第3話 年納めのかす汁定食③

琥珀色の二本のツノが、ちょんちょんとか銀の髪の間から顔を出している。触れたら痛そうな尖り具合だが、その表面は滑らかそうだ。もしや若者の間で流行っているアクセサリーか何かだろうかと目を凝らすが、カチューシャが隠れているわけでもないし、ピンが付いているわけでもなさそうだった。


「……生えとる?」

地角じづのですもん」

「地角……」


 数秒のおかしな沈黙の後、鬼束青年は何事もなかったかのように立花の手を掴んで助け起こし、再び椅子に座らせた。――のだが、彼は立花の手をぎゅっと握ったまま放さないではないか。


「僕を満足させてくれるのはあなただけだと確信しました! 僕は酒呑童子。お酒が飲めない僕の代わりに、美味しくお酒を呑んでください!」

「しゅてん、どうじ……?」


 立花は目をぱちくりさせた。

 酒呑童子が昔、京都にいた鬼であることは知っていた。おそらく、鬼と言われるくらいなので悪事をはたらいたのであろうと。だか生憎、立花は酒吞童子の詳しい知識を持っていなかった。


「えーと、酒呑童子って何したんやっけ?」

「京都の若い男女をたくさん攫いました」

「え」


 鬼束青年がさらりと恐ろしいことを言うので、立花の顔は思わず引き攣ってしまう。だが、鬼束青年はぶんぶんと笑いながら首を横に振った。


「いえいえ、僕じゃないですよ。初代が、ですよ。初代は源頼光に毒のお酒を飲まされ、首をはねられまして。武士の情けで女子供は見逃してもらって、僕はその末裔。五代目酒呑童子です」

「五代目……」

「でもただ見逃してもらったわけじゃありません。またいつ人間に悪さをするか分からないということで、頼光は一族にある呪いかけました」

「呪い?」


 ファンタジーに拍車がかかっていたぞと、立花はぐっと身構える。

 ところが――。


「酒に呑まれる呪いです」

「へ?」

「僕らの一族って、お酒が大ッ好きなんです。お酒が妖力の源になるくらい。でも呪われてから、みんな飲まなくなりました。飲酒で思考が緩くなったり、眠たくなったり、感情の起伏が激しくなったり、記憶が飛んだり、キス魔になったりすると言われたら、とても酒を飲もうなんて思いません!」

「ん? んん?」


(それって呪いなん??)


 首を傾げる立花だが、鬼束青年の熱弁は止まらない。


「でも本能的にお酒が欲しくてたまらなくなるので、禁酒がつらくてつらくて。だから僕、他の人がお酒を呑む姿を見てみたらどうかなと思ったんです。美味しそうに幸せそうに飲み食いする人を目の前にしたら、僕もつられて満足して、欲求も収まるんじゃないかって。――で、このお店を開いてみたんですけど、全然ダメで」


(まぁ、そやろな……。余計羨ましくなるに決まってるやん)


 気の毒にと立花が言いかけた時、鬼束青年は勢いよく立花の頬を両手でむにぃっと挟んだではないか。


「だけど今日、僕はお兄さんのおかげで満たされました! お兄さんが幸せそうに飲み食する姿、最高でした!」

「ふえ…っ⁉」


 イケメンフェイスにキスされそうな体勢は、立花の思考を簡単に停止させてしまった。まるで待機中のデスクトップだ。


(分けわからん……。多分、AVの代わりみたいなこと言われとる気ぃするけど、もうよう分からん……)


 天使のように(鬼だが)キラキラとした笑顔を浮かべる鬼束青年を前にすると、年甲斐もなく胸がぴょこぴょこと跳ねてしまう。


(鬼やけど、俺、求められとる? こんな可愛いイケメンに? 鬼やけど)


 日常がすさんでいる反動だろうか。

 カラカラに干からびた井戸に突然天然水が沸いて出たかのような、瑞々しい感覚が立花の胸に射す。つまり、嬉しかったのだ。


(もうどうにでもなれ!!)


「お、俺なんかでよければ……。むしろ、金払うから、毎日来たい……」


 俯いたまま言った、立花の願望。

 おそらく、ホストに狂う客はこんな感じなのだろう。そうとは理解しつつも、すっかり胃袋と心を鷲掴みにされてしまった立花は、破滅まっしぐらのような危うい選択にずぶずぶだった。殺伐とした日々に疲れていた彼は、もう今までの寂しい夜には戻りたくなかったのである。


「うわぁ! 餌付け、ちょろ……、じゃないや。お兄さん、ありがとうございます! 僕、毎晩待ってますね」


 鬼束青年から、なんだかいただけないワードが飛び出しかけた気がしたが、もうどうにでもなれと思う立花だった。


『酒は呑んでも呑まれるな』


 呑めない酒呑童子の酌によって、呑まれることを良しとした社畜リーマンの夜は、癒しと共に更けていく――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る