好きの意味
2
「みっちーってね凄く優しいんだよ。今日も前を歩いてくれて、時々ちらって振り返るんだけど、もうすっごく格好いいの!」
「みちか座ってちゃんと食べて」
「座ってちゃんと食べてるよ!」
「今立ち上がってたでしょ」
お母さんに肩を押されて、興奮のまま椅子の上に立ち上がっていた事に気が付いた。慌てて座り直して「それから」とまたみっちーの話の続きを口にする。
お父さんは「良かったな」とどこかホっとした様子で私の話をうんうんと頷いて聞いてくれる。だけどお母さんはみっちーの話を聞くと、私の事を厳しく叱る。
ご飯を早く食べなさいだとか、行儀が悪いだとか。私はみっちーの話を沢山聞いてもらいたいのに。
「お父さん、まだ絶対引っ越ししないでね。もう一生引っ越ししたくない」
「そう言われてもな」
「私ずっとここに居たいよ」
みっちーと離れたくないから、もうずっと引っ越しなんて無ければいいのに。
「いつかはまた絶対引っ越すんだから。そんなに仲良くなったらまたお別れの時泣く事になるわよ」
「何でそんな事言うの!」
「本当の事だからでしょ」
凄く楽しい気持ちだったのにお母さんの言葉で全部台無しにされた。
そんな現実は大嫌い。
テーブルに両手を叩きつけたら、バンと大きな音がした。手の平も凄く痛い。
お母さんが「物に当たらないの!」と金切り声を上げて怒鳴る。お父さんはまた始まったと言いたげに言葉を飲んで、もくもくとご飯を食べ続けてる。
椅子をひっくり返すような勢いで部屋を出た。
お母さんがまた「みちか!」と怒鳴りつける声を両手で耳を塞いで遮断した。
聞きたくないそんな言葉。いつかの事なんて考えたくない。そんな悲しい日なんて、私は絶対に認めない。
学年が一つ上がっても、みっちーとは同じクラスだった。
もしもクラスが違ったとしても文句は無くて。ただ、同じ学校に通っていられたらそれで良いと思ってた。
「みちかは、部活入る?」
集団登校の列は、今も変わらずみっちーが私の前だった。
手こそ繋いではくれないけれど、それでも何度か振り返ってくれるのは変わらない。帰り道も、やっぱり私を追いこして前を歩いて家までちゃんと迷わず連れて行ってくれる。
「みっちーは入るの?」
「俺の事は良いよ」
「良くないよ。サッカー部は?みっちー上手なのに」
昼休みもたまに他の子達とサッカーをしているけれど、みっちーは凄く上手にボールを蹴って相手を抜くと、見事に何度もシュートを入れていた。
凄く素敵、みっちーの周りだけ光輝いて見えるもん。
「サッカーは遊びだから楽しいんだろ」
「そうなの?良く分かんない」
「それに」
みっちーは何かを言いかけるとハっとしたように口を噤んでしまう。
「それに、なに?」
気になって隣へと急ぎ足で追いつくと、みっちーはぷいっと顔まで逸らしてしまう。
ええ、気になるよ。何だろう。
「言いたい事はちゃんと言ってよ!」
みっちーの腕を反射的に掴んで揺さぶってから、みっちーの体温を感じる事が少し恥ずかしいと思った。距離の近さを感じられるからなのかな。
そう言えば、少し身長が伸びたかもしれない。前までは同じくらいの背丈だったのに。みっちーの方が少しだけ高くなっちゃった。
「俺が部活に入ったら、みちかが一人で帰る事になるだろ。そしたら危ねえし、迷子になるかもしれねえじゃん」
――――――あ、好き。大好き。
ちょっとだけ照れくさそうにそっぽを向いたまま、ぼそぼそと喋るみっちーの身体をぎゅっと強く抱きしめたかった。
みっちーと視線が合っていたなら、たぶん抱きしめてしまっていたかもしれない。
心配、してくれるんだ。
気にしてくれるんだ。
「じゃあ、一緒の部活に入らない?」
そう言えばサッカー部も野球部も男の子だけだったけど、マネージャーっていうのは女の子もなれるって先生が言っていた。
みっちーがどちらか二つが良いというのなら、私はマネージャーとして同じ部活に入りたい。
そしたらまた、私を追いこして先を示すように帰ってくれる?
みっちーはようやく私に顔を向けると、「陸上部」とそう言った。
「陸上部で良いの?」
本当に?他にしたい事があるんじゃないの?
「みちか、足早いだろ」
「……」
「ボール使うのは苦手っぽいけど、走るのは得意だもんな。走るの好きって言ってたし」
「……うん」
長距離は果てしなく思えてちょっとだけ苦手だけど、短距離のあの決められた所まで頑張れと言われる事は嫌いじゃなかった。
走っている時、何にも考えないでいられるのも好きだった。
それをみっちーが知っていてくれた事が嬉しかった。
「私陸上部に入る」
「良いんじゃね」
「みっちーは?」
ぐっと掴んだみっちーの腕を引くと、うんと小さな返事の後「入るよ」とハッキリとした声音が返ってきた。
「浮かれてるね」
今朝の出来事を思い出しながら、両足を机の下でバタバタと揺らす私を見て、奈々子は呆れたように肩を竦めた。
同い年の女の子の中で、そんな風な仕草をするのはやっぱり奈々子くらいだ。
「だってみっちーが格好良すぎて」
もうその場で奈々子に見て欲しかったくらいだよ。
今朝の出来事を奈々子にすぐに話して聞かせた。私がこんなに興奮しているのに、奈々子の熱量はいつもと同じく一定の「ふーん」だけだった。
あの瞬間のみっちーを見ていないから仕方ないのかもしれないけど。あの顔、あの声、あの言葉。でもそれを見たとして奈々子はやっぱり「ふーん」くらいにしか思わないのかなと思うと、みっちーの素敵な所を見て好きにならない事に安心したら良いのか、分かってよって奈々子の肩を掴んで揺さぶれば良いのか分からない。
「でもみちは平気なの?」
「え、何が?走る事は大好きだから大丈夫だよ」
「じゃなくて、お母さん許してくれる?」
案ずるような顔で見られて「え」と間抜けに固まってしまう。
許してくれるーーーーーーーーー【駄目よ。いつ引っ越すのかも分からないのに部活なんて】。
脳内で厳しい事を言うお母さんがふいに現れて、ブンブンと頭を横に振って振り払った。知らないそんな事。大人の事情ってやつを私に押し付けないで。
「きっと大丈夫だよ」
だって、絶対秘密にするもん。
部活は週に2回ほどあって、帰りは少し遅くなるけれど奈々子と遊んで遅くなったと言うとお母さんはそれほど煩い事は言わなかった。
体育の先生が笛を吹くと、スタート地点に立っていた男の子5人が一斉に走り出して50メートルのゴール地点を走り抜けていく。
誰よりも早いのはいつもみっちーで、終わった後も他の子と違って、あんまり息を乱して無い。
「充は早いなあ」
先生も感心したように頷いていて、何だか自分の事を褒められたみたいに嬉しい。
「じゃあ次は女子、順番にスタート地点についてー」
先生の声に2列目へと並ぶと、隣に立ったのはいつも私と互角の競争をしている隣のクラスのあーちゃんだった。
スッキリとした短い髪を耳へとかけると、にっこりと微笑まれて奈々子みたいな大人っぽさにドキドキした。
手足も長くてあーちゃんはうちのクラスの男の子達からも人気の女の子だ。そう言えば、女の子好きな剛ちゃんが「あみ(あーちゃんの事である)は将来モデルになるだろうな」と煩く騒いでいたのを思い出した。
「みちかちゃんって充くんと同じクラスだよね?」
あーちゃんは準備運動を念入りにしながらも問うてきた。
この前は負けちゃったから、今日は絶対負けたくなくて私もそれに習って準備運動をせっせと進めながらも「うん、そうだよ」と口元が緩まないように注意しながらも頷いた。
「充くんってさー格好いいよね」
「……へ」
「うちのクラスの女の子達からも人気なんだよ。一緒の部活だったから嬉しかったんだけど、優しいし足早いし格好いいなって私も思って」
「え、え……あーちゃんみっちーの事好きなの?」
「みっちー?へえ、充くんってみっちーって呼ばれてるんだ。可愛いね」
「………」
「うん、みっちーの事好きかも」
――――――――あ、駄目。
奈々子がみっちーって呼んでも何とも思った事は無いのに、あーちゃんがみっちーって呼ぶのは何だか嫌だ。
心が落ち着かなくなって、駄目だよやめてよと口に出してしまいそうになる。でもあーちゃんは凄く可愛くて、私なんかがそんな事言えるわけが無くて。
「次、並んでー」
先生に言われて、もう1列目の子達が走り終わっている事に今更気が付いた。
「ねえねえ、みちかちゃん」
ゴール地点の脇で待っている男の子達をしっかりと確認したあーちゃんは、少しだけ恥ずかしそうに笑うと。
「みちかちゃんに勝ったら、私みっちーに告白してみる」
――――――パーンと鳴った破裂音と共に、一斉に同じ列の子達がスタートした。
頭の中は真っ白で、でも走り出した瞬間も地面を蹴った足の強さも今までで一番良かった事だけは分かった。
「みちかはっや」
応援していた男の子達の声が過ぎ去って、無我夢中で遠くへ、誰よりも遠くへ向かって走り続ける。
景色があっという間に過ぎ去っていく中で、「みちか!行き過ぎ!!50メートルだぞ!」と、先生の呼び声が聞こえてハっとして足を止めた。
周りには誰も居なくて100メートルのゴール地点までたどり着いてしまっている事に驚く。心臓がバクバクと煩い。でも身体は凄く軽かった。
急いで戻るとあーちゃんはきょとんとした顔で私を見ていた。
「私が勝った?」
「え」
「あーちゃんより私の方が早かった?」
「あ、うん。みちかちゃんすっごく早かったよ」
そっか、良かった。
これはきっとみっちーパワーに違いない。あーちゃんに告白されてなるものかという力が急にみなぎってきたんだ。
良かった、これで大丈夫―――――――と、思っていたのにあーちゃんはその日の部活終わりみっちーを呼び出した。
「見てみろよ。あそこに居る」
しかも堂々と皆の前で恥ずかしそうな顔をしながら「みっちーちょっと話があるんだけど」なんて呼ぶものだから、これは告白に違いないと陸上部の子達は鉄棒の前で時間を潰しながらも、桜の木の下で絵になる二人を面白そうにその場から見守ってる。
「あみってほんと可愛いよな。でも充と付き合うんだったら、まあ良いかなって俺思うわ」
剛ちゃんが納得したように、しょうがないしょうがないと頷いて言う。
何でそんな事言うの。あーちゃんの事可愛いって言ってたじゃん。将来はモデルさんになるって褒めてたじゃん。だったら今こそ、俺の女になってくださいって突撃する所じゃないの。このいくじなし。
「つ、付き合うってなに!」
「はあ?みちか遅れてるー。付き合うってー………付き合うって何だろ」
「知らないよ!私が聞いたのに」
「きっとちゅうしたりする事だ。5年生の人達で付き合ってる人居て、帰り道に手繋いでちゅうしてるの俺見たし」
「手を繋いでちゅう!??」
嫌だ嫌だ、みっちーとあーちゃんが手を繋いでちゅうするの?
あーちゃんは嘘つきだ。私が勝ったのに。私に勝ったら告白するって言ったからみっちーパワーで頑張ったのに。
「剛ちゃんってあーちゃんの事が好きなんじゃなかったの!?」
こんな所でぼやぼやしてて良いの!?
「はあ?俺は別に……女の子は皆可愛いってだけで。お前は不細工だけどさ」
「剛ちゃんのアホ馬鹿間抜け!」
「何だよお前!」
剛ちゃんの事は嫌いだけど、ここで「あみは俺のだ!」って突撃して行ってくれたなら、少しは見直したのに。
ふと、鉄棒を両手で握りしめて面白く無さそうに顔を顰めている男の子に視線が留まった。あーちゃんと同じクラスのまさしくん、通称まあくんだ。
ちょっとだけ物静かな子で、あんまり喋ってる所は見た事が無いけれど。
「まあくんどうしたの?」
具合でも悪いのかなと心配になって隣に近寄ってみると、まあくんはハっとしたように顔を上げて「何でもない」と俯いた。
まあくん、もしかして。
「あーちゃんが好きなの?」
ひっそりと声を潜めた私の声に、まあくんは弾かれたようにまた顔を上げた。
――――――――やっぱり。
「あのね、私もみっちーが好きなの」
「あ、それは知ってる」
「知ってるの!?何で!?」
「見てたら分かるから。みちかっていつも充の事見てるし」
「そ、そうなの?」
確かに、私の世界にはみっちーと奈々子しか居ないようなものだけど。
まさかそんなにバレバレだったなんて。
「嫌だよね、二人が付き合う?っていうのになったら」
「嫌だ」
「どうする?どうしたら良いと思う?」
「分かんないよ。でも充ならあーちゃん取られても良いかなって……」
「思わないで!」
私もあーちゃんみたいな可愛い子なら仕方ないかなって諦めそうになったけど、でも良く考えて欲しい。二人が手を繋いで帰ったり、ちゅうしたりする所を見るのはやっぱり辛いよ。
それに、あーちゃんより私の方がたぶんきっとみっちーの事を良く知ってると思う。
「上手くいきませんように。上手くいきませんように」
祈るように呟く私を、まあくんは一瞬不思議そうな顔で見つめたけれど、一緒になって小さい声で「上手くいきませんように」と隣で呟いていた。
「あ、終わったらしい」
剛ちゃん達の声に顔を上げると、桜の木の下からみっちーだけがこっちに向かって歩いてくる。
一緒に帰ってくると思っていた二人だけれど、あーちゃんは一人、桜の木の下でぼんやりと立ち尽くしたまま動かない。吹き荒れた風で桜の花びらが沢山地面へと散っていく。その中に佇むあーちゃんの背中は、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。
「充、どうだった?」
「あーちゃんにちゅうされたか?」
わっ、とみっちーを取り囲んだ男の子達にみっちーは「何が?」と不思議そうな顔をして小首を傾げていて、「ていうか帰ろうぜ」と校舎の中へと戻って行った。
部活がある帰り道は奈々子が居なくて、いつも着替えてから一人で帰る。
でも全然寂しく無い。それはみっちーがどこかで私を追いこして先を歩いてくれるから。
今日も校門を出た先でカシャカシャとランドセルの留め具が金属にぶつかる音が聞こえてきた。
ふっと隣を追い越したみっちーを「待って」と初めて呼び止めた気がする。
私の数歩先へと進んだみっちーは呼ばれるままに足を止めると、その場で私を待ってくれた。
「あの、……あーちゃんに好きって言われたの?」
あのまま先に校舎へと戻ってしまったから、その事について聞く事が出来なかった。一人あの場に取り残されたあーちゃんの元へは、何となく行く事が出来ないままだった。近づいたらいけないような気がしたから。
だからこそ、どうだったんだろうと気になると落ち着かない気持ちにさせられた。
こうして私を追いこして先に帰ってくれるのは今日が最後かもしれない。
明日からはみっちーとあーちゃんが、手を繋いでちゅうをしながら帰る後ろ姿を追いかけなければいけないんだろうか。そんなの最悪だよ。
みっちーは少しだけ考えるように押し黙ってから「うん、まあ?」と不思議そうに小首を傾げた。
まあ?ってなに!
「そ、それどうしたの?みっちーは何て言ったの!」
「何て言ったって言うか」
「ハッキリ言って!あーちゃんの事可愛いと思う?好き?付き合うの?ちゅうするの?」
みっちーはそこで「は?」と言いたげに目を丸く見開いてから「ちゅう?」と今度は顔を顰めてる。
「好きじゃねえし、付き合わないしちゅうも……しねえよ。ていうか俺の事別に好きじゃないと思うから、たぶんそれ違うって言って終わり」
「え、何それどういう事?違うってなに?」
「質問多いな」
だってあーちゃんはみっちーの事を好きだって言ってた。照れくさそうな顔で告白しようかなって言ってたのに、それが違うってどういう事だろう。
みっちーはまた顔を顰めて口を閉じたけれど、「まあ、色々」と最終的には言葉を濁して歩き出した。
斜め前を歩くみっちーの背中に慌てて隣へと追いつきながらもそわそわした。あーちゃんの好きの気持ちが違うって、じゃあ私がみっちーの事を好きって気持ちも違うって事なのかな。
そんなわけないよ。私はちゃんとみっちーが好きだもん。
朝からその背中を見るだけでドキドキするし、学校に居る時もすれ違うだけで息が出来なくなる時がある。同じ陸上部に入れた事も飛び跳ねるくらい嬉しいこの気持ちが好きとは違うなんてありえない。
「わ、私の好きは違うくないよ」
「え?」
何だか下手くそな言葉になってしまったけれど、みっちーのびっくりした顔とそれからちょっとだけ耳が赤い事に気が付いて、好きという気持ちが暴走しそうになる。
「私の好きはちゃんと好きって事だよ」
上手く伝えられないこの気持ちがもどかしくて、未だに固まっているみっちーに何だか歯痒くなった。
どうしたらちゃんと伝えられるだろうかと思った時に、手を繋いでちゅうという言葉を思い出した。
隣に並んだみっちーの手をぎゅっと掴んで背伸びをした。どこにちゅうをしたら良いのか分からなくて、みっちーのほっぺに唇をぎゅっと押し付けた。
触れた肌の感触が柔らかくて、温かい温度にドキドキする。
ぱっと身体を離した先でもまだ、みっちーは驚いたように固まっていた。でも耳だけが赤かったはずなのに、顔まで全部真っ赤になっていた。
その赤さが伝染するみたいに、私も凄く熱かった。
繋いだ手だけは離せないまま、みっちーも振り払おうとしないからそのままぎゅっと手を繋いで家まで帰った。
恥ずかしい、でも伝えられた事は良かったような気がする。
だってみっちーが「それは好きとは違うよ」と言わなかったから。
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