、一緒の部活に入りたかっただけで、でもそんな事すら許されない。




渡されたハンカチをぎゅっと握りしめながらも、声を上げて泣いて帰る事しか出来なくて、それが凄く悔しくてみじめだった。


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