第6話 白味噌お雑煮と年上男子③

 そして視姦のような晩酌タイムをが終わり、立花がうとうとと舟をこいでいると、錦がお盆を持ってテーブルにやって来た。

 そっとテーブルに置かれたものは、湯気がふわりと立った漆塗りのお椀。白味噌の味噌汁に丸餅、そして人参や大根といった野菜の入ったお雑煮だった。


「わぁ! めっちゃ美味そう!」

「最後に花鰹を乗せたらできあがりです」


 さぁどうぞとお雑煮を勧められ、立花は「いただきます」とほくほくしながら両手を合わせた。

 いかにもお正月っぽい料理に心が躍り、どんぶり料理にがっつく高校生男子のように箸を動かしてしまうが、どうにも手が止まらない。もちっもちっと弾力のある餅を優しい白味噌の味が包み、とても懐かしい気持ちで熱い息を吐き出した。


「ふへぇ……。うまいぃぃ……。俺、白味噌の雑煮好きやねん。厚めの根菜も食うてる! って感じしてええなぁ」

「ふっふっふ。きっと立花さんはお正月っぽいもの、食べたいんじゃないかと思ったんですよ!」

「めっちゃ食べたかった」

「でしょう!」


 ドヤ顔で立花の正面に腰を下ろす錦は、いっそう誇らしげに胸を張った。


「大人になって実家を出た立花さんは、わざわざお雑煮を食べる機会なんてないでしょう? 正月休みなんてない、ずーっと続く社畜ライフ。あなたは無意識に求めてたんですよ。家族と過ごした温かいお正月を」


 まるで名探偵のように推理を語る錦は、「はい、現行犯逮捕!」と言いながら立花の手首をぎゅっと掴んできた。どうやら探偵ではなく、刑事だったらしい。


(なんやこの可愛い逮捕!)


 思わず連行されたくなったが、誤認逮捕は良くないと、


「ははは。そなんやろか。ちっさい時はそんな思い出もあったかなぁ……」


 と小さく首を捻る立花を見て、錦は「あれっ」と気まずそうに手を離した。


「その言い方だと、もしかしてご家族はもう……」

「いやいやちゃうで! オトンもオカンもめっちゃ元気やで!」


 立花がぶんぶんと両手を振ると、錦は「性的趣向を受け入れてもらえなかったんですか?」とすぐに正解を言い当てて来た。その大正解に立花は驚かずにはいられない。


「えっ。なんで分か……、いやいやちゃうちゃう! 俺はゲイやのうてノンケやし!」


 立花は自分がゲイであることを隠して生きている。高校の時に痛い目に遭ってからは、親を除き、友人や会社の人間にもバレないように注意を徹底しているのだ。今は酔いと話の流れでうっかり肯定しかけてしまったが、普段の立花のガードはとても固く、恋愛に興味のないクールな主任を演じているつもりである。


 けれど、錦はあっさりと立花の誤魔化しを一蹴した。


「僕、あなたゲイでしょうなんてひと言も言ってませんよ? 性的趣向ってSMとかロリコンとか、色々ありますよね? はい、自白!」

「意義あり! 今のは誘導や……!」


 苦し紛れの反論。完全にしてやられた立花はその発言を却下され、自分がゲイであることを認めざるを得なかった。そして錦の反応が怖くて、つい俯いてしまう。



「キモくて嫌やったらそう言うてや。別に君のこと襲ったりしぃひんけど」

「鬼の僕が立花さんなんかに襲われるわけないでしょう? 返り討ちですよ」

「ははは……。やんなぁ……」


 すっかり意気消沈してしまった立花は、ふぅと重たいため息を吐き出した。

 そんな立花を見たからか、錦は「あー、やだやだ。人間めんどくさい」と顔をしかめてテーブルをダンダン拳で叩く。


「ご両親にも恋愛対象が女性じゃないと知られて、疎遠になったんですかね? だから、特段親に会いたいと思っていない。合ってます?」

「合っとるよ。育て方間違えたんかとか、孫の顔見れへんのかとか、めっちゃ言われたもん」

「人間は大変ですね。イマドキのあやかしは同性婚も重婚もオッケーなのに」


 当時を思い出して暗い表情を浮かべる立花は、心底あやかしが羨ましくなってしまう。


(そら、色んな見た目のあやかしがおるもんな。性別なんて気にしぃひんか)


「ええなぁ。俺もあやかしやったらよかったのに……」

「えっ。イケメンあやかし男子たちをはべらせたいんですか? ハーレム願望ですか?」

「重婚ちゃうわ! 俺、かなり一途やねんで!」


 重い空気になりかけたが、まさか重婚の話になってしまうとは。

 だが、めでたい新年に湿っぽい話題は似合わない。お正月は美味しいものを食べ、美味しいお酒を呑んで笑いたい。

 懐かしい味に感傷的にならず、ただ美味しいと思えるのは錦君のおかげやな……と、立花は彼にお年玉でもあげたい気持ちになってしまう。


「俺も歳取ったなぁ……」


 立花がほっこりと緩い息を吐き出すと、錦は「年寄りぶらないでくださいよ」と、まるでこちらがつまらない冗談を言ったかのように鼻で笑い飛ばしてきた。


「立花さんなんてまだまだ。生まれたてのヒヨコですよ」

「さすがにヒヨコはないて。トサカ生えとるわ」

「でもたったの32歳でしょ?」


 ふざけて言っているのかと思いきや、錦は真面目な顔でそう言った。「たった32歳」と。


「え……。ちなみに錦君っていつくなん?」

「今年で122歳になります」

「んぐっ?!」


 餅が喉に詰まるかと思った。


「……げほっ、げほっ。めっちゃ年上やん」

「あやかしは見た目では年齢が分かりませんからね。……ということは僕は立花さんの守備範囲内?! 年上の男性がお好きなんですよね? もしかして僕のことも侍らしたくなりました?」

「げふっ!」


 挑発するような錦の態度に、再度むせてしまう。


「せやから侍らせへん!」


 温かいお茶で餅を流し込んでから全力で抗議するも、錦の立花を小馬鹿にした態度が改められる気配はない。出会った時から客としての丁寧な扱いも年上としてのリスペクトもないと感じていたが、彼の中では立花は本当にヒヨコ同然なのかもしれないなと思ってしまう。


 立花がムッとしながらお雑煮の続きをすすっていると、それまでケラケラと笑っていた錦は不意に「あ」という声を上げ――。


「言うの忘れてました。……あけましておめでとうございます」

「あ…、あけましておめでとうございます」


 つい釣られて新年の挨拶をした立花は、錦の小さな「ちょろ」という声を耳にしたが、聞こえないフリをしたのだった。





 そして――。

 なぜ錦が立花の名前や年齢、好みのタイプ、実家のお雑煮を知っていたかという疑問を立花が抱いたのは、深夜社宅に帰り着いてからだった。


 しかし、「ま、鬼パワーやろ」と流してしまうくらいには、立花は酔っ払っていたのだった。

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