いい加減に好きだと言って!【完】
里
1章
導く黒いランドセル
1
初恋は実らないと誰かが言った。
初めての恋なのに実らないなんて、どうしてそんなに悲しい事を言うのだろう。
私が初めて恋をしたのは、小学生の時だった。
同級生のその男の子は皆のリーダーみたいな人で、不器用だけど優しくて、格好良くて、笑った顔がとても素敵な男の子だった。
転勤族だった私は引っ越した後も最後の約束の通り、その子にいつも手紙を送っていたけれど一度も返事は返ってこなかった。
性格的に気恥ずかしいだけだと思っていた可愛い私は、そのうち返したくないのかもと気が付いて、送るのも迷惑かもしれないと弱気になった。
あの頃勢いのまま「大好き」と言えていた私はもう居なかった。
それでも、あの時の大好きだった気持ちは今も薄れず残ってる。
あの子が居たあの街に、大人になって戻って来れる今日この日も変わらずにーーーーーーー。小学生の頃の私は、両親の仕事上、引っ越しばかりだった。
小学2年生になる頃に3度目の引っ越しになった。
どうせなら1年生の始まりに引っ越してくれたら良かったのにと、大泣きしたのを覚えてる。
せっかくお友達が出来たのにあっという間にお別れだなんて悲しすぎた。
そんな私を見て、お母さんは仕方無さそうに「そんなに毎回泣くつもり?」と冷たい事を言いながらハンカチでぎゅっと私の涙を何度も拭った。
お父さんの運転する車に乗せられた私は、誘拐される気持ちってきっとこんな感じだろうと思った。
行きたくないのに連れて行かれる。友達を100人作ると意気込んで入ったばかりの小学校だったのに。
「みちかはこれから何回もこうやって引っ越しをしなきゃいけないのよ」
「私もう引っ越ししたくない」
「じゃあ一人で生きていくの?良いじゃない、お別れの時色紙もらえるんだから。ほら仲良かった子からお手紙も貰ったでしょ?お母さんはお別れしても、そんなの貰えないからみちかが羨ましい」
だから何だって言うの。
さよならをするためにもらったプレゼントなんて一つも嬉しくない。これは私という存在を皆の記憶から消すプレゼントだ。
一緒に悲しいと泣いてくれた友達が、いつかはきっと私を忘れちゃうのを知っている。
幼稚園の時もそうだったから。
こうやって私は誰の記憶の中にも残らないのかと思うと、悲しくて悲しくて仕方がない。
「次の学校でも仲良い子が出来るでしょ。みちかは明るくて優しい子だから大丈夫」
「でもまたどうせ引っ越すじゃんっ!」
それに、きっと次の学校ではもう仲良い子達のグループが出来上がっているに違いないんだから。そこに私みたいな人間が変な時期に転校していって、仲良くしてくれるかなんて分からないじゃん。
仲良くなれたとしても、またこうやっていつかは悲しいお別れを繰り返さなきゃいけない。
「もう学校行きたくない。行かないっ!」
後部座席のシートで泣き崩れた私を見て、お母さんは「じゃあ行きたくないなら行かなきゃいいでしょ!」なんて投げやりな事を言って、さらに私を腹立たしくさせた。
慰められても腹は立ったし納得なんて出来なかったけど、どうしてそうやってお母さんが怒るのか。私が一番怒りたいのに。
「嫌いっ!お母さんなんて嫌い!」
「私だってみちかなんて嫌い!べそべそ泣いて、そんなに悲しいなら友達なんて作らなきゃいいでしょ!」
「お母さんの馬鹿!!」
「みちかの馬鹿!」
大声で泣き喚く私と拗ねたように窓の外へと顔を向けたお母さんを、バックミラー越しに見つめるお父さんは困った様子で、それでも「そんなに泣かないの」とあまりにも頼り無い言葉の一つしか返ってこなかった。
行きたくないなら行かなければ良いと言っていたお母さんは、引っ越し先で「学校休む」と言った私を「馬鹿な事言わないの」と背負っていたランドセル事押しやるようにして、私を外へと押し出した。
お母さんはいつもこうやって、自分で言った言葉を無かった事にする。そういう所が本当に嫌い。
「すみません。今日からお願いします。柊です。ほらみちかも挨拶しなさい」
アパートを出ると、小学校へと向かう集団登校の班の子達が集まって居た。私を連れて、お母さんも集まって居る見知らぬ子達の元へと足を運んだ。
「……柊みちかひいらぎみちかです」
小さい声で呟くと、外に出てた他のお母さん達も数人集まって来て、「こちらこそお願いします」「みちかちゃん宜しくね」とペコペコと頭を下げてくる。
何て返したら良いのか分からなくて、私はもう一度ちょこんと小さく頭だけ下げて知らない子達の列の一番後ろへと加わった。
「充(みちる)、ちゃんとみちかちゃんの事見てあげるのよ。車の通りも人の通りも多いから気を付けて」
私の前に立っている男の子の頭を、知らないお母さんの一人がそっと撫でた。優しそうなそのお母さんが「みちかちゃんと同じ2年生の沢渡充さわたりみちる」と、男の子の名前を教えてくれる。
―――――――みちる。
「みちかちゃんと似てる名前だね」
優しそうなお母さんは宜しくね、ともう一度微笑むと「いってらっしゃい」と充くんの頭を最後にもう一度撫でて手を振った。
歩き出した赤と黒に時々混ざる緑とか黄色のランドセルの背を追いかけながらも、私は似た名前の男の子の事が少しだけ気になった。同じ2年生で、一文字違いの男の子。
憂鬱だった学校への道が、何だか少し楽しくなってくる。
仲良くなれるかな、なれると良いな。
揺れる目の前の黒いランドセルを見ているのが気恥ずかしくなって、自分の靴先へと視線を落としながら歩いた。
何か話しかけたいな。何て言おう。似てる名前だね。同じ2年生だね。お家近いの?お友達になろう。
色々と言いたい言葉が浮かぶ中、でも最後に浮かぶのはーーーーーーいつかはバイバイしなくちゃいけないんだという現実だった。
一瞬で楽しい時間が消え去って、足元の小石を足先でこつんと蹴り飛ばした時、ふいに目の前に何の影も無い事に気が付いた。
「あれ」
顔を上げた瞬間、いくつも見えていたランドセルが全部消えていた。
充くんの背中も見えない。
前に住んでいた所とは比べ物にならないくらい、高いビルが沢山ある。
急ぎ足で通り過ぎていく人も沢山居て、知らない場所にぽつんと取り残されている事に今更気づいた。
―――――――ここどこ。
ぐるっと辺りを見渡しても小学生の集団はどこにも見当たらない。
どうしよう、迷子かもしれない。皆がどこに行ったか分からない。
「家に戻ってお母さんに……」
迷子になっちゃったと言いに行こうとくるりと元来た道へと身体事振り返るけれど、一体どこを通ってここまで来たのか思い出せない。
下ばかり見ていたから目印を見つけて来なかった。お母さんにいつも歩く時は目印を見て歩きなさいって言われていたのに。
「えっと……えっと……」
高い建物を人差し指で差しながら、確かあっちだったような気がすると一歩二歩踏み出してその場にぎゅっと押し留まった。
道が分からなくなったら、あっちにこっちに動かないでとお母さんに怒られた事があったから。みちかが居なくなったらお母さんが探しに行くから、勝手にどこかに行かないの、と。
立ち止まった私の横を背の高い大人が沢山通り過ぎていく。時折「あぶねえな」と怖い声も聞こえてきて、硬直したまま両手でぎゅっとランドセルの肩紐を握り締めた。
「―――――みちか」
トントンっとランドセルを叩かれる気配。
聞こえた自分の名前にハっとして顔を上げて振り返ると、肩で息をしている充くんの姿があった。他の皆の姿は、どこにも無い。
「急に後ろから消えたから心配した」
充くんは眉尻を下げて言うと、それから驚いたように瞬きをした。
伸ばされたパーカーの袖が私の目元にぎゅうっと押し付けられて、決壊したように流れる涙を拭われた。
だって怖かったから。知らない場所で、お母さんがこのまま探しに来てくれなかったらどうしようって考えてた。
帰り道も分からないし、学校に行く道も分からない。
ここでずっとこうして待っているしかないと思ったら、怖くて怖くて堪らなかった。
充くんは私の手を取ると、仕方無いなと言うみたいにそのまま私を連れて知らない道をすいすいと縫うように歩き出した。
「もしかして、方向音痴?」
少し前を歩く充くんは未だに泣き止まない私を振り返った。
「ほうこうおんちってなにっ」
「すぐ迷子になる事?」
「そうかもしれない」
そう言えば、良く道が分からなくなる。何回通っても、目印から目を逸らしちゃうとここがどこだか分からなくなった。
お母さんと手を繋いでないとすぐはぐれちゃって、何度もお母さんに叱られた。
充くんは「そっか」と頷くと、「じゃあ毎日引っ張って行かないと駄目だな。あぶねえし」とそう言った。
私の手を掴む指先にドキドキした。毎日って言葉に戸惑って、でも嫌じゃないとも思う。
充くんはそう言えば、と振り返ると。
「名前、ほんと似てるな」と笑って言った。
「み、充くんって呼んで良い?」
「充で良いよ」
「……じゃ、じゃあ……私もみちかでいいよ。私はその…みっちーって呼ぶ」
愛称で呼んだ方が仲良くなれる気がするから。
充くんは「みっちー?」とちょっとだけ考え込むようにしてから頷いてくれた。
照れくさそうに視線を逸らした顔が可愛くて格好良かった。そのちょっとだけぶっきらぼうで、でも突き放すでも無い態度が何だかとても大人に見えた。
私の手をきゅっと掴む指先の力と、ちょっとでも私が遅れると振り返る優しさと、「帰り道も迷子になりそうだな」と困ったように言った言葉に、ときめくってきっとこういう事を言うに違いないと思った。
私はその瞬間恋に落ちたに違いなかった。
みっちーは学校での人気者でクラスだけじゃなく同じ学年の子達のリーダーみたいな子だった。
おかしな時期に引っ越してきた私を、きっと誰も受け入れてくれないと思っていたけれど、みっちーが「みちか」と私の事を紹介すると皆はすぐに輪に加えてくれた。
その仲でとても仲良くなったのが奈々子という凄く美人な女の子だった。
「みちかは部活に入るの?」
奈々子は配られたプリントを繁々と眺めながらも、私に問いかけた。
3年生になる時、部活に入れるらしく、陸上部、男の子は野球部とサッカー部、それからバスケ部とプリントの中には書かれていた。勿論入らなくても良いらしく、奈々子は「私はやらない」と綺麗に折りたたんで机の中に押し込んだ。
「みっちーがやるならやりたいな」
「みちはいっつもみっちーだね」
「だって格好いいんだもん」
「そうかな」
「そうだよ。他の男の子達とは全然違うもん」
みっちーの言動から仕草まで、同じ2年生とは思えないくらい大人びてる。
奈々子はやっぱり眉を寄せると「そうかな」と同じ事を言った。
みっちーも他の子達とは違うけれど、奈々子もまた他の女の子達とは全然違う子だった。
物凄く美人で、他校の男の子達が校門で奈々子を待ち伏せして一人ずつ告白していた時は口をポカンと開ける程驚いた。そんな光景はどこの場所でも一度も見た事が無かったから。
奈々子は慣れた様子で告白する男の子達を一瞥すると、「全員無理」と一刀両断していた。
そんな美人な奈々子が、もしもみっちーを好きになったらどうしようと思ったけれど、どうやら全く興味が無いらしい。他の女の子達は皆みっちーの事を良いよねって言ってるのに。
「だってみっちー凄く頭が良いんだよ。テストでいつも満点取ってるし、足も速いし、あと優しいし」
「ふーん」
ふーんって。
みっちーがまさかの同じクラスだと分かった時、私は飛び跳ねて喜んだ。人生で一番喜んだ瞬間かもしれなかった。
同じクラスになるとみっちーの良い所はもっと沢山見えて、頭は良いし、真面目だし、体育の授業は一番目立つし、何よりすっごく優しい。
みっちーの周りには常にだれかが居た。その仲でも良く一緒に居るのは煩い男の子剛ちゃんだった。
私は剛ちゃんがとても苦手だ。口を開けばとにかく煩い、常に騒がしくて、何かと私の事をいじってくる。
剛ちゃんは同じ学年の女の子にランキングをつけて「可愛いランキング」を勝手に作ってる。奈々子の事を性格の悪い美人と揶揄している所も苦手だった。そんな中、私の顔を見た瞬間「みちかは不細工だな、最下位」と言った。
それもみっちーの前でハッキリと。恥ずかしくて、凄く腹が立ったのを覚えてる。
私は配られた部活動のプリントを眺めながら「奈々子も一緒に部活入ってくれたらきっと楽しいのに」と窺った。
奈々子は綺麗な黒髪を指先で弄びながら、大人顔負けな表情を向けて言う。
「私、時間に縛られるの嫌いなの」
「……格好いい」
奈々子は大人っぽい事をたまに言う。時間に縛られるの嫌いなの……今度使ってみよう。
ランドセルを手に取ると「帰ろうか」と誘われて、私も「うん」と頷いた。
教室の中でまだ残っていたみっちーと他の男の子達は「サッカーしようぜ」と盛り上がっていて。
「俺、今日は帰るわ」
けれどみっちーはいつものように断ると、皆に「えー」「何で!」と言い寄られていた。
私は奈々子と一緒にドキドキしながらも教室を後にして、校舎玄関の靴箱で外履きに履き替えていると後ろから階段を下りてくる足音が聞こえた。
―――――――来た。
振り返りたい気持ちを何とか堪えて、「行くよ」と奈々子に言われるまま外へと出た。
校門に辿り着く前に、私達の隣をふわりと追い越した男の子。揺れる黒いランドセルを見ていると、いつも胸が苦しくなる。
「またみっちー」
奈々子は何だか少し分かっているような顔で私を見ていた。
私達を追い越して駆けて行くみっちーは、少し距離が離れた場所でいつも走るのをやめて歩きに変わる。
黒いランドセルを揺らしながら、まるで私を導く目印みたいに、あれからずっと帰り道はこうして私の前を歩いてくれる。
ついて来てとも、家まで送るよとも言われた事は無いけれど、たぶんそういう事だと思ってる。
だから途中で奈々子と別れた後も、一度も迷子にならずに家まで帰れてる。
人が多い大通りでも、みっちーは時々ちらりと振り返って私が来ている事を確認するとまた歩き出す。その時一瞬だけ目が合う事が嬉しくて堪らなかった。
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